ビデオ見ましょうどうしましょう

ビデオ見ましょうどうしましょう。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

定説

2006-02-18 16:21:21 | Weblog
定説手白の猿は、後の創作類では、かなり重要な位置に居るけれども、説経には極めて軽い役に使はれてゐる。動物報恩説話の外には、山王のつかはしめとなつた理由を見せたに止まつてゐる様である。かういふ動物が、此民譚に現れたのは、勿論日吉の猿部屋に関係があるので、手首ばかり白い猿を、神猿とするなどいふ信仰もあつたと思はれるのである。山姥狂言の中にも、手白の猿を出した物があつた。今日さう言ふ芝居絵を見ても、別に手に特徴はない。結局別に語原を持つものに違ひない。
コメント

継母雲居ノ前

2006-02-18 16:20:43 | Weblog
併し乙若が性空の手から移つて来た話を思ふと、数度の変形として、或は、愛護・皇慶の関係は、成り立つかも知れぬ。川村杳樹氏(実は柳田国男先生)が提供せられた沢山の難題問答(郷土研究四の七)の例の中、陸前赤沼長老阪で、西行に舌を捲かした松下童子が、山王権現の化身であつたと言ふ話も、多少根本の山王に痕跡のあつたものとすれば、まへの関係は一層深くなるのだが、数点の類似だけでは、愛護・皇慶の交渉はむつかしい。
継母雲居ノ前は、合邦个辻の玉手御前の性格を既に胚胎してゐるので「女筆始」其他の様な純然たる悪玉でなく、寧、薄雪物語の様な艶書を書くあはれ知る女となつてゐる。中将姫・しんとく丸の継母とは、類型を異にして、恋の遺恨といふ、新しい創造がまじつてゐる様である。
コメント

志田義秀氏

2006-02-18 16:20:03 | Weblog
此呪ひを志田義秀氏は叡山の不実柿(ミナラガキ)と関係あるものと観察して居られるやうだ。皇慶甫(はじ)めて叡山に登つた時、水飲(ミヅノミ)・不実柿(ミナラガキ)などの地で「実のなるのにみなら柿とは如何。湯を呑むのに水飲とは如何」と言ふませた、併し子供らしいへりくつ問答を試みた、と言ふ話のある地で、皇慶の呪ひによつて、不実柿になつたとは見えぬ。
コメント

言語精霊(コトダマ)

2006-02-18 16:19:07 | Weblog
大体石芋民譚は、宗教家の伝記に伴ふものが多い様だが、古くは慳貪と慈悲とを対照にした富士・筑波式の話であつた。其善い片方を落したのが石芋民譚で、対照的にならずに、善い方だけの離れたのもある。宗教家は精霊を使ふ者と考へられて居た為に、精霊の復讐と言ふ風の考へが、一転して石芋民譚となるのであらう。古く言語精霊(コトダマ)の活動と考へられたのろひが、役霊の考へに移つたのは、大部分陰陽家の職神・仏家の護法天童・護法童子の思想の助勢がある様である。役霊・護法の活動は、使役者には都合はよいが、他人には迷惑を与へる事が多い。使役者の嫉妬・邪視が役霊の活動を促す。護法童子に名をつけたのが、乙護法である。伝教大師にも、性空上人にも、同名の護法があつた。性空から其甥比叡の皇慶に移つたのを乙若とも言うて居る。三井寺の尼護法は鬼子母神ともなつて居る。女の護法神だから言ふのだが、或は「乙」と同じく、其名であつたのかも知れぬ。若の名の「愛」と言ふのも、護法の名で、護或は若は其護法なることを示してゐると考へられぬでもない。愛護ノ若を護法童子の変形とすれば、桃・麻の呪ひの意味は、徹底する様である。
コメント

田中山王社一名

2006-02-18 16:18:43 | Weblog
田畑之助を祀つたと言ふ田中山王社一名田畑ノ宮は、疑ひもなく同じ粟の話のある恒世ノ社である。膳所の近辺中庄村瓦浜に在るが、古くは其地の亀屋といふ家の界内に在つた。其家は堀池氏で、堀池は佐々木氏の一族だ(誌略)といふが、亀屋の主人が祭りの頭人となる時の名が、田畑之助だつたかも知れぬ。
山門・寺門の関係と、大友村主(スグリ)の本貫であると言ふ辺から、山王を天武、新羅明神を大友ノ皇子と考へた時期も、あつたらしく思はれる。所謂桃のにこう(尼公か)の件は、石芋民譚(土俗と伝説一の一、田村氏報告参照)の形式で、穴生とも言ふ賀名生に脂桃の話のあるのは、暗合でなく何かの脈絡のありさうな気がする。
コメント

