ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

新型コロナと東京オリンピック

2020-02-10 09:56:18 | 日記
新型コロナウイルスの出現の地、中国・武漢の例が示すように、多くの人が集まる催し事はウイルス感染が拡大する決定的な引き金になる。感染の拡大を食い止めるには、催し事や集会の禁止が必要になる。必要とされるなら、行政当局に禁止の措置をとる権限を与えることも、やむを得ない場合がある。大げさに言えば、憲法を改正して、緊急事態条項を盛り込むことが必要になる場合もあるということである。

だが、そんな面倒なことをせずに、集会を中止にできるケースがあることも事実である。たとえば、この夏に開催予定の東京オリンピック。この国際競技大会を開催するかどうかを決めるのは、IOCおよび(日本政府が設置する)「東京オリ・パラ競技大会推進本部」だから、現行の法体系の下でも、政府がその気になりさえすれば、その開催を中止にすることは充分に可能なのである。

日本政府は、東京オリンピックの開催が新型コロナウイルスの感染拡大の引き金になり、国民の福祉を大きく損なう恐れがあると判断すれば、閣議により、開催中止の決定を下せるのである。

けれども、東京オリンピックほどのビッグイベントとなれば、これで一件落着となるわけではない。この国家的イベントを起死回生のビジネス・チャンスと考えている企業人は少なくない。開催中止の政府決定には、さまざまな反対意見が出されるだろう。

「あなたがた国民の生命を守るためなのです」と厚労大臣が釈明しても、「何を言うか。オリンピックが中止になったら、俺たちは収入が半減して、生活できなくなるんだぞ。俺たちの生命(いのち)を奪うつもりか!」と抗議をする声も(たとえば都内のホテル業界などから)出るに違いない。莫大なカネを支払い、オリンピック競技の放映権を獲得したテレビ局も、黙ってはいないだろう。複雑に絡み合う利害関係を解きほぐし、上手に調整する政府の力量が問われることになる。

結局、行き着くところは、相も変わらぬ利害の調整であり、ここで必要とされるのは、昔ながらの自民党的な政治力学的考量なんだね。
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