山口県光市束荷(つかり)に建築されている「旧伊藤博文邸(通称・伊藤公記念館)」です。
※設置の説明板を読めば
『伊藤博文が遠祖・林淡路守通起の300年祭に当たり、「家屋」を建築し、「その家屋は、将来、図書館用に供するが如きものとなすべし。」と命じたのが建築の契機です。
明治42年3月1日に工事が始り、10月23日に家屋の上棟式を行いましたが、
10月26日にロシア(当時)のハルピンにて(暗殺で)伊藤博文死去。
明治43年5月に落成。11月13日には遺族が300年祭を執行しました。・・・』とありました。
*伊藤博文が、山口(長州)人であることは義務教育を受けた者として知っていましたが、
ここ(旧熊毛郡大和町、それ以前の束荷村)の出身だったことは知らなかったのでたいそう勉強になった見学でした。
「伊藤」姓が、
父親の養子から伊藤姓になったこともここを見学しなければ知らぬままだったろうな~と思ったことも恥ずかしながらここに記述しました。
(裕編集の)旧伊藤博文邸
※設置の説明板を読めば
『伊藤博文が遠祖・林淡路守通起の300年祭に当たり、「家屋」を建築し、「その家屋は、将来、図書館用に供するが如きものとなすべし。」と命じたのが建築の契機です。
明治42年3月1日に工事が始り、10月23日に家屋の上棟式を行いましたが、
10月26日にロシア(当時)のハルピンにて(暗殺で)伊藤博文死去。
明治43年5月に落成。11月13日には遺族が300年祭を執行しました。・・・』とありました。
*伊藤博文が、山口(長州)人であることは義務教育を受けた者として知っていましたが、
ここ(旧熊毛郡大和町、それ以前の束荷村)の出身だったことは知らなかったのでたいそう勉強になった見学でした。
「伊藤」姓が、
父親の養子から伊藤姓になったこともここを見学しなければ知らぬままだったろうな~と思ったことも恥ずかしながらここに記述しました。
(裕編集の)旧伊藤博文邸
3月19日(安芸区のわが家付近)天候:(雨模様)くもり
維新を推進した志士の一人ですね。
どうも初代内閣総理大臣と言うこ
とで、ついつい明治政府が立ち上
がった後からのイメージが強いで
すが、高杉晋作らとともに長州の
藩論を尊皇譲位へともっていく際
の一人です。
光市に邸宅を構えていたのですね。
百姓・林十蔵の長男としてこの地に生まれたことも知らなかったのです。
この旧伊藤博文邸を見学して、
父が足軽・伊藤弥右衛門の養子となり伊藤姓となったことも知らなかったのです。
明治維新の人材を輩出した吉田松陰の偉大さがわかりますね。
わが町(西国街道)を伝馬町獄舎へ護送される途上通り、詠んだ監視があります。
http://masuda901.web.fc2.com/page5chx27.html