蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

逝く夏に寄せて

2013年09月07日 | つれづれに

 非情なまでに暴虐とも言いたい炎熱の日々を重ね続けた猛暑が、1週間の豪雨のあと、呆気ないほどに潔く秋にその座を譲った。朝の水シャワーがもう肌に冷たい。
 
 今年初めて訪れたオハグロトンボが、犬走り添いに家を巻いて垣根のラカンマキの上に過ぎた。潤った木々の緑が一段と鮮やかになった。その木立の間に、朝露を宿した蜘蛛の巣が美しい幾何学模様を繰り延べた。

   わが背子が 来べき宵なり ささがにの
         蜘蛛のふるまひ かねてしるしも 
             (衣通姫の、一人ゐて帝を恋ひたてまつりて)

 衣通姫(そとほりひめ)は、第19代允恭天皇に召された女性で、その肌の美しさが衣を通して表れるほどであったことから、そう呼ばれたという。
 「愛しい人がおいでになる筈の今宵です。さながらその訪れを予告するように、蜘蛛の振る舞いが著しくなりました。」 

 いつも身近にいる蜘蛛。
 時に、顔にしつこく絡む蜘蛛の巣を払いながら辿る朝の山道。
 餌があるとも思えないのに、部屋の片隅や壁を跳び歩いているハエトリグモ。
 夕餉の食卓に糸を引いて下がってくる小蜘蛛。
 払っても払っても、一夜にして見事にネットを広げるド派手な女郎蜘蛛。
 庭石の側面に長い袋を提げるフクログモ。

 「…去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立てる霞の空に白川の関こえんと…」芭蕉は「奥の細道」への漂泊の旅に出た。

 ネイティブ・アメリカンのオジブワ族は、「悪夢は蜘蛛の巣の網目に引っかかって夜明けと共に消え去り、良い夢だけが網目から羽を伝わって降りてきて、眠っている人のもとに入る」として、ドリーム・キャッチャーというお守りを作った。円形の蜘蛛の巣をかたどり、インディアン・ジュエリーと鳥の羽をあしらい、枕元に下げておくと悪い夢を見ないという。繰り返し訪れるアメリカの喜ばれるお土産は、このドリーム・キャッチャーと、同じくホピ族の精霊・ココぺり(豊穣と子宝の神)に定着した。

 白露を迎え、もう朝の蝉の声も途絶えた。1週間の雨で逞しく生い茂り始めた雑草を、心地よい早朝の風の中で掻き採った。今日も傍らでハンミョウが色鮮やかに飛び遊んでいる。もうこの庭で何世代を重ねたのだろう。
 プランターのパセリを旺盛に蚕食しながら、6頭のキアゲハの幼虫が元気に育っている。

 気が付けば、庭の片隅のあちこちに白い彼岸花の芽が一夜で立ち始めていた。畦道に咲く真っ赤な彼岸花の群落は、遠目には美しい秋の風物詩だが、近くに見ると些か毒々しい。気持ちの片隅に、墓地で咲くこの花の記憶が強烈に残るせいでもあろう。やはり、白い……というより、やや生成りがかった優しい花穂が木陰に咲く風情がいい。

 哀れ蚊の痛烈な痒みに耐えながら、スッキリ綺麗になった庭を眺めて、爽やかな秋風に身体を染めていた。

 ひっそりと、雨が来た。
                   (2013年9月:写真:木立の中の芸術)