蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

怒りの鉄槌

2008年12月31日 | つれづれに

 未明、綻び始めたロウバイを冷たい氷雨が叩いた。限りなく、釈然としない大晦日である。怒りの越年である。年末恒例の歌番組やバラエティーの馬鹿騒ぎが白々しく、軽薄なお笑いタレントや、自分では可愛いつもりの薄っぺらなジャリタレに嫌悪感を抱きながら、真っ暗闇の年の瀬が暮れていく。近年のテレビの中身のなさにはうんざりさせられる。
 それを言うなら、血祭りに挙げるのは先ず政治家だろう。無為無策ここに極まり、悪政というより無政の日々が続いている。アメリカに始まった怒涛のような経済混乱が、世界67億の民の生活を脅かしている。斜陽の経済大国・日本でも、日経平均株価はこの1年で42.1%下落して今年の取引を終えた。1949年に算出を始めて以来、59年目にして最悪の記録という。GDP(国内総生産)の実に4割・196兆円が失われた。背筋を戦慄が走る未曾有の危機にあるというのに、政治家達は民の痛みを政争に利用するばかりで為すすべもなく、したり顔の族議員が厚顔無恥に跋扈し続けている。
 財界にも経営者がいない。馬鹿の一つ覚えのようにリストラといえば人減らししか能がない経営者たち。昨年まで莫大な利益を得てほくそ笑んでいた巨大企業や、日本の産業をリードしていた企業群が、非正規従業員(イヤな言葉!)を大量に馘首し、寮を追い出すことで経営のつじつまを合わせようとしている。無能の児戯である。人を採用するということは、その人の人生を預かるということである。その人生を紙切れ一枚で切り捨てる無責任さを、彼らはどれだけわかっているのだろう。中小企業が懸命に雇用を確保して踏ん張っているのに、大企業は冷酷無残に首切りを断行して恥じるところがない。
 憤怒の鉄槌を何処に下しようもなく、間もなく2008年が幕を下ろす。年寄りの特権、それは怒りまくることと決めた。もう、誰に遠慮も要らない。無責任に言いたいことを言って今年を送ることにしよう。所詮「蟷螂の斧」かと自嘲しながら、「必殺・仕置き人」に憧れる昨今である。
 密かに心に決めていることがある。古稀・70歳になったら、全ての役職を任期満了と共に順次辞任すること。退き際を誤って老醜を曝す愚かなお手本は枚挙にいとまがない。九州国立博物館の環境ボランティアだけに絞って、余生の全ての時間を自分のものとしよう。リタイアして8年、自分なりに納得出来る、そして誰にも後ろ指を指させないことをやってきたつもりだから……。その日まで、あと18日。

 豊後の知人から、見事な鯛と烏賊とサザエが届いた。出刃と刺身包丁を手に、1年の怒りを鯛にぶつけた。不慣れな包丁捌きで3枚におろし、片身を鯛茶漬けに、片身を皮付きで湯引きして刺身に、頭を割ったアラは家内の好物・アラ炊きとなる。硬い骨と鰭で2箇所に刺し傷を負いながら板前ごっこを終え、少し憂さが晴れた。
 日差しが蘇り、残り少なくなったロウバイとキブシの黄葉を、木枯らしが千切り取って路傍を奔らせる。小雪まじりの越年となりそうな厳しい寒波の中、仕事や住む所を失って路頭に迷う企業エゴの犠牲者達は、どんな思いで過ごしているのだろう。もしも凍死する犠牲者が出たとしたら、それは殺人である。馘首を断行した経営者よ、人の命を奪う恐怖と、巷間闇に蠢く怨念に慄きながら、屠蘇の苦味を味わうがいい。
 太宰府天満宮200万人の初詣客と車の渦に呑みこまれて、わが町内は一歩も動きの取れない3日間の冬篭りにはいる。
           (2008年大晦日:写真:綻び始めたロウバイ)