有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

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昭和初年の高円寺文化について教えていただきました

2019-03-17 12:22:54 | 学問
昭和10年代に高円寺に住んでいた台湾人作家・翁鬧(おうごう)について、台湾の映像制作会社がドキュメンタリーを撮るそうで、そのディレクターであるリン・チュンニーさんが来日、高円寺で取材を続けています(杉並区役所も高円寺の商店街もこぞって協力しています)。
それに協力しているコクテイルの狩野さんの仲介で、先週、高円寺在住でまさに現代の高円寺文士・荻原魚雷さんと一緒にリンさんと、コクテイルで色々とお話ししました。
なんとリンさんは日本生まれで6歳まで日本に住んでいたので、日本語はペラペラ。とても楽しく、勉強にもなった時間でした。

そのなかで、翁鬧意外にもたくさんの台湾人文士が高円寺には住んでいたことを教えてもらいました(リンさんは何と、翁鬧が下宿していた場所も突き止め、その近所の八百屋のおじさんとかにもインタビューしていました。すごい!)。
また、魚雷さんはさすがに専門家で、昭和初年の文壇状況や高円寺在住の作家・詩人・芸術家などについて詳細に話していただけました。
私は大して役に立たず、ひたすら勉強させていただいただけでした。

昭和初年の高円寺は、関東大震災で都心が壊滅したあと、新開地で家賃などが安かったため下町からたくさんの人が移住し(だから今も下町的な人情の厚いところがある)、それに合わせて貧乏なインテリ・文士・芸術家達も移り住んできたと言われるわけですが、同様に「外地」から来た人たちにとっても住みやすい街だったようです。
面白いのは、プロレタリア作家もモダニスト作家もごちゃ混ぜで付き合っており、夜にカフェで顔を合わせては文学論を戦わせたりしたようで、その親分に新居格がいて貧乏なインテリを世話していたそうです。
そういう文化状況が消えて、ファシズム的雰囲気になっていくのは日中戦争以降なのかもしれません(これはもうちょっと調べないと分かりませんが)。
そういう地域的・時代的特徴があったからこそ、戦後になって初の民選区長としてアナキストである新居格が杉並区長に当選したのでしょう。
なんたって、アナキストが区長だった自治体って・・・。すごい面白いですよね!
そういうお話に加えて、魚雷さんから、読んだ方がいいという本を色々教えてもらったので、それらをこれから読んで、「東アジアにおける昭和モダニズム時代の高円寺文化」についてもっと勉強したいと思っています。
いや~、楽しかった!
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