ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

過去記事をめぐって

2018-03-04 10:57:52 | 日記
ブログ記事をアップしたあとで、書き漏らしに気づき、「しまった!これこ
れについても、書いておけばよかった」と思うことがある。いや、こう書い
たほうが、簡潔な記事になったのではないか、と思うこともある。
たとえば、おとといの《改憲論議をどうする》。夢枕に立った「あのお方」
が、こう述べるくだりである。

「え?なんですって?(憲法の中身を)変えるつもりがないのなら、改憲の
必要もないのではないか、ですって?憲法を改正した名宰相として、歴史に
名を残したいだけじゃないのか、ですって?」

この文章に、次の一文を加えればよかった、と私は思ったのである。
「ことさら改憲論議を盛りあげようとしているのは、モリカケ問題がら国民
の目を逸らすための、一種の目くらましではないのか、ですって?」

こんな疑問が生じたのは、最近、国会審議の場で、モリカケ問題が再燃しつ
つあるからである。一年ほど前、我がアベ首相は北朝鮮のミサイルという
「国難」を、モリカケ問題の目くらましとして利用したが、この「国難」が
去ったかに見える今、「あのお方」は、今度は改憲論議を新たな目くらまし
の方策として利用しようとしているのではないか。

毎日新聞はきょうの社説《逃げの答弁続く安倍政権 質疑の劣化が止まらな
い》で、次のように論じている。
「今度は「森友学園」問題に関して、財務省が決裁文書を改ざんしたのでは
ないかという疑惑が朝日新聞の報道で浮上。2日の参院予算委審議はこの問
題に集中した。(中略)麻生氏や財務省は、司法当局の捜査に影響を与える
可能性があるとの理由で「答えは差し控える」とかわし続け、審議は再三中
断。(中略)予算委員会は予算案を中心に国のさまざまな課題を整理し、国
民と問題意識を共有する場だ。ただし建設的な審議にするためには、政府が
野党側の疑問に対し、その都度きちんと答弁していくのが前提だ。」

野党側の質問には「しっかり丁寧に」答えると言いながら、その姿勢のかけ
らも見せないアベ首相の態度に、国民は怒りを募らせていますぜ。−−私は
「あのお方」に、こう言いたかったのである。

さてもう一つは、きのうアップした記事《銃乱射社会を考える》についてで
ある。銃の乱射事件が頻発するアメリカでは、(A)と(B)と、2つの考え方
の間で熾烈な「闘い」が見られる、とするグルーグマンのコラムを紹介した
が、一方の(B)の考え方(「銃の所持を個人の基本的な自由権として認め、
各人の生存権は各人の努力に任せる」という考え方)について、ふと気づい
たのだ、この考え方は、政治哲学でいう「リバタリアニズム(自由至上主
義)」そのものではないか、と。

リバタリアニズムは税の徴収問題をめぐって、リベラリズムに対立するもの
として論じられることが多いが、アナーキズム(無政府主義)につながる可
能性を持ったこの物騒な考え方、リバタリアニズムが、銃の規制問題にまで
顔を出していたとは、私には新鮮な驚きだった。

(B)の考え方を「リバタリアニズム」と言い換えれば、この記事はもっと簡
潔なものになったのではないか、と思ったのだが、そうすると、今度はこの
「リバタリアニズム」について、長々しい説明が欠かせなくなる。そううま
くはいかない。記事を簡潔にするために、ではどうしたらいいか、いまだに
あれこれ思案している。
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