ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

今夜は踊ろう

2018-03-16 10:58:01 | 日記
右に進むか、左に進むか、我々は自分で自由に決められると思っている。だ
が、そんな我々を深いところで決定している、もっと大きなものがあるので
はないか。たとえば、「勇敢にふるまおう」と我々が思うとき、その思いに
母親の価値観がどうしようもなく作用しているように。

そう考えるとき、思い浮かぶのは、花鳥風月が我々に及ぼす心的作用であ
る。季節や天気の移ろい、と言ってもよいだろう。春のポカポカ陽気に誘わ
れて、我々は野原を駆けまわりたくなるのではないか。星空がきれいな夜は、
海辺に出てつい踊りたくなるのではないか。

青い星の光が 遠くに
またたく浜辺には
今宵も 今宵も
波のしぶきが さわいでいるぜ
星の光がステキな
夜空のシャンデリアさ
夜明けが 夜明けが
来るまで踊ろう
        (荒木一郎「今夜は踊ろう」)

風のそよぎを感じれば、我々はこの日常の場を離れて、どこか遠くへ旅に
出たいと考える。漂泊へのあこがれはほとんどの人が持っている。

片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず

これは松尾芭蕉『奥の細道』の冒頭の一節であるが、井上洋治氏はこの
件(くだり)を引用して、これを次のようにパラフレーズしている。

「生きとし生けるものの余白の風が、如何ともなし難く、芭蕉を旅から旅へ
と駆り立てていったのであろうと思われます。」(45頁)

井上氏は、芭蕉の漂泊への思いに、「生きとし生けるものの余白を吹き抜け
てくる天然の風によって、私たちの人生は支えられ、生かされ、一つにまと
められている」(29頁)という、(宗教的とも言える)氏独自の見解を重ね
合わせるのである。

春が来れば、野には花が咲きほこり、木々は緑に色づきはじめる。春の大気
に誘われて浮き立つ我々の心も、そうした自然の事物と同様、季節の運行に
よってーー「生きとし生けるものの余白を吹き抜けてくる天然の風」によっ
てーー規定されているのではないか。

きのう、きょうと春のポカポカ陽気で、私の心も日常の雑事を離れて、つい
ウキウキ。テレビの天気予報では、けれども今日の午後からは気温が急激に
低下して、真冬に逆戻りとか。そうなれば、私の心も再びメランコリーに沈
んでしまうのだろうか。・・・それは神さまだけが知っている?
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