蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

記憶の底から

2015年08月26日 | 季節の便り・虫篇

 台風一過、少し高くなった夕空に、真っ白な入道雲が湧きあがった。石穴稲荷の杜の上に盛り上がる雲の姿は、まだ夏の雄渾。
 久し振りに直ぐ近くを駆け抜けた大型台風15号が、2階の寝室を家鳴り震動させ、激しい風雨の音に眠れない一夜を過ごした。かつて、真上を通り過ぎた11号台風、まだ現役の長崎支店長をしていた頃の夜だった。週末に帰省し、家を揺する暴風雨に慄きながら一夜明けて、任地長崎の様子が気になって朝早く長崎に走った。町中がブルーシートに覆われ、この時、わが家の屋根も数枚の瓦を失った。
 あの頃に比べると、最近の天候には中庸というものがない。晴れれば36度が当たり前の猛暑、降れば豪雨・豪雪・土砂崩れ…子供の頃は30度を超えたらニュースになっていたような気がする。28度くらいで泳いでいた…そんな記憶の底のあれこれも、どこまで真実だったのか…あまり自信はない。
 直撃コースを向かってくる天気図に、念のため前日の夕方迎撃態勢(?)をとった。カーポートの屋根を3本のロープで庭石に縛り付け、飛びそうな庭道具を物置に収め、月下美人などの高い鉢を縁側や玄関に収納し、山野草の鉢も片付けた。日よけの天津簾を巻き取り、旅行の時以外は閉めない雨戸を立てて休んだ夜中から、激しい暴風雨となった。

 2月、珍しく県会議員選挙に本気で応援体制を取り、わが家で支援する女性候補者を囲む会を開いた。広縁に避寒させていた月下美人の鉢4つを庭に出した。会を終えて再び広縁に戻すことを忘れたたった一夜の気の緩みで、低温にやられて殆どの葉が傷み、変色して枯れてしまった。
 諦めて40年近い歴史を重ねた鉢を処分しようと思っていた春、すべてが奇跡の復活を遂げた。まだ新芽を出して再生中であり、今年の花は諦めていたが、真夏の日差しの中で枯れ残った葉先に4輪の蕾が芽吹いた。生命力に驚嘆しながら、5ミリほどに育った蕾を見守っていた矢先の台風襲来である。これは真っ先に避難させなければならない鉢だった。

 寝不足の目をこすりながら5時前に起きだし、テレビをつけた。熊本に上陸し、久留米を通過、このままでは真上を通りそうなコースに、少しワクワクしながら風の音を聴いていた。
 最接近した頃から俄かに風雨がおさまり、台風の目かと思われた。隣町の飯塚を抜けたあと、2時間ほどして吹き返しが来た。玄関の引き戸の下の隙間から強風が捻じ込むように雨を吹き込み、僅かながら浸水。雨戸を立てガラス戸を閉めた仏間の障子が、吹き込む雨で濡れていた。これも記憶にない初めての経験だった。

 台風一過の青空とはならず、翌日まで雨が続いた。大きな被害はなかったが、隣家の小屋の波板屋根が飛んで庭に落ちていた。庭の八朔が、21個も枝から捥ぎ取られたのが一番痛かった。まだ青い実は、これから太り、木枯らしの中で黄色く色づいていくはずだった。
 蔓物の朝顔、夕顔、沖縄雀瓜が壊滅。しかし、父の形見の松の古木がしっかりと立っていてほっとする。40年を超える見事な枝ぶりを、植木屋が我が物のように自慢する古木である。

 翌々日、ようやく雨がやみ、全ての迎撃態勢を解除し、庭と道路の落ち葉や枝を始末して落ち着いた夕べ、その松の枝先に一頭の黒い蝶が翅を休めていた。長い昆虫とのふれ合いの中で、何故かこの蝶を見た記憶がない。マクロを嚙ませたカメラのファインダーを覗きながら、「まさか、台風に乗ってきた南方種の迷蝶?」と一瞬ときめいたが、図鑑を開いて確かめたら、ごく普通にいるイチモンジチョウだった。一生懸命に記憶の底を探ったが、やはり初めての出会いのような気がする。「低山の広葉樹林や草原に生息し、花によく来るほか湿地や腐果にも集まる。」という説明を読んで、やはりこんな住宅地に来てくれたのは、台風のお蔭なのだろうと思う。いずれにしろ、初めての出会いは嬉しい。

 少し涼しくなった夕方、クマゼミやアブラゼミの大合唱は、いつしかツクツクボウシの少し哀しい鳴き声に代わっている。日が落ちると、庭の片隅でマツムシやカネタタキ、コオロギが夜風を震わせ始める季節である。
 秋が、微かな足音で忍び寄っていた。
        (2015年8月:写真:松に憩うイチモンジチョウ)