ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

夜は自虐の歓び

2018-07-14 11:55:01 | 日記
私にはおかしな趣味がある。往年のアイドルの、その後の「今」を覗き見る
楽しみである。たとえば天▲真●などは、昔は天真爛漫な、可愛い、魅力あ
ふれる女の子だったが、YouTubeで見ると、今は老人ホームでよく見かける
ただのフツーの老女で、十代の頃の少女の姿は見る影もない。〈時間〉とい
うものの残酷さを思い知らされる。

若かった頃のあの青春の思い出は、もう戻らない。別れた彼女は今はどこで
どうしているのか・・・。夜、アルコールのグラスを傾け、追憶にひたりなが
ら、ヒリヒリするウィスキーの刺激にまぎれた〈時間〉の残酷さを舌先で転
がすひとときの、その自虐的な快楽は、何にもかえがたい。

昨夜は、西城秀樹と野口五郎の交友を特集したTV番組を観た。西城秀樹の
名前に惹かれ、この番組にチャンネルを合わせたのだが、考えてみれば、こ
の歌手と私との接点は、ただ一つしかない。彼が二度、脳梗塞で倒れ、片麻
痺の後遺症を背負って過酷なリハビリ生活を送っていた点である。同病相憐
れむ。同じ脳卒中といっても、私の場合は脳出血で、厳密には同病ではない
が、彼が背負った片麻痺の後遺症は、私とさほど変わらない。彼が二度目の
脳梗塞に見舞われたのは、奇しくも私が(一度目の)脳出血を発病した年と
同じで、この点でも私は彼を比較的自分に近い境遇だと見なしていた。

それだけである。彼の歌う唄は私の胸には響かなかった。当時の私は、ビー
トルズや、井上陽水や、吉田拓郎の(余り熱心でない)ファンだったが、西
城秀樹の歌はそれらとは趣を異にし、私の心には訴えなかった。だからTVに
流れるヒデキのヒット曲を聴いても、私は懐かしさをまったく感じなかった。
懐かしさの感情をともなって蘇える、当時の思い出がまったくなかったので
ある。

ヒデキや五郎が数々のヒット曲を飛ばして輝いていた頃、私は何をしていた
のか。・・・私は、そう私は、当時、小説家として世に出るべく、悪戦苦闘して
いた。結局、私の夢は(当然と言うべきか)無惨に打ち砕かれ、その頃の記
憶は暗黒の墨色一色に染まったまま、苦い思い出として記憶の闇へと沈殿し
た。ヒデキや五郎が輝ける光なら、私はくすぶり続ける濃い闇あるいは深い
靄だった。その意味でも、この二人は私とは対照的で、私には縁のない存在
だった。

今は年老いて、シワが深く刻まれた五郎の顔。TVの画面に大写しになったそ
の顔を眺めながら、私は、(YouTubeで見た)秀樹のリハビリに励む姿を思
い浮かべた。ヒデキといい、五郎といい、あんなにカッコよかったこの二人
が、時には逆らえず、こんなになってしまうのだから、この私がこんなに老
いぼれてしまうのも、当たり前だよなあ・・・。昨夜は久しぶりに、自虐の歓び
に浸ることができた夜だった。
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