僕の細道

酔花妖宴

『酔花妖宴』

 ラジオから流れる交通情報では東名阪道で二ヵ所事故渋滞が発生しているらしい。オマケに鈴鹿周辺は上下線通行止めの為、国道にも影響が出ているらしい。それを聴いた私は早朝出発を諦め、ゆっくりモードで身支度をするのであった。しかし、ハプニングはそれだけではなかった。バイクにキャンプ道具やらを積載していく。「あれ?無線機が使えない。バッテリーから電源が来ていない様だ。」というわけで、サイドカバーを外して配線をチェックしていく。その時、携帯電話が鳴った。出てみるとクラブの会長からだった。もう、亀山ドライブインにいるとの事。「お早いお着きで…。」こちらの状況説明して、道中並走は無しとなった。
 
 なんとか、8時45分には自宅を出、名古屋市内を抜け、R23号線で三重県を進む。渋滞の影響が多少はあったもののそこは小型デュアルパーパスの得意とするところ、ニ足ニ輪で大型車輌群の隙間をすり抜ける。思ったより、寒かった為、東海バレーへ滑り込みジャケットの下にフリースを着、ジーンズの上に綿パンツを履いた。おかげで、亀山ICからの高速走行では助かったのだ。カウルの恩恵が身に染みます。 
 
 天理ICで降り、南へ行くのだが、ちょうど昼時前なので、有名なラーメン屋に寄ってみよう思い、GSで給油(¥487)のついでに場所を尋ねる。天理駅近くにあるというお店へ行ったのだが、、残念ながら夕方からの営業の為、食べれず。
 もう一軒、気になるラーメン屋へ足を運ぶ。名古屋/星が丘にもチェーン店はあるのだが、ここはやはり本店で食わねばと思い。天理ICまで戻ってその本店へ入ってみる。お店の名前は「天理スタミナラーメン本店」だ。もちろん、食べるのはそのスタミナラーメン(¥530)だ。しかし、不味かったのだ。これがチェーン店を出すまでの味かい?これなら、インスタントラーメンの方がましだぜ。塩加減が濃いのだと思う。まっ、肉体派なら、この味を好むかも知れない…。 
 
 腹ごしらえした後はR169号線とK15号線で、明日香村に向かう。道なりに進んで行くと直に石舞台古墳に出てしまう。さすが、NHK朝の連続ドラマで人気となった場所なので、多くの観光客が詰め掛けていた。ちょうど、桜と菜の花が見頃となり、人里離れた普段は何も無い景色に彩を附けていた。

 そこから、更に南下して山越えをすると吉野山の麓に出る。 丁度、吉野桜も見頃で、全山桜色に染まり、何台も観光バスが連なり、行く手を阻んだ。ここでも、小型デュアルパーパスの機動性を活かし、ちょろちょろと前へ進むでのであった。メインとなる本線道路は歩行者天国となり、一部は一方通行となる。しかし、以前にも裏から回り、バイクで登れたので、ちょいと横道に反れ、上千本まで登って行く。山上週辺はたくさんの観光客で賑わっていた。

 吉野山の桜を堪能し、吉野川(和歌山県からは紀ノ川となる。)に沿って西へ向かう。途中、宴会用の食材を買い出す為に五条市内のジャスコに寄って行く。あれやこれやと5~6人分の食材を夕食分、翌日の昼食分、もちろんアルコールとおつまみを購入したのだが、4輪車と違い、バイクは積載箇所が少ない、まして、いつもの大型バイクと違い、今回は小型トレッキングバイなので、更に頭を使う。 ゴムロープ
とゴムネットを器用に使い、(自我自賛)巨大な食材のタワーが出来あがった。

 ここから野営場所までは比較的近いので何とかなるだろう。山中のワインディングは少しだけ速度を落として行けば大丈夫だろう…。そして、山に入る前にバイクも給油しておく。 R24号線の粉川町から標識に従い和泉葛城山を目指す。この山は昨秋も来ているので、山頂に添えられた鉄塔を目標に右や左とコーナーを少しだけ慎重に駆け巡る。こんなとこで食材(アルコール)を打ちまけってった日にゃ~、野郎共の顔が目に浮かぶ。

 山頂手前に三叉路を曲がると直にキャンプ場はある。駐車場には既に5~6人来ていた。主催者のKさんと挨拶を交し、立地の良さそうな場所に早速テントを設営する。今回はどうせ、夜中まで飲んだ暮れているので、単に寝るだけと割り切って一人用のゴアテックステントを持って来た。中に入れるのは冬季用の寝袋のみ、一両日中の天気は大丈夫そうなので、他の物はバイクに括り付けたままにした。隣のテント前では栃木からハ-レーとイントルーダ-に乗ってきたアメリカンな二人組が雑談している。「小さなバイクで遠くからタイヘンだね。」と声を掛けられ、「大きいのは遠くからでも楽そうですね。ハ-レーみたいな大きなバイクは気持ち良さそうですね」と会話していると横からKさんが「こいつは嘘つきだ。小さなバイクだろうと大きなバイクだろう限界走りで長距離も気にせず、カッ飛んでいる野郎だ。400ccの時も型になってからでもで大阪までムチャ飛ばして来る奴だから、騙されんといてや~。」とツッコミが入った。ウッ、私は普通のライダーのフリも出来ないのか?ホント、関西に来ると容赦ないツッコミとボケが飛び交い、アルコールを飲む前からボルテージは騰がるのだった。
 
