「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

第四十六回 乙女通信 「駆け落ち」

2013年11月24日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●「真の大人」徳富蘆花さん!いやあ、でも、自分のことで精一杯!置いてくなんて男は身勝手!それでも勉学に励む久栄さん、やったりーな!

というわけで、今回は「八重の桜」第四十六回「駆け落ち」のレビューとなります。

えー、よろしくお願い致します・・・っていうか、もう46回目・・・あと4回を残すのみですねー。

さて、唐突ですが、唐突に思いついた企画やっときましょうか。

今後の人生に資する、このセリフ!

ということで、大河ドラマには、いろいろな「しあわせになる為の知恵」が散りばめられています。

それは特にセリフに現れる・・・ということで、そういうセリフがあった場合は・・・というか僕が見つけられた場合は・・・となりますが、

そのセリフをまず取り上げて、論じてみよう・・・それがこの企画の狙いですね。

というわけで、セリフそのものはうろ覚えになるので、正確ではありませんが、こんな感じのことを言っていた・・・そういう感じで取り上げてみましょう。


今回は、徳富蘆花さんが放った渾身のこのセリフ・・・。

「俺は食べる為に書くのでは無か。書くために食べるったい!」

このセリフですねー。

いやいやいや・・・この考えに辿り着いている大人こそ、「真の大人」だと僕は思いますね。

僕自身、思い出せば・・・三菱電機時代は、「食べる為に仕事をしていた」・・・だからこそ、鬱病になっちゃった・・・人生の目的を見つけられなかった、そういうことです。

しかし、今は、「書くために生きている・・・」そう言えます。


毎秒、書きたいことが湯水のように湧き上がってくるので、それで書いているんです。


書きたい事が、毎秒、湯水の如く、湧き上がってくるからこそ、書いているんですね。


まあ、日々、考えながらいろいろ書いていると、自然にそういう状況になってきます。ま、無理していない・・・というか、書くのが楽しくてしょうがないので、

「書くために食べる」

という表現になる。そこに辿り着いているので、自分としては、嬉しい・・・自分を作ってきたかいがある・・・そういうことですね。


まあ、「書く」という表現だけでなく、「真の大人」とはそういう仕事との関係性を作れているひとだと僕は思いますね。


「この仕事がしたいから、私は毎秒生きているの」


そう言える仕事をしている人間こそ、真の大人ですよ。


「金の為だから、仕方ない。生活の為だから、仕方ない」


こう言う仕事との関係性しか持てない・・・そういう人間では、仕事をしていて単に「ストレス物質」を自分の体内に溜めるだけでしょ?


