今やすっかり時の人となった塚原夫妻だが、彼らが宮川選手にはたらいた行為
は、はたしてパワハラに該当するのかどうかーー。この件を調査すべく体操協
会が設置した「第三者委員会」の、その委員長名が発表された。岩井重一弁護
士だという。この弁護士が朝日生命の、その関連会社の顧問弁護士であること
が明らかになり、テレビやネットをざわつかせている。朝日生命といえば、
(塚原夫妻が運営する)「朝日生命体操クラブ」の協賛企業である。ほかでも
ない、そのことが問題なのだ。
つまり、「第三者委員会」の委員長は(調査対象者である)塚原夫妻と(朝日
生命を通じて)明白な利害関係を持っている。このような人物が委員長をつと
める「第三者委員会」が「中立・公正な立場で徹底的な調査を行う」ことな
ど、できるはずがないではないか。
岩井弁護士自身は、「どこからか影響を受けることはまったくない」として、
「第三者委の独立した立場」を強調しているが、ホントに彼は「独立した立
場」を貫くことができるのだろうか。
ともあれ、こういう疑惑を免れない弁護士を、わざわざ諮問機関である「第三
者委員会」の委員長にすえた体操協会は、常軌を逸しているとしか言いようが
ない。
これほど見え透いた茶番を演じる体操協会は、塚原夫妻と同じ穴のシンパなの
か、それともただ「事なかれ」の円満決着を望んでいるだけなのだろうか。
いずれにせよ、幕引きの形は明白である。塚原夫妻は晴れて無罪放免となり、
お咎めなしの公算が高い。無罪の裁定を下す委員会の判決文は、「朝日生命体
操クラブが果たした体操界への貢献は大きく、決して無視できるものではない」
などと述べるのだろう。
これで一件落着の運びだが、この事件は哲学者ニーチェの慧眼を例証する格好
の事例になっている。事は彼の〈力への意志〉論、および「遠近法主義」思想
に関わっている。このテーマは塚原問題の決着とは別に、哲学マニアである私
の興味をそそらないではおかない。これについては(余裕があれば)稿を改め
て、おいおい論じることにしよう。
は、はたしてパワハラに該当するのかどうかーー。この件を調査すべく体操協
会が設置した「第三者委員会」の、その委員長名が発表された。岩井重一弁護
士だという。この弁護士が朝日生命の、その関連会社の顧問弁護士であること
が明らかになり、テレビやネットをざわつかせている。朝日生命といえば、
(塚原夫妻が運営する)「朝日生命体操クラブ」の協賛企業である。ほかでも
ない、そのことが問題なのだ。
つまり、「第三者委員会」の委員長は(調査対象者である)塚原夫妻と(朝日
生命を通じて)明白な利害関係を持っている。このような人物が委員長をつと
める「第三者委員会」が「中立・公正な立場で徹底的な調査を行う」ことな
ど、できるはずがないではないか。
岩井弁護士自身は、「どこからか影響を受けることはまったくない」として、
「第三者委の独立した立場」を強調しているが、ホントに彼は「独立した立
場」を貫くことができるのだろうか。
ともあれ、こういう疑惑を免れない弁護士を、わざわざ諮問機関である「第三
者委員会」の委員長にすえた体操協会は、常軌を逸しているとしか言いようが
ない。
これほど見え透いた茶番を演じる体操協会は、塚原夫妻と同じ穴のシンパなの
か、それともただ「事なかれ」の円満決着を望んでいるだけなのだろうか。
いずれにせよ、幕引きの形は明白である。塚原夫妻は晴れて無罪放免となり、
お咎めなしの公算が高い。無罪の裁定を下す委員会の判決文は、「朝日生命体
操クラブが果たした体操界への貢献は大きく、決して無視できるものではない」
などと述べるのだろう。
これで一件落着の運びだが、この事件は哲学者ニーチェの慧眼を例証する格好
の事例になっている。事は彼の〈力への意志〉論、および「遠近法主義」思想
に関わっている。このテーマは塚原問題の決着とは別に、哲学マニアである私
の興味をそそらないではおかない。これについては(余裕があれば)稿を改め
て、おいおい論じることにしよう。










