ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

宗教は難しい

2022-11-26 04:26:48 | 日記
宗教的な信仰心とは、なんとも微妙で不思議なものだ。信心を持たない者からすれば、それは不可解で厄介ですらある。

たとえばイスラム教に「ザカート(喜捨)」という宗教的な行いの形がある。Wikipedia によれば、これは「困窮者を助けるための義務的な行い」を指し、「制度喜捨」あるいは「救貧税」とも訳される。
「義務的」とあるからには、これは強制されて、嫌々なされる行いであるように思えるが、そうではない。コーランの教えを信じる者からすれば、それは自ら好んで行う自発的な行いであって、アッラーによって命じられるからではない。

「そんなのはまやかしさ。信者は、マインドコントロールにかけられてそう思い込まされているだけなのだ」と言いたくなるが、そう言い切れないところが、宗教の微妙なところである。そもそも宗教とは、強制と自由とが表裏一体をなす、ある種不可解な幻想領域なのではないかと思う。

こうしたイスラムの教えは、イエス・キリストの教えにも通底している。

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、日々十字架を負い、そして私について来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、私のために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」
(ルカの福音書9・23−24)

イエスの弟子たちの中には、イエスのこの言葉を信じ、自分の全財産を投げだそうとした者もいたことだろう。この哀れな信者を「マインド・コントロールにかけられた犠牲者」と呼ぶことができるかというと、必ずしもそう言い切れないところが宗教の微妙なところである。

私・天邪鬼爺のような不信心者にとって、宗教は難しい。難しすぎる。そう思うこの頃である。
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