表面

2006-02-18 16:18:15 | Weblog
説経の表面から見ても、山王祭りにえたの干与する事を暗示して居るやうであるが、古くは、京の河原辺の部落ではなく、瀬田川下の村が与つて居たのではあるまいか。此民譚直接間接に深い交渉を持つてゐぬとも言へまい。
細工が臼の上に若の座を設けたと言ふ形は、浅草観音宮戸川出現の条に似てゐるが、ともかく、祭りに賤民が重要な役目を務めた事を示したのは疑ひがない。尚細工を古くから馬具細工の意に解して居た証拠は「名歌勝鬨」には、細工小次郎に宛てゝ、鞍作杢作及び其娘お為と言ふのを設けて居るのでも知れる。
コメント

同性の愛が

2006-02-18 16:16:21 | Weblog
愛護若伝説を輿地誌略の作者の友人は「秋の夜の長物語」の飜案と考へて居たらしく、志田義秀氏は長物語から糸を引いた、隅田川伝説の一つと考へられたらしい(郷土研究一の三)。長物語と此民譚とに通じる点は、

梅若(長物語)愛護二人ながら、公家の子である点(い)。叡山に関係ある点(ろ)。桂海律師と細工と(は)。叡山なる人に逢ふ為、住家を出ること(に)。唐崎の松が、主要な背景になつてゐること(ほ)。入水(へ)。衣掛け(と)

の数ヶ処で、似て居ない点もある。其は、

肝腎な「松のうけひ」と「桃・麻の呪ひ」が、此にはあつて、彼には見えぬ事(ち)。同性の愛が中心問題になつてゐるのと、ゐぬのと(り)。継子虐待の有無(ぬ)。此は本地物で、彼は発心物語の一種とも言ふべきこと(る)。彼は山門・寺門の交渉を背景としてゐるのに、此は三井寺には無関係なこと(を)

などである。長物語は全く、智証門徒なる南谷の慶祚と、西谷の座主良真との関係(厳神抄)に、脚色を加へたものであらう。其上、隅田川の梅若と比べると(い)(へ)(と)並びにさすらひ(わ)の四点は類似して居り、細工と人買ひとが、幾分同じ傾向の役廻りに在る事を感ぜしめるに過ぎぬ。
コメント

革細工

2006-02-18 16:15:53 | Weblog
尤、革細工を細工と言うたのは、説経以前の有無は疑はしい。或は皆人知り悉した伝説である為、名を略した事、田畑之助の姓を脱したのと同じだ、との説明も出来ぬではない。而も輿地誌略には、小次郎、若に男色の語らひをした様に書いてゐる。「女筆始」には、若に思ひを寄せた男を関寺半内として、其妻が計らうて、若に事情を訴へて、盃を貰ひ受ける事になつてゐる。或は説経は此点を落したのかも知れぬ。
コメント

天満

2006-02-18 16:15:28 | Weblog
大僧正が聞いて、愛護を山王権現と斎うた。四月に申の日が二つあれば後の申、三つあれば中の申の日に、叡山から三千坊、三井寺から三千坊、中下坂本・へいつち(比叡辻か)村をはじめ、二十一个村の氏子たちが、船祭りをする(六段目)と言ふのである。
表紙の題簽に、

ひよしさんわうまつり     天満
あいごの若
からさきのひとつ松のゆらい  八太夫

とあつて、宝永五年正月の、大伝馬町鱗形屋の出版である。説経が江戸に大いに行はれて、八太夫座の勢力が張つて後の発刊である。此古浄瑠璃には、必若干の脚色と誇張とが、伝説の上に加へられてゐる事は期せなければならぬ。
コメント

稚児

2006-02-18 16:14:22 | Weblog
暗く雨降る夜、家を出て四条河原にかゝると、南に火の漏れる茅屋がある。細工の賤民の住む処である。近寄つて戸を敲くと、盗賊かと思つて、薙刀を持つて来る。愛護一部始終を語ると、敬ひ畏んで、臼の上に小板を敷き、荒菰を敷いて、米を賀茂の流れで七度清めて、土器に容れて献る。此から神の前に荒菰を敷く風が出来たと説いてゐる。夜が明けて、細工に送られて、叡山へ志す。処が、中途まで来ると、三枚の禁札が立つてゐる。一枚目のには女人禁制、二枚目にはさんひ(?)やうじや、三枚目には細工の禁制が、書かれてゐる。細工が帰らうとすると、愛護が、強ひて叔父の処まで送つてくれと言ふ。「仰せ尤にて候へども、賤しき者にて候へば、只御暇」と言うて、引つ返した。
愛護一人で、帥ノ阿闍梨を訪れた処、叔父は、甥若の訪問に驚いて、其車馬の数を見させた処が、稚児一人立つてゐたので、此はきつと、北谷の大天狗が我行力を試る為に来たのだと思うて、そんな甥はないと言うて、大勢に打擲せしめた。若は山を下りようとして、三日山路に迷うた末、三日目の暮れ方に、志賀の峠に達した。其処で疲れて休んで居ると、都へまんぞう(万僧)公事に上る粟津の荘のたはたの介兄弟が来会うた。終始を聞いていとほしがり、柏の葉に粟の飯を分けてあたへた。「其御代より、志は木の葉に包め、と申すなる」と説明してゐる。
コメント