「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

収奪民族と社会性民族の今後!(リアル・ニュータイプ理論からの論考)

2010年03月25日 | 日本人の秘密
「人間の本質とは、何か?」

と質問されたら、皆さんはどう答えますか?

僕はこう答えます。

「よりよく生きるために戦うストーリーをつむぐこと」

そう。戦いなんです。

戦うことこそ、人間の本質なのです。

最初はうまくいきません。でも、いろいろ這いずり回るうちに経験を重ねていきます。

ほめられるもの、怒られるもの、

賞賛されるもの、非難されるもの。

それらは、いろいろな壁にぶつかりながら、やがて、ある「しきい値」を越え、人生を楽に渡っていけるようになります。


それらの戦いのストーリーをつむぐのが、人間の本質なのです。


その戦いのストーリーをつむぐ人間に、今、二種類の人間が、います。


収奪民族と社会性民族です。

そのどちらが、どういう未来を引き寄せるのか。

それについて、論考してみようか、と思います。

もちろん、僕の「リアル・ニュータイプ理論」を根底に置きながら。

しあわせを最終的につかめるのは、どちらなのか。それはどういう形になるのか、

まあ、ゆるゆるっと論考してみましょう。


そもそも、収奪民族は、高い文化をもつ側の人間の集まりでした。例えば、アジアで言えば太古の中国です。

そして、社会性民族は、文化が低いために社会性を武器に対抗した人々でした。例えるなら、太古の日本です。


こういう構造から、収奪民族と社会性民族は発生し、長い歴史を重ねてきたのです。


収奪民族は、文化の低い民から、宝を収奪することにしあわせを感じる民族になっていきました。

例えばイギリスが、世界の植民地から収奪した宝はどれくらいに登るでしょう。スペインが南米から収奪したお宝はどれくらいになるでしょう。

過去の歴史を見れば、その民族が収奪民族か、それに対抗しようとした社会性民族か、だだわかりです。

そして、アメリカもインディアンから土地を収奪し、日本から中国利権を収奪しようと戦争をしかけ、ベトナム、イラクと未だに収奪目的の戦争を続けています。

新興国は、それらの収奪から身を守るために、社会性民族と化し、我と我が部族を守っています。

そして、日本も我と我が部族と天皇を守るために社会性民族として、発達しました。


この構図、どこかで見たことに気がつきませんか?

「アバター」の構図です。

あの映画は、世界の紛争の構図を端的にストーリーとして、表わしていたのです。


さて、あの映画で、収奪民族側は破れましたが、だからと言って、この戦いが収奪民族側の負けに終わる!と脳天気に考えているわけではありません。


これからが論考です。

民族の構造から、論考して、どちらがしあわせになるのかを、結論づけてみたいのです。


さて、人間には二種類のしあわせ感知能力が備わっていると考えています。

ひとつは、五欲と言われる人間の根源的な欲求を満たされた時に感じるしあわせです。これを低次元欲求を満たすことで生まれる低次元しあわせ、とします。

それに対し、社会性民族は、社会性を果たしたり、コミュニティの人間同士でつながることで生まれるアゲによるしあわせ、高次元しあわせがあります。

これに対して、収奪民族は、他者から利益を受けたり、他者からお宝を収奪することで生まれるしあわせ、高次元しあわせがあります。

そして、高次元しあわせを感じる方が、しあわせの気持ちよさが上だと考えています。

それは、自分を大きくアゲてくれるのです。

そうです。しあわせを感じるということは、要は、自分アゲをしている、ということなのです。

皆、自分アゲをしたくて、たまらないのです。



そして、ここで言えることは、

「収奪民族と社会性民族では、しあわせの感じ方が異なるのだ!」

ということです。

この時点で、僕の「リアル・ニュータイプ理論」が、社会性民族にしか、通用しないことが、わかります。

そして、もうひとつ。収奪民族と社会性民族では、もはや、「種が違う!」ということが、言えるということです。

種が違えば、そこに戦いが生まれます。どちらの種がこの地球の支配的種族として、残るか!の。

その戦いが、最早、始まっているのです。


さて、収奪民族は、どのような形でしあわせを獲得していくのか、その構図を分析していきましょう。

まず、個人個人が、共存するためには、ある一定の目的をもつ必要があります。

これは様々な所で指摘されていますが、例えば幕末の英雄高杉晋作は、

「人間というのは、艱難は共にできる。しかし、富貴は共にできない」

と言う言葉で表しました。これは、幕末の長州で、奇兵隊を率いて革命戦を成功させた後に、高杉が吐いた言葉ですが、

要は、

「人間は同じ目的を持って戦っているうちは、共存できるが、目的を失ってしまえば、一緒にはいられない」

ということを意味しています。

遠い昔、ビートたけし氏は、番組の中で、

「アメリカとソ連という名の恐竜が手をとりあって、宇宙人の宇宙船に立ち向かっている絵」

を披露したことがあります。

その時、氏は、

「大きな敵でも、来りゃ、こいつら、手を握るだろ!と思ってさ。これが世界平和の施策だ、ばーか!」

と言ったのです。

「このひとはすごいぞ!」

と、僕はそのときから、彼を別の目で見始めたことを覚えています。

そうです。同じ目的があるからこそ、共存できるのです。それは、何も大きな集団ばかりでなく、家族でもそうなのです。

具体的なしあわせの目的を、家族皆に提示し、一緒に歩いていくことが大切なのです。


さて、となると、収奪民族の目的は、もちろん収奪ということになるでしょう。

そして、その目的の元、個人が共存しているのです。


一方、社会性民族の目的は、もちろん、コミュニティの繁栄ということになるしょう。

そして、その目的の元、多くのレベルのコミュニティが共存しているのです。


さて、ここで、まず先に社会性民族の高次元のしあわせの作り方から論考してみましょう。

まあ、自分たちのことですから、わかりやすいですからね。

まず、われわれは個人個人それぞれが、社会的役割を果たすことがしあわせ獲得の第一歩になります。

もちろん、大人だけでなく、子供でも、子供という社会的役割をはたすことで、しあわせを獲得できるのです。

そして、さらに大きなしあわせ獲得方法としてお互いが気持ちでアゲ合うことで感じるしあわせ、というものがあります。

そう。「リアル・ニュータイプ理論」です。

これをやっていけば、アゲられるコミュニティレベルが徐々に発展し、最終的には、地球レベルに到達し、そのとき社会性民族に最高のしあわせが訪れることになるでしょう。

そのように、繁栄のレベルが広げられる、進化できるのが、社会性民族の高次元しあわせ獲得の特徴です。



最新の画像もっと見る