泥舟が沈みはじめると、ネズミが逃げ出す。沈没が必至の自民党から、公明党が逃げ出した事情については、すでに書いた(5月12日《「下駄の雪」に見放された自民党は》)。
ネズミは1匹とは限らない。泥舟から逃げ出したネズミがもう1匹いた。国民民主党である。
きのうの朝日新聞に、次のような記事がのっていた。
「ともに旧民主党を源流とする立憲民主党と国民民主党が、再接近している。政治資金規正法改正案の共同提出に向けた協議が大詰めを迎えており、次期衆院選の候補者調整も視野に入れる。(中略)
再接近のきっかけは、昨年12月に発覚した自民党派閥の裏金事件だ。自民に世論の批判が集中するなか、国民民主が与党寄りの路線から転換した。さらに4月の衆院3補選で立憲が全勝。政治改革が後半国会の最重要テーマとなるなか、国民民主は野党寄りの路線をより明確にしている。」
(朝日新聞5月15日)
立憲民主と比べれば「自民寄り」と見られていた国民民主が、泥舟と化した自民を見限り、野党寄りのスタンスをとりはじめたというのである。
立憲民主も国民民主も単独では政権はとれない。相ともに手を組んだほうが自民に代わって政権の座にすわれると読んだのだろう。
ただ、問題がないわけではない。両党はともに労働組合の「連合」を支持母体としており、「きょうだい政党」とも言われるが、「国民民主内には立憲への忌避感が根強い」ため、「選挙での連携に至るまでの道のりは険しい」と見られるからである。
両党の間の「忌避感」は近親憎悪に似たものがあり、トリヴィアルな問題が大きな憎悪の種になったりする。「政権奪取」という共通の目標を前にして、両党がどこまで「小異を捨てて大同につく」ことができるかが鍵になるだろう。
泥舟の沈没は、公明党、国民民主党以外にもさまざまな化学反応を引き起こす。国民民主と同様、「自民寄り」と見られている日本維新の会だが、この党も国民民主と同様、野党に色目をつかいはじめるのだろうか。それとも公明党に取って代わり、自民との共闘路線にはっきりと舵を切るのだろうか。
今後の化学反応を見るのが楽しみである。
ネズミは1匹とは限らない。泥舟から逃げ出したネズミがもう1匹いた。国民民主党である。
きのうの朝日新聞に、次のような記事がのっていた。
「ともに旧民主党を源流とする立憲民主党と国民民主党が、再接近している。政治資金規正法改正案の共同提出に向けた協議が大詰めを迎えており、次期衆院選の候補者調整も視野に入れる。(中略)
再接近のきっかけは、昨年12月に発覚した自民党派閥の裏金事件だ。自民に世論の批判が集中するなか、国民民主が与党寄りの路線から転換した。さらに4月の衆院3補選で立憲が全勝。政治改革が後半国会の最重要テーマとなるなか、国民民主は野党寄りの路線をより明確にしている。」
(朝日新聞5月15日)
立憲民主と比べれば「自民寄り」と見られていた国民民主が、泥舟と化した自民を見限り、野党寄りのスタンスをとりはじめたというのである。
立憲民主も国民民主も単独では政権はとれない。相ともに手を組んだほうが自民に代わって政権の座にすわれると読んだのだろう。
ただ、問題がないわけではない。両党はともに労働組合の「連合」を支持母体としており、「きょうだい政党」とも言われるが、「国民民主内には立憲への忌避感が根強い」ため、「選挙での連携に至るまでの道のりは険しい」と見られるからである。
両党の間の「忌避感」は近親憎悪に似たものがあり、トリヴィアルな問題が大きな憎悪の種になったりする。「政権奪取」という共通の目標を前にして、両党がどこまで「小異を捨てて大同につく」ことができるかが鍵になるだろう。
泥舟の沈没は、公明党、国民民主党以外にもさまざまな化学反応を引き起こす。国民民主と同様、「自民寄り」と見られている日本維新の会だが、この党も国民民主と同様、野党に色目をつかいはじめるのだろうか。それとも公明党に取って代わり、自民との共闘路線にはっきりと舵を切るのだろうか。
今後の化学反応を見るのが楽しみである。
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