蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

もうひとつの感謝状

2007年05月02日 | つれづれに

 7年前、61歳を迎えた梅雨の頃、40年間の会社人生に幕を下ろして有閑の日々を迎えた。不思議にそれまでの日々を惜しむ気持ちは薄く、肩の荷をおろした開放感だけが心を支配していた。24時間を自分でほしいままに設計に出来る自由を謳歌してみようと気持の手綱を解き放っていた数ヵ月後、待っていたかのように町内の古老3人が我が家を訪れた。自治会長・区長就任の懇請だった。
 礼を尽くされた説得にやむなく引き受けてはみたものの、それまで地域に目を向ける余裕もなく、ご近所の人たちの顔も碌に知らない我が身にとって、「地域」はどこから入り込んでいいのか戸惑う未知の世界だった。「男の地域デビュー」…それは言うは易く、実は日頃寝に帰るだけの会社人間だった我が身にとっては、暗黒大陸にも等しい。(ちょっと大袈裟かな?)まして、市役所とのパイプ役としての「非常勤特別職地方公務員」という区長職が付随するとあっては、もう手のつけようがない。
 しかし、ここに救世主がいた。かつて臨時職員として市役所で仕事をしたり、職員を客とする仕事を経験し、しかも主婦・母として永年地域や学校に浸透していた家内である。家内に連れられて市役所の「廊下とんび」をすることから、私の地域奉仕の仕事が始まった。暫くは「○○さんのご主人」という切り口で、行政に接していった。町内も然りである。何とか自立できるまで、1年以上はかかっただろうか。一人では何も出来ない新米地域人だった。
 そうこうするうちに、私の仕事のアシスタント…というより、参謀として二人三脚の体制が当たり前になっていった。たまに一人で歩いていると、町内の人から「どうしたの?喧嘩でもしたの?」という言葉が飛んでくるほど、いつも二人で何かしていることが当たり前になっていた。

 「内助」という言葉がある。実感を重ねる中に6年の任期が過ぎた。「敬老会」、「井戸端サロン」、「区民文化祭」、「夏休み平成おもしろ塾」、「サポート隊」…創り上げていった地域福祉活動の全てに、「内助」があった。いつの頃からだろう、「この職務、男性であるよりも、むしろ女性こそ相応しいのではないか?」…そんな思いが芽吹いていた。
 任期満了間近い頃、市の「男女共同参画推進市民フォーラム」の実行委員長を務めて、この思いは確信になった。こうして私の後任に、この区始まって以来初の女性自治会長・区長が誕生することになる。これまで福祉委員と福祉グループ「ひまわり会」の会長を務め、町内の方々の信頼厚い切れ味のある女性である。しかも、何よりも若さがある。我が区から、新しい風が吹く。そして家内は、その女性自治会長・区長をサポートする役員ひとりとして、福祉グループ「ひまわり会」の会長と「サポート隊」運営委員長を引き受けることになり、これからは私が「内助」の立場となる。

 総会終わって横浜の孫のところから帰宅した家内に、子供会からもう一つの感謝状が届いた。たどたどしい文字に子供達の思いが綴られている
 「…あなたは、私達湯の谷西子供会をあたたかく見守り、たくさんの愛情を注ぎ、いつも明るい笑顔で見守ってくれました。感謝の気持を込めて、ここに感謝状を贈りたいと思います。…」
 子供達は、「内助」の温もりをちゃんと見ていた。花束を添えて、我が家に二つ目の勲章が届いた。
 「男の地域デビュー」…大きな課題を積み残して、一区民として見守る日々が始まった。
         (2007年5月:写真:キバナホウチャクソウ)

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2 コメント

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内助 (すず)
2007-05-07 16:32:04
ダンディー様のお力が 影に救世主のお力が
内助として輝いていたのですね
仲のよい夫婦の模範ともいえる姿は尊敬の一言です
これからもよろしく 失礼しました
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まだまだ至りません。 (男の地域デビュー)
2007-05-13 09:32:34
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。家内が地域デビューの機会を作ってくれなかったら、今頃どんな余生を送っていたことか…考えると恐ろしいですね。多くのご家庭で、ご主人の地域デビューの芽を摘んでるのは実は奥様方…そんな実体も見えてきました。少しずつ、男も女も変わらなければなりませんね。
これからもよろしく。(蟋蟀庵ご隠居)
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