それは僕の三菱電機時代と同じです。鬱病への道そのものです。


「この仕事をしたいの。この仕事の為にわたしは、生きていきたいの・・・」


そう素直に思えるような仕事との関係性を作れて、初めて、「真の大人」の称号が貰えるんですよ。


それを徳富蘆花さんは、言葉にしていたんですね。


だから、これから、いろいろな大人に質問してみるといいですよ。


「あなたは毎秒、その仕事をしたいからやっているんですか?それとも生活の為、言わば食べる為に、仕方なく、その仕事をしているんですか?」


とね。


「いや、この仕事をしたいから、やってるに決まっているじゃないですか!」


と答えられる人こそ、「真の大人」です。大人のしあわせスパイラル一直線・・・しあわせ感を毎日ガンガンに楽しめる人です。


だって、仕事をすると「ハッピーエナジー」を最大に体内生成しますからね。「充実した仕事」を出来るのは、こういう人たちです。


んで、「ハッピーエナジー」は美化、長命化、健康化、外見の若年化の要素ですからね。


ま、有り体に言えば「八百比丘尼化」が起こり・・・美しい大人になる・・・そういう人たちになれるんですね。


それに対して、


「生活の為ですよ。当たり前じゃないですか。人は仕事をしなければ、食べていけませんから・・・」


と答える人は、「真の大人」に成長出来ていない・・・まあ、言わば「嘘の大人」ですよ。


仕事をしながら、毎秒「ストレス物質」を溜め込むので、ブサイク化、短命化、不健康化、外見の劣化・・・まあ、ダサいおっさん、おばさん化する・・・そうなるんですね。


つまり、「真の大人」ってのは、毎秒「ハッピーエナジー」を溜め込むので、「八百比丘尼化」が起こるので、いつまでも恋の出来る「真の大人」になれるわけです。


逆に、「嘘の大人」ってのは、毎秒「ストレス物質」を溜め込むので、経年劣化が普通以上に進むので、人生が劣化する・・・誰からも相手にされない・・・孤立化する、


そういう状況を呼びこむことになるんですね。


だから、怖いですよ。そのあたり、シビアに結果が出ちゃいますからね。


気をつけなくては、いけませんね。「嘘の大人」にならないように、気をつけていきましょう。




さて、それでは、改めて、レビュー開始していきましょうか。



まあ、大河ドラマというのは、最終ターゲットというのがあるので、後半・・・それも終りが近くなってくると、時間の進み方が緩慢になってきたりするんですね。


どうやら、「八重の桜」の最終ターゲットは、同志社大学の設立に絞られた感があるので・・・それに向けて、すべてのストーリーが集約されていく・・・そうなっていく、


そんな感じになっていますね。


まあ、僕的には大学設立・・・ということにあまり、イベント感を感じられないので、


「まあ、そういうことなのかなあ」


的にボーっと捉えていますけどね。


まあ、もちろん、歴史的意義・・・というのは感じられますけど、まあ、


「それって事務処理なんじゃないの?」


的な思いもあって・・・まあ、それが最終回を迎えた時に、どういう思いに変化しているか・・・、


やはり歴史的意義は大きいと感じられれば、それでいいのかなと思っています


ま、人生なんて、死ぬまで「学びの機会」だと思っていますからね。


さて、ということで、今回は、「駆け落ち」・・・徳富蘆花さんと、久栄さんとの恋がメインで語られた回になりました。


まあ、時栄さんを追い出した八重・・・まあ、久栄さんに時栄さんとの今生の別れをさせようとした八重のとっさの判断だったんですけど、


それが久栄さんと八重さんとの溝を作っちゃった・・・という作劇でしたよね。


まあ、10代の女の子は繊細で、傷つきやすいですからねー。


そして、周囲からの声も知っている・・・あの不義の女の娘・・・まあ、10代でしかも賢い女性であれば・・・そんな声も聞こえてきますし、


気になるのは、当たり前ですよねー。


いつしか、厄介者同士の恋につながっていく・・・徳富蘆花・・・小説書きの男の子・・・久栄さんからすれば時代の最先端を行く男・・・そう見えたのかもしれませんね。


確かに時代は変わってきているんですよね。


というか、時代は変わるんですよ。価値観なんかもドンドン変わっていく。


何千年も前のエジプトの遺跡に「今の若いものは・・・」という言葉の残された石片があったとか・・・いつの時代も同じセリフは繰り返されるわけです。


つまり、人間とは、他人と比較するのが大好きな動物であり、常に自分アゲを楽しんでいる・・・そういう動物だと言うことです。


だから、僕に出来ることは、


「こうやった方が今より、しあわせになれるんじゃない?」


と、他者に言うくらいのこと・・・それくらいしか出来ませんよ・・・ほんとに、ねー。


というわけで、母との別れと、八重さんへの反発、山本家での厄介者意識が増長した結果、厄介者同士の恋に発展・・・駆け落ちすら考えるようになる久栄。


まあ、このあたりは、10代だし、周りが見えなくなっちゃうのは仕方ないかなーと思いますね。


特に10代というのは、経験が少ないから、ひとつひとつのイベントが、自分の人生に対して、大きめに感じてしまうんですよね。


例えば、今の僕からすれば・・・例えば京都に出張することなんて、ごく普通の日々のイベントですが、高校生の頃の僕にすれば、


人生を賭けた大きなイベント・・・誰かと恋に落ちちゃったらどうしよう的な・・・すっごい大きなイベントに感じたモノです。何もなかったけどね。


だから、多分、駆け落ちって行為そのものが、甘美な響きを持って、感じられていた・・・そういう二人だったんじゃないかなって思いますね。


でも、大人である八重から見れば・・・まだ、才能を開花させていない、自分に自信の無い男が、姪を連れて東京に行くだけ・・・そうシビアに見る事は出来る。


徳富蘆花さんが言ってましたね。「怖い」と・・・まだまだ自信も無ければ、どうなるかもわからない・・・それ当たり前ですよ。10代半ばですよ。


でも、徳富蘆花さんは、まあ、上でも書いたように「真の大人」の意識には、辿り着いていた・・・書くことこそ、自分の生きる道・・・そこは強いですよ。


何歳になっても、自分の生きる道のわからない大人なんて、それこそ、掃いて捨てるほどいます。


そここそが、サラリーマンと「独立者」との境を隔てるモノじゃないですか?


