ゆるい遊び

生きるとは何かの役をやること

私たちは生きていますと何かの役をやっています。

家族では、家族の一員の父親、母親、子供、兄弟、孫。

会社では、会社員の役の正社員、アルバイト、部長、課長、社長。

学校では、学生の役の学生、部活。

とかく人は何かの役をやるということです。

幸せな役をやっている人もいれば不幸な役をやっている人もいるものです。

社会に迷惑をかける役をやってる人というのは、寂しいからもっと関わって欲しい役をやっていたりします。

悪さをする役をやっている人は、自分は、こんなにも悪いんだ、と思わせたい役をやっています。

不幸な役をやっている人は、悲劇の主人公の役をやっています。

つまり、みんな好きでその役をやっているんですね。

もし、嫌だったり、その役を我慢できないなら、もうやめているはずです。

しかし、今も続けられるとはすごい才能だし、我慢できる程度なんだと思います。

私が言いたいのは、何かの役を楽しめばいいのだと思います。

何かの役をやらないと「そのままの私」です。

そのままの私は確かに至福ですがいつもそうではありません。

ならば役を遊べばいいのです。

その役に愚痴が出るうちはまだまだです。

本当に深刻になりますと、笑ったり、静かになるものです。

ところが愚痴が出るうちはまだまだやれます。

なので私たちはまだまだやれますよ。

今日も、与えられた役を演じ切りましょう。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

yuruiasobi
@goo19888888 面白いね。
goo19888888
人生は「喜劇」
逆さになった壺を観て
「この壺には口が無い!!しょうがね~~~な!、、、」
ひっくり返して
「ありゃ!、、、底も、、、ねえや‼、、、こりゃダメ品だ」
他人なんて、、、そんなもんですよね。
自分が、、、壺であれば、、、それでいいんです。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る