ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

小室圭くんとプライバシー

2019-03-17 13:54:56 | 日記
秋篠宮家の長女・眞子さまと、婚約内定者である小室圭さんとの結婚話が、何かとメディアを賑わしている。最近、こんな記事を読んだ。

秋篠宮家に近い関係者が言う。
「秋篠宮さまは精神的に相当に参っていて、医師も心配している状況だそうです。かなりおやせになられました。愛娘の嫁ぎ先について知らないことが次から次に報道され、ショックが重なっていらっしゃいます。」
                   (NEWSポスト3月15日配信)

私も娘を持つ身だから、よくわかる。娘に付き合っている人がいると知ったら、“彼はどんな人柄なの?“とか、”どんな家庭なの?”などと尋ねただろう。娘はもう結婚していて、子供も二人いるが、結婚前、彼氏(今の夫)がどんな人柄であり、どんな家庭に育ったかを、私や妻にざっくばらんに話してくれた。眞子さまの場合は、これとは違って、「(両親が)小室家についていろいろ尋ねたり、調べたりすることについて、拒否反応を示された」のだという。

隠されれば、知りたくなるのが人情というもの。「そんなことなんて、どうでも良いでしょう!」と言われれば、私などはかえって根掘り葉掘り詮索したくなる。

「人のプライバシーに立ち入るべきではない」ーー。眞子さまが、両親の詮索に固く心を閉ざすのは、こういう考え方からではないだろうか。「人のプライバシーに立ち入るべきではない」。ーーこの考え方は、個人情報保護法のベースにある考え方でもある。

かつて私は本ブログで、個人情報保護法のベースにある考え方を批判したことがある。それは、この考え方が社会の絆を解体し、社会をバラバラの個人の寄せ集めに変えてしまうからである。昔の家族的な共同体(ゲマインシャフト)でなら、だれそれがどんな人柄であり、どんな家庭で育ったかは、聞くまでもなく明らかだった。近代社会(ゲゼルシャフト)では、そうはいかない。その個人主義の傾向を助長するのが、個人情報保護法なのである。

「個人情報保護法」は、一人ひとりを、顔のないのっぺらぼうの「市民」に変え、人と人との間のつながりを引き裂いてしまう。(中略)
人はだれでも様々な属性を持っている。その属性が、人と人との関係を規定し、人と人とをつなぐ連結具の役割を果たしている。ところが「個人情報保護法」は、その属性に関する情報のほとんどをヴェールで覆い、相互に見えないものにしてしまうので、結果、人と人とが関係し合うことを不可能にしてしまうのだ。
             (2015年12月6日《戦略を変更すれば》)

個人情報保護法と、そのベースにある考え方は、社会のあちこちでさまざまな問題を引き起こす。その端的な一例が、秋篠宮家の問題だと言えるだろう。
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