自分の価値を知り、自分の価値を毎秒追求出来る生き方・・・そこに入れるかどうかが、自分の人生、自分の本当のしあわせを確保出来るかを決めるんです。


「真の大人」にならないといけないと思いますよ。


「これは生活の為だから、仕方なくやるんだ」


なんて事ばかりの人生だったら、おもいきりつまらないじゃないですか?


僕はそんな人生嫌ですね。


「やりたいから、やるんだ」


そういう人生こそ、僕の求めるモノだ・・・。


ま、それはいいとして・・・駆け落ちって行為はある意味「逃げ込み者」でもあるんですよね。


「貧すれば鈍する」


という言葉がありますが、実際の徳富蘆花さんは、それを恐れたんじゃないでしょうかね?


だって、久栄さんを連れていけば、久栄さんの生活も考えてあげなければいけない。


その収入も確保しなければいけないし・・・まだ、自分の才能にそれほど、自信がなかった徳富蘆花さんにすれば、自分一人を養うことは出来ると確信は出来ても、


久栄さんの分までは・・・そういう思いもあったんでしょうね。


「自分勝手なひとや・・・」


久栄さんが徳富蘆花さんを評して言った、この言葉・・・八重さんが、何度も使ってきましたね。


川崎尚之助さんにも、新島襄さんにも・・・。


男って、そういう生き物なんですよね。


自分のことで好きな女に迷惑はかけたくない・・・自分に自信の無い男は、そういう状況に陥るわけですよ。


あるいは、自分のこの先の状況をよく判断出来る男・・・川崎尚之助さんがそうでしたねー。


彼は藩の為に身を投げ出した・・・そこに価値があるから・・・それが男ってもんです。本当の漢(おとこ)ってもんですよ・・・。


あの時代の小説書き・・・その評価って、どんなもんだったんでしょうね。


新たな時代の旗手?


あるいは山川健次郎さんが激怒していたように、堕落を助長する人物なのか?


幕末までの意識は藩に所属する武家意識だったわけですよ。


それが明治生まれになって・・・士農工商の身分も何も関係なくなり、自分の才能さえあれば、自由に生きられる時代になった。


そのシンボル的存在になったのが、小説家・・・という職業になるんでしょうね。


武士道によって、固められていた・・・というか、明治になって、「男女七歳にして席同じうせず」的意識が作られた・・・。


その時代において、「男性も女性も恋愛する動物である」・・・という本当を露わにした小説家という職業・・・まあ、軟弱と言われても仕方がないでしょうね。


徳富蘆花さんは、そういう視線でいるからこそ、久栄さんのお母さんのあり方すら、肯定出来た・・・そういうことでしょうね。


人間は弱い生き物である・・・怖がりもするし、人生に自信が無いのは当たり前だし・・・まあ、この論理が通用するのは、10代及び20代まですけどね。


その意識を30代40代まで持ち続けて・・・駄目になっていく「嘘の大人」をたくさん見ましたよ。


皆さんは、そうならないでくださいね。


まあ、「真の大人」は、自分の価値に気づいた人間です。


どの価値を毎秒追求していけばいいか・・・それを理解した人間です。


それが出来れば「真の大人」になれるし、一生それがわからなければ、一生「真の大人」になれない・・・それだけのことです。


皆で、「真の大人」になっていきましょう。そうすれば、本当のしあわせがやってくる・・・それだけの事なんですね。


僕は「駆け落ち」だって、ありだと思っているんです。


それで失敗したって、いいじゃないですか?


