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「川がつくった川、人がつくった川」(大熊孝:著、ポプラ社)で川について深く考えさせられた

2021-10-07 09:52:00 | 日記

  

    図書館で偶然であった「川がつくった川、人がつくった川」(大熊孝:著、ポプラ社)。いい本に出会えたと思った。今は出版社にもないようで図書館で借りるしかないのが残念だが、川のそばに住んでいる方、川に興味がある方には読んでみてほしい。

    日本では、洪水に遭いたくないということで、水害が出ると川の堤をコンクリート化していくことが続けられ、今や上流から下流までコンクリートで覆われるようになってしまった。それにより、自然の食物連鎖が切られ、水の自然浄化作用が損なわれ、現在に至った「川の歴史」。でも、ドイツやスイスでは1970年ころから、コンクリートの護岸を剥がして、「近自然河川工法」を採用する動きが始まったという。日本でも、1990年からは、建設省が「多自然型川づくり推進」という通達を出して見直しがはじまったというが・・・自然に寄り添った工事をしたつもりでも、理想から外れた工事もあるようだ。

    35ページからの「水の不思議な性質」というところでは、特に注目。当たり前に習った水の融点や沸点が、物質の中で特殊なことが語られていて興味をひかれた。本来の水素と酸素の化合物(*硫化水素、セレン化水素など)では、沸点がー80°、融点がー100°でもよさそうで、そうなると、地球は太陽の熱で水は気体としてしか存在できず、液体の水はなかっただろうというのだ。それでは、生物は生きられなかっただろう。

    さらに不思議なのが、固体化した氷が液体の水より軽くて浮くことが驚きという。水は、液体の方が水素分子の結合力によって密度が高く、個体が結晶構造をつくって体積が増えるために軽いのだという。もし、氷が水より重く、冬にできた氷が底に沈んで溶けなければ、川も海も氷で覆われているかもしれないそうだ。

        そして、川の話へ。川の源流は雨。レオナルド・ダビンチも、うすうす気づき始めていたようだと言われるものの、雨が川となり海に流れ、蒸発して雲となり雨に~」という「水の循環」について明らかにしたのは、16世紀のフランスのパリシという陶芸家だそう。

    川の働きによって1~2万年の年経て経て作られた沖積平野に住む私たち。そこに割り込んで住み始めた私たちが、水害を嫌がって川を固定しようとしても、沖積平野は今も川にとっては建設途上。水害は必然。そこをどう自然と人間が折り合いをつけるのか。日本では、武田信玄の信玄堤があるが、霞堤というのが、2重構造の堤防で、一つ目が溢れてもゆるやかに2つ目の堤の中で洪水被害を収める例としてあげられています。また、網目状のっ自然堤防をうまく繋げて、輪になるように堤を築く囲堤、輪中堤が、集落を守ったりというのも木曽川、利根川、信濃川にみられるという。昔田んぼだったような湿地帯に家を建てたところなども多い話から、川に対抗する知恵について、その後、武田信玄の川への把握が素晴らしかったと具体的に考察している。江戸時代は、しょっちゅう洪水に見舞われたが、水害防備林で流速が抑えられ土砂も落ち、氾濫してくる水には肥料となる成分があるため、10年に一度くらいなら歓迎されたほどとも言う。今は、林を失い、高くなった堤防。氾濫回数は減ったが、越流すると被害は大きくなる。

    著者は、江戸時代のような両岸に林がある緑で覆われた川に戻していくこと。減反政策で放棄された水田を川沿いに集めることなどを提案している。

    災害時の知恵として、水害にあう可能性のあることを知り、それでもそこに建てるなら、床を高くし、氾濫の引き際にはそのタイミングで掃除をすると簡単だというのもあるそうで、今は避難所に避難して完全に水が引いてから戻るのでそのタイミングを以前のようには利用しないと説明されているのも驚いた。

