蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

食物連鎖

2020年06月12日 | 季節の便り・虫篇

 自然界は非情だった。

 6月11日、梅雨入りの激しい雨が降った夜、寝る前の恒例として、6月3日に勝手口の脇の壁に蛹となったアゲハチョウの蛹を見に行った。変わりない姿に安堵して眠りに就いた翌朝、朝の散歩から戻って見ると、蛹の姿が跡形もなく消えていた。
 危惧していたことが現実となった。ニホントカゲの姿を何度も見かけていたし、犬走にあまりにも近くトカゲの行動範囲だから、気になって毎日何度も見に行っていた。
 こうして、美しい姿を見せることなく、一つの命が、もう一つの命を繋ぐために喪われていった。非情ではあるが、これが大自然の掟である。

 クロアゲハと思っていたが、形・色・サイズに疑問があって、その後図鑑で確かめたところ、普通のアゲハチョウの蛹だった。
 調べたのは、私のお宝図鑑の一つ「日本蝶類幼虫大図鑑」、昭和35年(1960年)保育社から刊行された座右の1冊である。大学2年、当時の価格で1800円は、学卒初任給の1割に相当する高価な買い物だった。
 卵・幼虫・蛹・成虫という4段階の変容を遂げる、完全変態の蝶の全ての段階が写真に捉えられている。アゲハ類は、幼虫だけでも1齢(初齢)から5齢(終齢)まで脱皮を繰り返して変容し、蛹になる前には「前蛹」というステップもある。俗に「毛虫」や「芋虫」と呼ばれて忌み嫌われることの多い蝶の幼虫の、真正面の目線で捉えた顔の緻密な造形美に圧倒されたのも、この図鑑が初めてだった。白水 隆、原 章という二人の昆虫学者の共著である。
 
 昆虫少年だった中学生の頃、九州大学農学部に憧れていた。部活は生物部に属し、二人の親友と共に、昆虫、魚類、貝類、プランクトンなどを追いかけていた。九州大学の世界的魚類学者の内田恵太郎先生(1896年・明治29年12月27日―1982年・昭57年3月3日)の案内で、福岡市の東を流れる多々良川でトビハゼを採った思い出もある。
 同じく、蝶類の世界的権威の江崎悌三名誉教授がいた。(1899年・明治32年7月15日―1957年・昭32年12月14日)
 余談だが、1970年・昭和45年3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空「よど号」ハイジャック事件。日本における最初のハイジャック事件であり、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着して、犯人グループはそのまま亡命した。 運航乗務員を除く乗員と乗客は福岡とソウルで順次解放されたが、その時の副操縦士、江崎 悌一さん(当時32歳)が、江崎悌三先生の御長男であることはあまり知られていない。

 その江崎先生のあと、九州大学農学部で蝶類の国際的権威となったのが白水 隆先生だった。(1917年9月14日―2004年4月日)
 将来、九州大学農学部に進学し、昆虫学を学ぼうという願望は、「それじゃ、飯が食えないぞ」という周囲の反対で呆気なく潰え、私は就職に無難な法学部に進むことになった。嗚呼、何という意志薄弱!
 いまだに昆虫少年の残滓を身に纏い、八十路にして虫を追いかけている原点がここにある。

 雨季……憂き季節の始まりである。薄日が差す雨の切れ目に、紫陽花の花をかすめてアゲハチョウが飛んだ。今更ながら、悔しい命の喪失だった。
 庭中のスミレを集めたプランターに、まだツマグロヒョウモンは訪れない。10株繁らせたパセリにも、まだキアゲハはやってこない。
                     (2020年6月:写真:アゲハチョウの蛹・遺影)