ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

一葉、終焉の地

2007年09月23日 15時59分53秒 | 思い付き
白山通りに面した西片町の区労協事務所が入った建物の隣に
樋口一葉の終焉の地として、石碑が建っています。
石碑には、一葉日記から平塚らいちょうの揮毫で次のように書かれています。
(抜粋)
>花ははやく咲て散りがたはやかりけり。
 あやにくに風雨のみつづきたるに、(中略)からくして十五円持参、
 いよいよ転居の事定まる、家は本郷の丸山福山町とて、
 阿部邸の山にそひてささやかなる池の上にたてたるが有けり、(中略)
 家賃は月三円也、たかけれどもこことさだむ。

 一葉が今の文京区西片1-17番地に転居してきたのは明治27年(1894年)5月、
22歳の時です。
西片は、崖の上は、武家屋敷地、その後は高級住宅地(?)
崖の下は、中山道(今の白山通り)に沿って庶民の住宅や飲み屋さんなどがあったようです。
ここで、見聞きしたものを生かして「にごりえ」や「たけくらべ」などを完成させています。
苦しい生活の中でも、溢れた才能を持ち、
「士族の女としての対面を重んじ、それを誇りとして」生きましたが
肺結核で24歳でこの世を去りました。

最後まで、お金の工面で苦労した一葉が、
五百円札に使われるとは、お金の大切さを教えてるのかも知れませんね。