蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏、初めて尽くし

2011年07月15日 | 季節の便り・虫篇

 7月3日、ヒグラシの初鳴きを薄明に聴く。7日、ナツアカネを初見。12日、ニイニイゼミ初鳴き。14日、モンキアゲハが木立を掠めて飛ぶ。15日、この夏初めてのセミの抜け殻を庭木に発見!珍しくアオスカシバが庭を訪れ、スミレのプランターに、待っていたツマグロヒョウモンが産卵にやって来た。木陰をヒメウラナミジャノメが舞う。蹲の陰から、まだ幼いカマキリが覗く。八朔の葉裏で、クロアゲハも産卵に余念がない。博物館ボランティアで自記温湿度計の記録紙交換を終えて帰る夕暮れ時、博物館の硝子外壁の下で、数十年ぶりにノコギリカミキリを見た。
 呆気なく早い梅雨明けの後、殴り込むように熱暑の夏が来た。俄かに虫達の動きが活発になる時節である。今年も、縁側の網戸にツノゼミの訪れがあった。

 右足甲にヒビを入れてしまった家内のリハビリを兼ねて、温泉に走った。動きをいたわる為に、「露天風呂付き離れ和室・一日2組限定・豊後牛と地鶏の炭火焼プラン」というキャッチ・コピーに惹かれて、前日にネットで予約した。
 大分道を湯布院ICで降り、湯布院の町から左に折れ、由布岳を右に見ながら北に走り上っていく。九十九折れをしばらく走ると、思いがけず豊かな高原風景が広がった。塚原高原の一角「山荘・四季庵」…ナビが混乱して堂々巡りを繰り返すほど、やや分かりにくいところに、飛騨白川郷から移設した木造5階建て茅葺切妻の豪壮な合掌造りがあった。「築200年、間口10間1尺8寸、奥行6間1尺8寸」と看板に謳う。そこを母屋として、13室の離れが配置されていた。帳場(フロントといわない所がいい)で鍵をもらえば、もう案内も布団敷きも何もない、「あとは気ままにどうぞ」という、その無愛想さが、何とも心地よいサービスである。
 早速、露天風呂で出かけた。早めの到着だったから、今日も無人の独り占め。温度が冷たい泉源を沸かした掛け流し温泉だが、消毒の為に加えられた塩素がかすかに臭うのが少し気になる。しかし、湯船に浸れば眼前に由布岳北面がのしかかるように聳え立つ風情はなかなかなものだった。異常発生したのか、洗い場にコガネムシの死骸が散乱して、ちょっと興を冷ますが、これも山宿ならではのこと。そっと洗い流して湯に浸る頭上を、オニヤンマがクルリと反転して過ぎた。
 合掌造りの母屋の大広間で、炭火焼三昧。黄昏と共にヒグラシの合唱に包まれ、夜陰が迫るとホトトギスの声に代わった。料理の肉質にはやや不満が残ったが、今回は湯治が主目的だから良しとしよう。満腹感は充分過ぎるほどであり、デザートの手作り風の水羊羹と、クラッシュアイスを浮かせた抹茶が絶品だった。油っぽくなった口を爽やかに洗って、夕餉を終えた。籐を円錐形に編んだ中に納められた灯火が幻想的に連なり、部屋までの木道を導いてくれる。待っていたかのように、由布岳の左肩から幾つかの群雲を従えて満月が昇った。
 夜半、部屋の露天風呂を試す家内を残し、木道の灯りを辿って再び身を沈めた露天風呂。黒いシルエットとなった由布岳と眩しいほどの満月は、今宵一番のご馳走だった。この日、父の28回目の命日。その父が逝った歳まで、1年半となった。

 翌朝、高原の涼風に吹かれて三度目の露天風呂を満喫、和食のバイキングで朝食を摂り、リハビリの家内は四度目の温泉に浸る。11時のチェックアウトを済ませて虚無僧門を潜って宿を辞す時、門扉の柱に珍しいカミキリムシを見付けた!ルリボシカミキリ、多分、我が人生で初めての対面である。この夏に迎える初見の極みが此処にあった。

 湯布院からやまなみハイウエイを走り、長者原、牧の戸峠を越え、阿蘇外輪山のミルキーウエイから小国に下り、蕎麦街道の「吾亦紅」で夏限定の大根をたっぷり使った「すずしろ御膳」と「とろろ蕎麦」で遅い昼食を摂った。
 いつものように下城のお爺ちゃんの店でピーナッツとうずら豆を買い、ファームロードWAITAを一気に走り下る。帰り着いた下界は、今日も炎熱の真夏だった。
            (2011年7月:写真:ルリボシカミキリ)