蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

言うまいと思えど…

2012年03月11日 | つれづれに

 この一文に敢えて写真は載せない。瞋恚のほむらが燃え盛る、真っ赤な色だけで染め上げたいとさえ思う。

 3・11東日本大震災から一年。14時46分、サイレンが鳴り響く中に、日本中が鎮魂の黙祷と祈りに包まれた。朝からテレビは震災一年の特番一色だった。
 被災地を雪が舞う。震災と大津波という自然災害だけでも未曾有の惨劇なのに、想定を怠った原発事故という驕りの人災が加わって、事態の収拾を数十年規模にまで拡大してしまった。いろいろな意味で、胸に迫る画面には事欠かない。蘇る恐怖がある。こみ上げる涙がある。抑えがたい怒りがある。健気さに送りたい拍手がある。挫けない姿に感動がある。少しずつ見えてくる希望がある。そして、それに励まされている無力な自分がいる。

 呆然と廃墟を見詰める被災者。帰るあてもなく、住み慣れない町での生活を余儀なくされる避難者。遅々として進まない除染作業。持って行くあてのない汚染水や汚染瓦礫の山。心臓バイパス手術の予後を押して式典に臨む天皇。40年後の廃炉に向かって、放射能の中で命がけの作業に励む下請け・孫受け・曾孫受けの作業者達。住民を守って、自らは津波に消えた警察官。恩返ししたいからと、救難ヘリのパイロットを目指して学ぶ高校生。島の被災地で、汚泥にまみれた中から食器や写真などを拾い集めている米軍海兵隊員。仲間や家族を失いながら、懸命に復興に尽くす自衛隊員。海の上でこのときを迎えた一人の漁師が、後ろ手を組んで亡くなった仲間達に黙祷を捧げている。「掌だけは合わせたくない。だって、俺の中ではまだ生きてるんだから。」…枚挙にいとまないほど数々のドラマがある。

 その一方で、原発再稼動の為の住民説得の先頭に立ちたいと広言する首相。大停電という刀で脅しながら原発再稼動を謀り、賠償金の財源に行き詰って「電気料金値上げは電力会社の権利」と言い切って恥じない電力会社トップ。…もう、言葉がない。
 この一年の政府の動きの鈍足・愚行は目を覆う。スタートしたばかりの復興庁に早くも納得出来ない温度差があらわれ、地域の怒りをかった。地域出身代議士の水面下での蠢きさえ疑いたくなってくる。疑心暗鬼の多くが当たってしまうほど、政治という暗黒世界の闇は深く汚く恐ろしい。
 この非常時に、政治家は、いったい何やってんだろう!相変わらず利権・金権・権盛欲にまみれ、児戯にも劣る政争を無駄に繰り返す党首たち。野次ることと反対することしか知らない愚かな陣笠連中。常識を欠き、民の竈の煙さえ見ようとしない二代目三代目の七光り議員共。お馬鹿な放言をして、短期間で雛壇を追われるたらいまわし大臣。原稿の朗読と揚げ足取りに終始する国会中継は、この一年の最大の醜悪な茶番だった。これはもう笑劇というより、国民にとっては耐え難い悲劇でしかない。国民が嘆き、日本人の秩序立った災害への対応姿勢に感動した世界中が、今は呆れ返って笑っていることだろう。そんな政治屋連中が、したり顔で「絆」という言葉を口にするのを聞くと、「てめえらだけには、言ってほしくない!」と身体が熱くなるほどの怒りがこみ上げてくるのだ。

 年寄りの腹立ちと、笑わば笑え。我が家の包丁は、刺身が引けるほどよく切れる。マイ砥石を持って、マイ包丁を研ぎ上げて来た数十年。俺を怒らせたら怖いぞ!と嘯きながら、空しく蟷螂の斧を振り上げ続けて一日が暮れた。
 明日は又、この太宰府でさえ2度という寒波が還ってくる。冬将軍よ、被災地にだけは、もう振り返ってくれるなよ。
            (2012年3月:写真:空白に怒りの真紅を見て欲しい)

そして、一年…

2012年03月11日 | つれづれに

 この日を待っていたかのように、この朝庭の白梅が開き始めた。寒波が開花を遅らせ、例年先に咲く紅梅は、まだ硬い蕾のままである。
 あの日、たまたま点けていたテレビで、街に襲い掛かる津波の凄絶な生中継を観て、九博ボランティアの五人会の仲間達に「すぐテレビ点けて!」とメールを送った。
 今日は終日、「3・11から一年」の特番が流され続けている。思いも新たにこの一年を思う。懸命に生きる被災者達と支援を続ける人たちにとって、あまりにも積み残したことの多い一年だった。過激に憤りをこめて送ったメールに、仲間達から返信が届いた。

 『一年前メールを頂いたときは、丁度キルトのお教室の最中でした。一年後の今日あの瞬間は、九博の荷解場でメンテの作業中です。
 直接的には何も出来ませんが、精一杯生きることで何かの支援になればと思います。』(T)

 『一年前の今日は、日本にいた人みんなが信じられない光景を目の当たりにしました。あれから一年。わかったことは、いろんな意味で、何があるか誰にもわからないということ。そして、積み重ねたつながりや新しい出会いでの新しいつながりが、必ず生まれるということでしょうか。
 世間に対して、大きなことは出来ていませんが、私も与えられたものの中で、精いっぱい生きて、身近な社会でお役に立つことで、間接的にも支援につながれば幸いです。』(Y)

 『月日の経つのは早いですね。昨年の3月11日は仕事中で、勤め先のテレビで映像を見ました。何が起きているのか実感がわかず、まるで映画を見ているようでした。あまりにも酷い現実でした。
 あれから一年、少しずつですが着実に復興を遂げていく被災地に、こちらが励まされている気がします。お互いが出来ることを、助けあって行うことが大事ですね。頑張ろう、日本!』(S)

 『あれから一年経ったのですね。早いような、長かったような…ちょうど一年前の事を、昨日のように覚えています。一年前のこの日も、福岡はすごくいいお天気でした。
 ちょうど博多駅開業の一日前。地震が起きたその時間、私は会社ビルの屋上にいました。…明日の本番が楽しみだね、なんて、呑気なことを言いながら笑っていたのを覚えています。オフィスに戻ってきてメールを見て、急いでネット検索しました。あの日ニュースで見たあらゆる映像は、衝撃として私の心に未だ突き刺さったままです。
 そしてあれから一年後の今、今日は日曜日ですが、一人出勤しています。時間があれば、意識して同じ場所に立ってみようと思います。
 生きている幸せ、笑っていられる幸せ、私が私でいることができる、あらゆる「今」に、感謝です。みんなにとってステキな一日でありますように。』(N)

 それぞれに、それぞれの『3・11』がある。
 被災者の一人がインタビューに答えた言葉が耳に残った。「もう援助しないで下さい。駄目な人間が増えます。…私達はいただくことに慣れてしまいました…。」

 改めて思う。助けるって何だろう?遠く離れて、何不自由ない暮らしを続けている自分に出来ることは、いったい何だろう?
                   (2012年3月:写真:綻び始めた白梅)