てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#244(街道をゆく④鳴和編)

2018年01月21日 13時21分03秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
前回からの続きで本日はここからスタート


今日は小雨まじりの曇DAYです


さて味方の本によると


ここになります。

旧街道は国道159号線から少し山手を沿って走ることになります。

ペアのお地蔵さん行ってくるね!


この地は百坂(ももさか)と呼ばれており


山へとつながる、


このような坂が百ほどあったからかな。


おや


大きな樹木。

保存樹指定番号111号、タブノキ、21mとある。

熊野神社です。


おっいいね。

2024年なら、あと6年か。

オイラも小学校時代にタイムカプセル埋めたかったなぁ、


しばらくいくと、柳橋のバスターミナル。


ここは北陸鉄道バスの北部営業所。

北陸鉄道バスがたくさん駐車していました。

どんどん進む。


山側環状線の神谷内ICにつながる道路を越えていきます。


またお地蔵様だ。


その横に水準点!

水準点・・・水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。

このあたりは少し高台になりますね。


右手に浅野川病院が見えます。ちょんと159号線に接して、


バウンドして、

わお!

再度くっつく。


旧街道は少しだけ159号線と重なります。

古い建物が見えます。

右から読みますが「創業嘉永元年」とあります。

ちなみに嘉永元年は西暦1848年ですから、今から170年前ですね。
帰って調べると、ここは金物のお店で、鋸、鋏、鎌があって、売れ筋商品は爪切りということです。


ここから旧街道は左に入ります。


旧北国街道の案内石標もあります。


ちなみにこの建物

昔バーガーキングというハンバーガー店だった。
無茶苦茶旨かったなぁ~

大樋橋を渡り、


この地を大樋町と呼ばれるが、
あの焼物の大樋焼と関係あるのかな?

旧街道の名残が色濃く残ってますね。


神社がある。


児安神社


ここには子授石なるものがあるようです。


入ってみよう。


ありました。


これが子授石。


また旧街道に戻って、進もう。


出ました!


この一本の松が有名なんです。


ここになりますが。


大樋松門


案内板もあります。


ふむふむ


味方の本にはこうあります。

昔はここからが金沢の城下町だったということ。

説明板をズームアップ。


こんな感じだったのかな。


では、城下に入ろう。


う~む、昔の建物ですよね。


米酒店とある。


呉服店さん。


文化元年か。

文化元年・・・西暦1804年、なんと今から214年前

石柱が立っている。


「石川県十名所義経旧蹟鳴和瀧」とあります。

義経というのはあの源義経のことである。

そうだね旧北国街道は義経・弁慶一行が京都から奥羽へ逃げ延びた道のりだから。

あの勧進帳で有名な安宅関を越えて、ここまでやって来た一行は、
この地にある滝の前で宴を開いたとされています。

ぜひ寄ってみよう。
ここです。


そして肝心の滝はこのちょろちょろのやつです。


この付近で宴会されたということ。


また街道に戻って、城下へ向けて進みます。


おっ!


火の見やぐら!


国道159号線に接続。


ここです。


今日はここまで


今回はこれだけ進みました。


次回の東山編に続く。
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