和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:117日目 文 茲に在らずや


文 茲(ここ)に在らずや


「子、匡(きょう)に畏(い)す。曰(のたま)わく、文王既に没したれども、文 茲に在らずや。天に将に斯の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯の文に與(あずか)るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其れ予(われ)を如何にせん。」


■その意味は?

孔子(先生)が衛から陳へ行かれる途中の匡の町で恐ろしい目に遭われた。そのとき孔子(先生)が言われた。
『聖人と仰がれる文王はすでに死んでこの世にはいないが、その道は現に私自身に伝わっているではないか。天がこの文〔道〕を滅ぼそうとすると、私〔後死の者〕はこの文にあずかることができないはずだ。天がまだこの文〔道〕を滅ぼさない限り、匡の人たちは、絶対に私をどうすることもできないだろう。』

(「論語」一日一言より)

  
■感想

まさに孔子(先生)がお弟子さんたちに、自ら学んだことを後世に引き継いでいくことの困難さを読まれた句といえよう。

そして、孔子(先生)の想いというのは、後のお弟子さんやまたそのお弟子さんたちによって、大切に大切に引き継がれ、現在に至るわけである。

支那では文化大革命、日本では敗戦の大変革という、まさに超新時代を迎え、それまで祖先たちが永く守り続けてこられたものが、尽く否定され続けてきたわけではあるが、またこうして蘇ろうとしていることに、なんとも言えぬ想いが込み上げてくる。


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