昨日書いたブログのあと、昨日(23日)の夜の追加の監督と井上コーチの会見を今朝みた。見ていて、コーチは真実を語りきれない自分に苦しそうな表情だなと思えた。そして、結論として、監督の本心は<「もっとルール違反のない範囲で、潰せ」と指示したつもりだった>に尽きると思った。
つまり、(ラフプレイは勝つために必要。ただ、今回のような見え見えにルール違反をすることまで指示したことはない。相手の怪我を恐れるような優しさを捨てない彼には、喝をいれようとした。それは、勝てる選手にするためだった)ということなのだ。
おいおい、ちょっと待てよ。違反しなければ、相手の選手に怪我をさせても容認されるのか?彼の優しさは、弱い選手だからでなくスポーツする者として相手への配慮だろう。それを超えたプレイを求めるのがスポーツなのか????
イチローのプレイが好きな私。それは、彼のプレイスタイルが、健康だからだ。怪我をせずプレイを続け、体と精神を鍛え抜いて結果を着実に出して、1歩ずつヒットを重ねて来たスポーツマンの理想形だからだ。
野球と言うプレイスタイルの違いはあっても、「スポーツは全て自分も人も健康にするものでないと意味がない」と私は常々思っている。フィギアでも、骨折やねんざの危険を多くする4回転とかに得点を重くするより、全体の芸術性や技の美しさに重点を置いて行く方がスケート選手の身体の負担が少なく健康にいい。沢山4回転をして、転倒する選手を見てガックリする鑑賞より、完成度の高い藝術的な演技の方がみる者も楽しいと思う。バンクーバー冬季オリンピック、プルシェンコとライサチェクの闘いで4回転をしなかったライサチェクが優勝したこと(ココ参照)。女子では金妍児がトリプルアクセルを成功させた浅田真央を破り優勝したことに、私は正しいジャッジだったと思っています(ココ参照)。
薬物使用で筋肉を鍛えてボロボロになったスポーツ選手や、体重で勝負するために怪我をしているのに痛み止めの注射を打って頑張る姿を肯定するコメントをする人には「?」と疑問符が頭の上にいっぱいになります。怪我を押して出場する選手の姿は、痛々しくて見たくもない。稀勢の里が、無理な出場で横綱を手にしたのも間違いだと思った。そして、その後の結果が誤りを雄弁に語っている。
「健康増進あってのスポーツ」。その基本を見失ったスポーツ選手のプレイは痛々しく、しかも見ていて興ざめだ。
ものごと、何のために、誰のために、何を目指してやっているのか、スポーツにしても、教育にしても、政治にしても、それを見失った人には向いていいない。自分を反省し、本来の姿に立ち戻ることができないなら、是非とも速やかに退場してほしい。
イチローの代わりに大リーグで活躍する大谷はどうだろう? 投手として出場した試合で右手にマメができた時、確か自分から降板を申し出て降りたことがあったけど・・・。まあ、当たり前といえば、当たり前? でも、当たり前にできない人が横行する世の中。是非、イチローがまたプレイするまで、大谷君がイチローの代わりに、健康を大切にしながら活躍してくれることを祈ります。
でも、この記者会見のタイミングは、もりかけ問題うあ高プロ採決のカモフラージュのために危機管理学部の天下り官僚教授どもの差金?とも思えてしまいます。
それにしても不思議なのは、文春が公開した音声データへの反応。
自社のものではなく、他社の記者からのもので、記者の声が消されているんです。
これって、あのセクハラ問題の時と同じですよ。
誰も記者の声が消されていることに怪しいと言わないし、この時のではなくつなぎ合わせたんじゃないかか?とも言わないのが不思議。
メディアや社会の雰囲気がどうもおかしいですよ。
その通りなんです。前回も相撲界の暴力事件や、貴乃花親方の問題と、そんなに毎日報道する必要もない事件を大事な問題よりマスコミが大きく扱って、疑問を感じました。今回もこのアメフト問題・・・。
根っこは同じと思えますが、扱いやすい問題に逃げているような気がします。