ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

過ちは繰り返しませぬから

2020-08-06 10:52:17 | 日記
NHKの朝ドラを見ようとテレビをつけたら、きょうは広島原爆の日、平和記念公園で記念式典が行われていた。テレビの画面に映し出されたその様子を見ながら、「ああ、もう8月6日なのか」と、時が過ぎる速さに妙な感慨がわいた。テレビの画面には大きく原爆死没者慰霊碑が映し出され、そこに刻まれた碑文が目に入った。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」。

この碑文を目にするとき、いつも思うのだが、この「過ち」をおかしたのは、一体だれなのか。この「過ち」とは一体何なのか。
これではまるで我々日本人が戦争という「過ち」をおかしたみたいではないか。自虐史観もここに極まった感がある。ここにいう「過ち」とは原爆投下であり、この「過ち」をおかしたのはアメリカ軍にほかならない。そうである以上、慰霊碑の碑文にはそのことを明記して、責任の所在をはっきりさせるべきではないのか。ーー私はかねてそう思ってきた。

気になったので、この碑文が慰霊碑に刻まれるに至った経緯について、ネットで調べてみた。Wikipedia に、次のような記述が見つかった。すこし長いが、そのまま転載する。

「慰霊碑の石碑前面には、『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』(やすらかにねむってください あやまちは くりかえしませぬから)と刻まれている。
この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた『この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる』に準じたものであった。
この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。GHQによる占領が終了し、加害国である米国とのサンフランシスコ講和条約発効後の1952年(昭和年)8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。
また同年8月10日付の中国新聞には『碑文は原爆投下の責任を明確にしていない』『あくまで原爆を投下したのは米国であるから、『過ちは繰返させませんから』とすべきだ』との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、『広く人類全体の誓い』であるとの意見が寄せられた。浜井市長も『誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない』と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。」

いや〜、天邪鬼爺が考えるようなことは、もうとっくの昔に言われていたんだね。これを受け、毅然と応える平和主義者の面々も、なかなかどうして立派なものだ。Wikipedia のこうした記述こそ、碑文の傍らにでも添えられるべきだと爺は思うのだが、いかがだろうか。
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