また、やり直せばいいんだから。


そういう極限の状態に身を置いてみて・・・相手がどうなるか、見るのも、これは必要なことだと思いますよ。


まあ、今回久栄さんは、徳富蘆花さんが、言うほど、信頼出来る人物ではないことに気づけて・・・「駆け落ち」を辞めたわけでしょ?


まあ、10代中頃じゃあ、しょうがないですよ。それは・・・。


まあ、「俺は食べる為に書くのでは無か。書くために食べるったい!」っていう境地に辿り着いているだけで、十分ですよ。


僕の10代なんて、アホそのものでしたからね。


「なぜに、スポーツが出来るだけで、女にモテるのだ。僕は彼らより、何倍も頭がいいのに・・・」


なんて「学級委員脳」で、本気で考えてましたからねー。アホそのものです。その程度ですよ。


ま、大人になった今でも、「学級委員脳」をしている、アホな大人は、いますけどね。


「僕はこんないい会社に勤めているのに、何故、モテないのだ?世のおんなは、見る目がないのか?」


なんて、本気で思っているサラリーマンとか、いますからね。


ま、僕はそういう「学級委員脳」は相手にしませんけどねー。


で、徳富蘆花さんに話を戻しますが、まだまだ、自分に自信が無かったんでしょう。


だから、自分一人だけで、東京に出た・・・そういうことでしょうね。


女性は相手の男性の頼り無さ・・・頼りがいのある男・・・その判断にシビアです。


頼り無い男なんて、掴んだら、身の不幸になっちゃいますからねー。


まあ、僕的に言えば、経験を豊富にしている男こそ、頼りがいがある・・・そう言えると思いますね。


あとは、相手の身になって、細やかに気を使える男性でないと・・・やっぱ駄目でしょうねー。


ま、周囲の大人の男女を本能から、笑顔にさせ、その笑顔を貰うことで、自分も笑顔になれる男・・・そうである必要があると僕は思いますねー。


ま、勉強しか出来ない、学級委員脳の男なんて、女性は相手にしませんから・・・ねえ。


話を戻しましょう。


小説家・・・つまり、男女の恋愛の物語を書けるってことは、それだけ、恋愛の経験があること・・・そうとも言えるんですよね。


例えば、僕は小田和正さんの音楽に小学生の頃から親しんでいますが・・・「小田和正さんって、たくさんの女性に愛されてきたんだろうなあ」と小学生の頃に思った、


そういう記憶があります。まあ、僕がその頃、女性に愛された経験があまりなくて・・・そう思ったんだろうと思いますけどね。


だから、小田和正さんの楽曲に女性というものを教えられた・・・そういう小学生、中学生、高校生の時代だったような気がします。


でも、大人になってくると、実際の女性にいろいろ教わるようになる・・・女性は男性の学校ですからね。


特に好きな相手には、女性は本気で身体を張って、いろいろ教えてくれる・・・そうなりますからねー。


だから、大人になる、ということは、女性に愛されるようになる・・・ということも含んでいるんだと僕は思いますね。


そうやって、「真の大人の男性」になっていくことが必要なんだと僕は思いますね。


徳富蘆花さんは・・・その作品を読んだことが僕は無いですけど・・・10代で、久栄さんに恋されたくらいですから・・・大人になっても女性に愛されたんでしょうね。


だから、作品を書き続けることが出来た・・・そういうことだと思います。


結局、恋され体質になれるかどうか、なんですよ。「真の大人」になるってことは。


ボルさんも言ってましたけど、一人の異性に愛されただけでは駄目です。何人もの異性に愛されて・・・成長していく・・・それが「真の大人」道ですよ。


そういう意味では、山川健次郎さんとは、逆の意見なんですね。僕の意見は。


徳富蘆花さんの意見に近いのかもしれませんねー。


だって、山川健次郎さんの意見は「学級委員脳」をたくさん作ることにつながっていますからね。


ま、官僚の男性の多くが、「俺偉い病」で、女性に嫌われている現状は、それを物語っていますねー。


ボルさんによると、ファッション雑誌の編集者も「俺偉い病」が多いとか・・・「俺偉い病」は関係性を切るのがベター・・・それしか僕には言えませんねー。


しかし、みねちゃん・・・あっけなく死んでしまいましたねー。


せっかく一緒になれたのに・・・伊勢さんもかわいそうに・・・。


というか、みね・・・うらさんの娘・・・小さい頃から見守ってきたので・・・痛いですね。こころが。


