ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「最後の晩餐」

2013-03-03 22:08:52 | 説教
今日の説教は 「最後の晩餐」と題して聖餐の意義について説き明かされました。
テキストは 「出エジプト記」12:24~27 「マタイによる福音書」26:26~30です。

イエスは十字架にかかる前の晩、弟子たちと過ぎ越しの食事をなさいました。
ダ・ヴィンチの絵にも描かれている「最後の晩餐」です。

イエスはパンを裂き、それを弟子たちに与えて「取って食べなさい。これは私の体である」と言われました。 
また、杯を渡して「杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、
契約の血である」と言われました。

「ルカによる福音書 22章15節」には「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、
わたしは切に願っていた」とイエスは言われた、と書いてあります。
文語訳の聖書では「われ苦難の前に、なんじらと共にこの過越の食をなすことを望みに望みたり」となります。 
(文語訳の聖書の御言葉、いいですね~)

主の生涯はこの「最後の聖餐式」のためのご生涯だったと言えます。

「私の体」とはその人全体を指しています。
そして体を表すパンを食すことは主と一体となる、主が私たちと共に生きて下さる、私たちは永遠の命を得る
ということを意味します。

葡萄酒は「契約の血」を表します。 血とはは命そのものです。
「契約」はイスラエルの社会では絆の基本でした。 旧約聖書全体が神と人との古い契約です。
契約の際には動物(雄牛)の血が流されましたが、これは契約に反した者は血をもって贖わねばならない
という重い意味をもっていました。

イスラエルの民は神と契約を結び「神の宝の民」となったのですが、その後、イスラエルの民は頑なになり
神との契約は無効のものとなりました。

イエスの血が流されることにより新しい契約が神との間に結ばれ、そこに教会が生まれました。

イエスの体を表すパンを食し、血を表す葡萄酒を飲むという聖餐式を通して全世界の人々が
新しい契約の民となりました。
聖餐とはキリストの命をいただく、神の救いの堅い約束を表しています。

聖餐に与ることによって不信仰が吹き飛ばされ信仰の確信を持つことができる私たちは
一人でも多くの人にこの希望を述べ伝える義務があります。

                          (文責はゆうゆうにあります。)





公園の紅梅はそろそろ終わりです。


イエス様の体を表すパンを食べ、血潮を表す葡萄酒を飲む、その行為(聖餐式)によって
主の贖いによる神の救いを確信してよい! とイエス様が言われた、なんという救済でしょうか!

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