    著者は新潟大学工学部の教授だったため、信濃川の大河津分水という洪水の危険の時にショートカットで水を海に流す堰についても考察しているが・・・確かに新潟平野は水害から解放され、日本の穀倉地帯になったが、洪水時に運ばれる土砂で新潟平野は成り立っていたから、放水路の河口の寺泊の海岸線はのびて陸地が増えたが、本流の河口では浸食が進み、波打ち際が最大350mも後退。莫大な費用で浸食対策をしている。長所だけみるのでなく、川が本来持つ物質循環を乱すと悪いこともあることを忘れてはならないと警告する。

    そう考えるとダムも然り。生態系を崩すこと共に、様々な問題を生むことを指摘。現在の都市が土の露出しているところが少なく、下水に雨は送られ川に流される。井戸水は涸れてしまい、大量の供給に応えられないから水道管で遠くから取水した水を供給している。このおかしさを解消するために、著者の研究室の隣の大川秀雄教授が透水性舗装の道路の普及を進めていることも紹介されている。

    洪水に絶対合わないようにというと、余裕高の堤防を大規模に行うことになるが、人間の一生に1度の洪水に対して余裕高を設けるよりは、水害防備林などで水害を少々我慢する道を著者は推奨している。

    外国の自然の流れを考えた治水策や、宮島のような増水を前提に美しい光景を生み出していることろなども紹介している。また、高度成長時代以前の日本では、村や町の共同体で川が支えられてきたが、今は青年団もみかけず衰退したものの、自主的なボランティアが川の清掃などをして取り組み始めていること。著者も関係している「新潟の水辺を考える会」が「よこはまかわを考える会」を模範にしながら記録映画を新潟で上映した記録映画「柳川掘割物語」(高畑勲:監督)の紹介も載っていて、レンタルもなさそうなので、さっそくポチリと購入予約してみた。

    実は、この本を読みながら、<温暖化で、川の決壊や土砂崩れ、大きな大雨・洪水被害が相次いでいる日本。川の脇ぎりぎりに住宅がある都市部に住む私たちにとって、川と仲良く共存していく道を探ることは、より多難な問題になりつつありそうだ。理想は自然に寄り添った治水対策でありたいが、そうも言っていられない時代にいるともいえるのではないか>などとも考えた。東日本大震災後に高波対策として、高額予算を投入してとんでもない高さの堤防が築かれた景色が思い返されたりもした。

    でも、大きな視点で、自然と人間の共存の道を過去に学び、未来に備えるためにも、この本のメッセージの大切さが深く感じられた。もう、ポプラ社では絶版となり在庫もないというので、図書館とかで読むしか方法がないと思う。読む時間のない方のためにも、自分も図書館に本を返却してしまうと、大事なメッセージを忘れてしまうと思い、このブログに残し多くの人と共有したと思った。

    最後に、著者の言葉を添えて、皆様にもぜひ身近な川を見直してみて頂く機会としたい。

    川は地域の文化を育んできたからこそ、「母なる川」と呼ばれて来ました。今の川は、ほとんどが「乳も出ない痩せ細った母」になっているように思えてなりません。母なる川を取り戻すためには、文明だけを追い求めるのではなく、ゆっくりと時間をかけてもう一度文化を再生していかなければならないと思います。

                              <長いブログになりましたが、最後まで読んで頂けて感謝します>

  


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2 コメント

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Unknown (ブドリ)
2021-10-08 22:41:23
50年に1回とか、これまでにない大雨とはいうけど、川は生きているということを忘れた治水になっている、その結果だと思います。
地方にしてみれば、少しでも人口を増やしたいという思いなのでしょうが、ハザードマップを作成しておきながら、川を甘く見た住宅開発が進み、被害を拡大させています。
これからの人口減社会の中で、災害の復興も迅速にはできなくなる可能性も高まります。
如何に災害の被害を小さくして、どう災害と付き合っていくかの問題になるでしょうね。
Unknown (felizmundo)
2021-10-09 12:24:29
>ブドリさん
  的確に私の書きたかったことを受け取って頂けて、すごくコメント有り難く思います。
  少子化なのに、なぜ我が家の近所の緑をどんどん削ってなくして宅地になるのか、首を傾げてしまい、折れてしまいそうです。売りたい人と、買いたい人がまだいるからでしょうが・・・何か腑に落ちません。

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