ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「詩編」137編

2018-03-16 19:04:25 | 今日の聖句
今日の聖句は「詩編」の中で一番好きな「詩編」137編です。
1節から4節までが特に心惹かれます。

1 バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。
2 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
3 わたしたちを捕囚にした民が 歌をうたえと言うから
わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
4 どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で。


バビロンの流れとは「エゼキエル書」によるとケバル川らしいです。
その川はチグリス・ユーフラテス川の支流のようですが、一体どんな流れのほとりで、
捕囚の民は涙を流したのでしょう。
捕囚の民が竪琴を掛けたという川のほとりの柳の木々はどんなだったのでしょう。
勝手に豊かな川と瑞々しい柳を想像しているのですが、ネットで画像を検索しても
砂漠の国の川は私のイメージから程遠いものしか出てきません。

↓5節以下です。

5 エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら
わたしの右手はなえるがよい。
6 わたしの舌は上顎にはり付くがよい。
もしも、あなたを思わぬときがあるなら
もしも、エルサレムをわたしの最大の喜びとしないなら。
7 主よ、覚えていてください 
エドムの子らを エルサレムのあの日を 彼らがこう言ったのを
「裸にせよ、裸にせよ、この都の基(もとい)まで。」
8 娘バビロンよ、破壊者よ
いかに幸いなことか お前がわたしたちにした仕打ちを お前に仕返す者
9 お前の幼子を捕らえて岩にたたきつける者は。

ここでは「主のために歌う賛美の歌を、礼拝賛美のために用いる竪琴を、異教の民を
喜ばせるために用いるくらいなら、竪琴を弾く右の手が萎え、舌は上顎にくっついて
用いられなくなる方がまだよい、と詩人は歌っている。」そうです。
9節の「幼子を岩にたたきつける」という表現は激しすぎる!とギョッとしますが
この部分は「復讐は神にお任せする」という気持ちの表れだ、と何処かに書いて
ありました。 (うろ覚えです、すみません。)

毎日、聖書を読むとき「詩編」を一編ずつ読むようにしているのですが、想像力乏しく
詩が苦手な私は、詩編は神様への賛美、感謝、願いなのかな~程度の理解しかありません。
その中でこの悲しみの歌は優しくて分かりやすいです。


二年前に亡くなった夫と野鳥を探しながら歩いた公園脇の川です。
ケバル河畔はこんなだったのかな~と勝手に想像しています。(^-^)

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもどうぞご覧ください。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <イースター礼拝>のお知らせ | トップ | イースター礼拝お知らせ(再) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

今日の聖句」カテゴリの最新記事