 テントを張り、料理の準備を終えた後は明るいうちにと林道入口の牛滝温泉へ足を向ける。軽になったバイクで麓までの舗装林道を15分ばかり下って行く。この牛滝温泉「いよやかの郷」は岸和田の山奥に一年前にリゾート施設としてオープンし、本館に天然温泉大浴場、露店風呂、和洋広間が有り。屋外にはカナダ産ログハウスコテージやオートキャンプ場、バーベキュー広場などの施設が12,000坪の敷地内に点在している。シティホテルのような玄関で入浴料金の700円を自動販売機に投入し、出て来たチケットを受付の女性に渡すと天然温泉のある階下に向かう。建物自体が川沿いに建っている為、玄関ホールは2階となるのだった。湯船から川面が眺め、せせらぎの音で暫し旅情を楽しむのであった。

 入浴後は湯冷めしないよう一気にキャンプ場へ向かうのだが、途中、林の切れている所から大阪湾に浮かぶ関西新空港の夜景が見える。ちょっとだけ、バイクを停めて夜風に吹かれ、ハードボイルドを少しだけ決めるてみる。

 キャンプ場に戻ると、参加者は12~3人に増えていた。常連の連中は私に板長を頼んでいたので、早速料理人と化した私は四人用のステンレス鍋に切り刻んだ食材を次々と入れ、一番鍋の野菜鍋(味噌味)を調理する。夕闇に紛れ、手元も怪しくなりながら、缶ビールを片手に次の鍋の準備をしておく。

  未だ春とはいえ、夜間は冷え込むので、今夜は鍋三昧の予定だ。鍋が出来るを待てない奴らが、鍋の周りに集まってきた。蓋を開け、三つ葉を放り込んだら、あと少し。友人達と旅の話も煮えたぎる。
 
 鍋が出来、周囲に声を掛けるとあっと云う間に無くなった。続いて二番鍋のきのこ鍋(味噌味)を調理する。具となる大量のしいたけはキャンプ場の管理人のオバちゃんが差し入れてくれたものだ。スーパーで買ってきたえのき茸やシメジ茸も入れ、長葱、白菜、人参と入れてある。これもすぐに無くなってしまった。う~ん、皆、飲酒モードより満腹モードを選択したようだ。今度の三番鍋は豆腐や豚肉、瓶入りキムチを入れて定番のキムチ鍋だ。野郎共の胃袋を満足させるには時間が掛かる。 ここいら辺りまでは覚えているのだが、そこから先は飲んだくれていたので、詳細は不明。何とか、テントに戻り、寝袋に潜り込んだの事は確かだ…。

 翌朝、寝袋から這い出し、皆と挨拶を済ます。お日様もずいぶん高いとこにある。ボ~っとした頭でキャンプ場をうろついていると春の日差しの中、キャンプ場で飼われている一匹の犬がのどかに寝そべっている。よくみるとその犬の横には空のポリトレーが転がっている。回転しない頭で暫し考える。これは昨日買ってきた餃子のトレーだ。この野郎、満足しそうに寝てやがる。今となっては戻す事も出来ず、今日の昼食は一品減ったな。友人にその事を話すと朝7時頃に餃子はあったと言う。となると犯行時刻それ以降となる。くそ~、皆が起きている間の犯行か!その犬に当り散らす訳にもいかず、虚しさを覚えるのみだった。

 朝のお勤めを終えた後は一人で黙々と食材を切り刻み、昼食の準備をする。どうにかこれらの食材を残さず使い切らねば、と思案しながら、昼のメニューを考える。で、決まったメニューは誰かが残していった釜飯を使った炒飯。野菜たっぷりのインスタントラーメンキムチ味。関西風うどん。箸休めに茄子の胡麻味噌和え。これらを5人分作ろうと思うとひたすら準備に没頭する。なかでも面倒なのが、もやしの頭を取って、ひげのような先っちょを取る事。これを取るのと取らないのでは食感違う。そんな事にこだわりながら、ビールを片手にコツコツと手が動くのであった。

  昼時になり、食事が出来た事を告げると飢えた狼どもが器を持って鍋を取り囲む。ん~、うどんは味が薄かったようでちと不評。ならと、醤油と粉末ダシを追加して味を深める。これならOKのようだ。どこぞのカップル組も箸を繰り出し、満足そうな顔だった。これにて料理人の面目は保たれたか…。

  食べ終えた頃にバイクが三台やって来た。復活したホンダ・バラデロに乗って来たH君とカワサキ・シェルパのAさん、カワサキ・バリオス(借り物)のIさんだった。キャンプ場に電話連絡が在ってから2時間以上も経っていた。どうも待ち合わせた西名阪道、香芝SAで話が弾み、時間が過ぎてしまい、本来ならR171経由で来るところを岸和田まで高速で進み、そこから和泉葛城山に登ったので、道に迷っていたらしい。それでも皆がいるうちに辿りつけて良かった。

 遅れて来た彼らが輪に入り、再び場は盛り上がり、関西の乗りで、大騒ぎとなった。東海地方のタワケ達と関西人の阿呆ども、お互い馬鹿に付ける薬を探しているのだった。主催者のKさんは昨日からの疲れが出たのか、ゴロリと横になる。傍らには彼の愛車、1942年式の軍用ハ-レーが鎮座していた。他の連中もそれぞれ、午後の日差しの下でノンビリしているのであった。

 東海組の帰りはキャンプ場からは一緒に麓へ降りたのだが、それぞれ別行動となった。Aさんはそのまま大阪の実家へ帰るとの事。Iさんは奈良の友人宅へ寄るとの事で、和泉葛城山から降りてR171の途中で離脱。私と服部君は名阪道の大山田ドライブインにて一度休憩を取ったあと亀山ICまで一緒。そこからH君はそのまま名古屋まで東名阪で帰り、私は往路と同じくR1とR23で名古屋に戻ったのであった。

期日:H13年4月16~17日(月、火)
走行距離:497km
使用車両:ヤマハ・セロ-
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