ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

視点のコペルニクス的転換は如何にして

2018-03-12 22:24:09 | 日記
主から従へ、という「視点のコペルニクス的転換」は、如何にしてなされる
のか。井上氏はその経緯を、旧約聖書の『ヨブ記』に即しながら説明してい
る。とりあえず、氏の言葉に耳を傾けよう。

まず、ヨブとはどのような人物なのか。

「あるところに熱心に神さまを信じているヨブという人がいるわけなので
す。非常にお金持ちでありまして、子供にも恵まれていて、すべてがうまく
いっているわけです。そのヨブがある日、子供を失くし、持ちものを失く
し、自分も病気になり、非常な苦しみに打ちひしがれます。」

そのヨブが体験するのが、次のような出来事である。

「ヨブはひとりで病気の中でのたうって苦しんでいるわけなのです。
そこへ嵐の中から神の声が聞こえてくるのですね。ヨブに。旧約聖書の神さ
まは大変おっかない神さまですから、ここでもヨブを慰めてくれるなんても
のではなくて、お前は俺と法廷で争うとか、生意気なことを言っているけれ
ども、お前はだいたい世界はどのくらい広いか知っているのか、海の深さは
どのくらいあるのか知っているのか、生意気なことを言うな、と非常に厳し
い声で迫ってくるわけなのです。そのときヨブは、神さまのすごい声に出
会って、ひっくり返ってしまって、いやもう分かりました、私はもう黙りま
す、というのです。
それまでヨブというのは、自分がお願いすることは皆聞き入れられて、幸福
であって、お金は儲かって、神様は全部いうことを叶えてくださっている。
それが全部叶えられなくなって、ヨブは苦しむ。その苦しみの中で初めてヨブ
は本当の意味で神と出会って、いわばひっくり返ったのです。そして自分が従
であって、神が主であるということを悟った、神と出会う以上素晴らしいこと
はない、著者はそう言っているのだと思います。
先ほど言いました視点の転換が起こったわけです。」

ヨブは苦しみの中で神に出会い、視点の転換を体験する。それは嵐のように、
一気呵成に行われる。ーーだが、そんなふうに言われても、ちんぷんかんぷ
んで、自分には何のことかまったく理解できない、と言う人が大半だろう。

そもそも我々は、ヨブが味わった内的体験を、リアルに追体験することがで
きるのだろうか。

ヨブは大金持ちで、子宝にも恵まれ、何不自由なく、幸せな生活を送ってい
る。このヨブの内面を、我々は想像することができる。ビル・ゲイツになっ
たと思えばよい。それが無理でも、(ボーナスをつぎ込んで買った)大穴ね
らいの馬券が、偶然(奇跡的に)、高配当の当たり馬券になったと考えれば
よい。それだけではない。ヨブのように、子宝に恵まれた人ーー恵まれたと
思っている人は、それこそたくさんいることだろう。子宝に恵まれなかった
人でも、資産運用などをして、そこそこの暮らし、なに不自由のない平穏な
暮らしをしている人は少なくないはずだ。

さて、そんなあなたが、ある日、忌まわしい病魔に襲われる。これは単に想
像上の出来事ではなく、いつ現実になってもおかしくない高い確率の可能性
である。日本人の2人に1人がガンになり、3人に1人がガンで亡くなると
言われている21世紀の日本である。脳卒中に関しては、日本の発症者数は年
間で29万人に達し、その半数以上が死亡したり、介護が必要な状態になると
言われている。
(ヨブの妻のように)要介護の状態になった夫を見限り、離縁して去ってい
く妻も多い。大事に育てた子供を、交通事故などで失う親も少なくないだろ
う。

その意味では、現代の日本でも、ヨブの予備軍は至るところにあふれている
のである。

ただ、我々には及びのつかない点が一つだけある。それはヨブが、全知全能
で唯一なる神の存在を、信じて疑わないことである。ヨブは、偉大なる神が
存在し、神がこの世のすべてを支配している、と固く信じている。だからヨ
ブは、自分が逆境におちいったとき、「これは神の仕業だ、神が自分を陥れ
ようとしているのだ」と思い、神と対決しようと考えるのである。神の月並
な信者である自分が逆境におちいったとき、信仰心の薄い我々なら、「ああ、
やっぱり、神さまなんていないんだ・・・」と考えるだろう。だが、ヨブはそん
なときでも、神は断じて存在すると信じて疑わないのである。

この根本的かつ重要な一点で、決定的に違ってしまっている我々には、ヨブ
の内的体験の核心、つまり「視点のコペルニクス的転換」は、いつまでも遠
いままだと言わなければならない。では、この視点の転換に至る道は、他に
ないのだろうか。
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