ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

大相撲ショービジネス

2017-12-04 17:12:17 | 日記
私は格闘技を見るのが大好きだ。特に好きなのがボクシングで、タイトルマッ
チがテレビで放映されるときには、何をさておいても見ることにしている。

もっとも、格闘技なら何でもいいというわけではない。たとえばプロレス。嫌
いというわけではないが、興味が持てず、テレビの放映があっても、わざわざ
見る気にはなれない。なぜなのか。よく考えてみれば、プロレスは格闘技では
なく、格闘技の外見をまとった見世物(ショー)に過ぎない、と私は思ってい
るのだろう。ガチンコ勝負でないものに、私は興味が持てないのだ。

大相撲はどうか。これについては、たまに八百長の噂が立ったりすることがあ
るが、これは例外の部類で、基本的にはガチンコの勝負が行われている。ーー
そう私は信じてきた。だから、日馬富士の暴行事件にからんで、八百長疑惑が
報じられたりすると、胸が騒いで、いてもたってもいられなくなる。あの大横
綱の白鵬がガチンコ勝負を避けようとしたなんて、ーーそんなあるまじきこと
が行われていたなんて、ホントなのか!

きょう、面白い(とはいえ耳が痛くなるような)記事に出会った。《日馬富士
と貴乃花と相撲の世界について、経済学者が率直に思うことーー「改革」「改
革」とは言うけれど》(「現代ビジネス」12月4日配信)である。「そんな
あるまじきことが行われていたなんて、ホントなのか!」と憤る私に、この記
事の筆者であり、経済学者である高橋洋一氏は、「まあ待て、落ち着け。頭を
冷やして、よく考えてみろ」と語りかける。八百長をやらず、ガチンコ勝負ば
かりやっていたら、年に6場所の興行なんて、できるわけがないのだ。あれは
な、ショーなのだよ。そこのところを冷静に考えてみろ、と。高橋氏はこんな
ふうに書いている。

興行でいうと、プロレスなどの格闘技ビジネスでは、「ガチンコ」(プロレス
では「シュート」という)でない「ショー的な要素」が入っていることは否定
できない。
というのはビジネスとして考えたとき、「ガチンコ」は怪我のリスクが高く、
定期的な興行をうつ世界では成り立ちにくいからだ。(中略)ほぼ毎日興行の
あるプロレスラーが、毎回毎回「ガチンコ」を行うのは物理的に不可能であ
る。(中略)大相撲も、年6場所で1場所あたり15日間。毎日、とは言わな
いが、年中行われている。これをすべて「ガチンコ」でやったら怪我人が続出
し、大相撲もビジネスとして成り立たないのは容易に推量できる。

大相撲は伝統ある由緒正しい「国技」である。ーーこの「伝統的」な認識を、
我々は改めるべきだ。この記事を読んで、私はそう考えた。大相撲は、勧進元
が仕切る一大興行であり、れっきとしたショービジネスなのだ、と。

私が子供だった昭和30年代、私の周りには(私も含めて)熱狂的なプロレス
ファンが多かった。プラッシーやデストロイヤーといった悪役・アメリカ人プ
ロレスラーが、ここぞと繰り出す反則技にたじたじとなりながら、力道山が最
後に空手チョップで奴らを倒すのを見て、私たちはテレビを囲んで「いいぞ、
力道山!」と黄色い声援を送ったものだ。悪役・アメリカ人プロレスラーと力
道山が八百長のショーを演じているなんて、子供の頃の私は考えもしなかっ
た。八百長であろうとなかろうと、ただ純粋に面白かったのだ。今、老いぼれ
の私に、そういう見方ができるかどうか、それは分からない。

大相撲をショーとして演出しようとするなら、「ヒール(悪役)VS.正義の味方」
という古典的なキャスティングが有効かも知れない。そのときには、モンゴル
人力士を使わない手はない。強いからこそ、悪役映えもするというものだ。悪
役には強面が欲しい、と言うのなら、デストロイヤーのように、マスクを被せ
れば良い。

でもなあ。様々な映像が国際的にばら撒かれるようになった昨今、モンゴル人
をヒールに仕立てるキャスティングは、何かと物議を醸すかも知れない。それ
に、「ヒール(悪役)VS.正義の味方」というありふれた二項対立の図式は、も
う通用する時代ではないのかも知れない。

さて、どんな物語に仕立てたものか・・・。大相撲のことを考えると、悩みが尽き
ない天邪鬼の爺である。
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