みねの涙に何度泣かされたことか・・・そのみねが、亡くなるなんて・・・。


ある意味、形見分けって、残酷ですよね。


自分の死期を感じ取り、思いを残すわけだから・・・。


僕に娘が出来たとして、それが自分より先に死んでしまったら・・・ちょっと考えられない感じがありますねー。


受け入れられるかどうかすら・・・考えが及びません。


というか・・・大河ドラマもこの時期になると、死が普通にやってきますからねー。


新島襄さんも、やばい感じになってきたし・・・。


というか、この時期になってくると、若い頃一緒だったメンバーへの再会なんてイベントも出てくるわけで、剛力彩芽ちゃん、久しぶりの再会でしたねー。


八重姉様・・・この言葉が懐かしかったです。あの会津戦争以来ですもんね。というか、7月以来と言った方がいいか。


僕的には今年という年は、リアルライフ的に非常に意義深い一年でした。


僕の中にあった、大きなコンプレックスがクリアされ、新たな人生の為のリセットが完了し、新たな出会いが始まった、そんな年になりましたからね。


なので、この「八重の桜」も忘れられない作品となると思います。特に僕は7月の会津戦争をクライマックスとした会津藩の激闘が僕の胸に強く残りました。


容保公の激闘、会津藩のあり方・・・会津戦争での八重さん・・・すべてがいい思い出です。


だから、今はちょっとその残り香のような気分でいますね。


だから、今回、剛力彩芽ちゃんを見て・・・ちょっと懐かしかったです。


あの頃を思い出せて・・・。


なんだろう。今年八重さんに勉強出来たのは・・・ネガティブにぶち当たった時こそ、怒りのエネルギーマックスにして、突破しろ・・・そういうことだったと思いますね。


今回もそうだったじゃないですか。


怒りのエネルギーこそ、溢れ出る八重さんのエネルギー源だった・・・また、今回もそれを勉強しました。


それが勉強出来たことも・・・今回よかったと思いますね。

今週の喜び

だんだん後日談的なイベントも増えてきて・・・同志社大学設立に最終ターゲットは絞られた感がありますねー。


新島襄さんのお父さんも亡くなっちゃったし・・・ドンドン退場される方が多くなっていく・・・そんな時期に来ていますね。

まあ、「八重の桜」京都編は、なんだか、学園モノ的な側面も強くて、なかなか楽しめた感じがありますねー。

徳富蘇峰、徳富蘆花兄弟のストーリーも楽しめたし・・・そういう裏の話があったんだ的に楽しめました。


まあ、でも、僕的には、7月をクライマックスにした会津藩のあり方に・・・感激を持って楽しめたかなーって感じです。

特に容保公に・・・僕は毎回、感動していましたね。

それも、もうすぐ終り・・・2013年も暮れていきますねー。


ひとは他人をインスパイアして、なんぼ・・・「八重の桜」にも、いろいろなインスパイアを受けました。

毎週、レビューを書きながら、僕なりの人生から出てきた考え方や結論なども交えながら、このレビューを書いてきました。

10代後半の僕だったら、絶対に読みたがるような文章を目指して書いてきましたけど、果たして、どこまで、うまくいったやら、その自信はまだありません。


でも、毎週書いてきたことで、いろいろな考えも深くなったり、その事がきっかけで出会いになったり、

今年もまた、人生をいい方向に進められた・・・そういう大河ドラマ・レビューになったと思っています。


脱サラして、4年、なんだかいろいろありましたが・・・もちろん、これからも、大河ドラマ・レビューはガンガン続けていきます。


これまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

そして、これからも、よろしくお願いします。


太陽があがってきました。

さあ、今日の日曜日も楽しく一日を過ごしていきましょう。

そして、夜には、「八重の桜」を楽しもうじゃありませんか。


僕の人生に、大河ドラマがある・・・素敵なことじゃ、ありませんか?


ではでは。



今週のあれ、どうなん?
剛力彩芽ちゃん、やっぱかわいいね。というか・・・八重姉様という言い方が懐かしくて・・・八重さんが、会津で薙刀やってた頃を思い出しました。

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