ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

お別れ

2009年03月27日 10時47分57秒 | おくやみ
 25日(水)川内前議長を「ねぎらう会」当日、準備作業に追われていた時、
訃報を知らせる一枚のファックスが事務所に届いていました。

>だいぶ年数がたっているので行く必要はないと思いますが
 お知らせしておきます。
 故菊地庸介様  通夜3月25日(水)18:00~ 葬儀・告別式3月26日(木)12~
         江古田斎場

 今になっては、言い訳にしかなりませんが、それを知ったのが
その日の午後3時過ぎであったため、自分が葬儀にどうやって行くかということだけ
考え、今から18年前、区労協役員だった菊池さんと同時期に、どなたが活動していた
かを調べ知らせる心の余裕がなかったことが悔やまれます。

 26日の葬儀には、午前中の裁判に顔を出した後、江古田の斎場にかけつけました。
10分ばかり遅れましたが何とか間に合うことができました。
 2~3人前の列に、高田副議長の頭が見えました。
 祭壇には在りし日の菊池さんのトレードマークの口髭の遺影が飾られ
奥様やご遺族の方が並んでおられました。さすがに私も、写真を撮ることは控えました。

 今日事務所で過去の議案書を調べましたら、18年前の議案書の表紙に
菊池さんが写っている写真(直立不動で腕組みの人)がありましたので、
故人を偲び掲載させていただきます。

 奥様のご挨拶によると、50歳で岩崎書店を退社し、その後、病に倒れ
14年にわたる闘病生活をされ今年の3月24日に永眠されました。
 菊池さんは高校時代はラグビー選手として活躍され、地域では
スキーなどの指導にあたられ、立派に鍛え上げられた身体の持ち主でした。
 私は、その当時、出版の争議団で、菊池さんは出版労連中央執行委員として
活躍され、区労協では2期副議長としてご尽力いただきました。
 
 葬儀は、音楽葬で、故人が好きだったと言われるフランク・シナトラの
「マイウェイ」の曲が流れるなか、しめやかに献花が、続きました。
 心よりご冥福をお祈りいたします。