蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

師走の風

2007年12月16日 | つれづれに
 暖房に倦んだ身体を冷ましたくて、夕暮れの庭に出た。キュッと首をすくめたくなるような木枯らしが、襟元を容赦なく舐めて過ぎる。常夏のメキシコから戻った身体は、まだ日本の冷たく暗い冬に順応しない。
 黄色く染まった蝋梅が、ハラハラと葉を散らす。その枝先には、春真っ先に黄色い花をつける玉のような蕾がみっしりと並んでいる。山茶花も既に散り急ぎ、八朔がようやく黄色く熟れ始めた。昨年に比べ落果が多く心配していたけれども、色づくに連れて葉色の緑に隠れていた実が、黄金のような数を増やしていく。この時期の隠れた楽しみである。
 詫助の純白の花の向こうに、オレンジ色のカラスウリが幾つか、可愛いランタンを提げた。出入りの庭師にも、剪定の際にカラスウリの蔓を切らないようにと繰り返し頼んで、野性の蔓延るままに任せていた。瓜子のような縞模様の若い実も捨てがたい。冬枯れの庭に、幾つもの季節の歩みを感じながら、今年もあと僅かとなった。もう、師が走る時代でもないのだろうが、言葉の風情だけが人々の心の中に生き続ける。

 丁度1年前、食道癌切除の6時間の手術に耐えて生還した兄が、脳出血で倒れた。幸い軽度の出血であったことと、たまたま傍にいた人たちの迅速な処置で、今後の生活に何の支障もない結果となった。兄も古稀を迎えた。長寿化した今の時代に、70歳は決して「古来稀なり」という程のものではないけれども、一旦メスを入れた身体、まして食道全摘した肉体のバランスは、微妙なところで以前とは違うのだろう。見舞いに行くほどのこともない回復のようだし、もともと頑健な兄である。さりげなく年の瀬を送り、新年を迎えることにしよう。
 兄と妹に挟まれて、一番ひ弱で長生きしないだろうと思われていた私が、何故か大病ひとつせず、身体にメスを入れることもなく、一番元気で余生を爛漫に楽しんでいる。
 まさかこの歳でスキューバ・ダイビングのライセンスを取れるとは思ってもいなかったし、周りの人たちもみんな冗談と思っていたけれども、本人はそれほどの気負いもなく、気がついたらトレーニングにのめりこんでいた。今考えると、冬のカリフォルニアの海の冷たさは尋常ではなかったけれども、子供達と過ごしたダイビング・ボートの3日間は楽しかった。
 書き込んだ5編のブログに、思いがけずたくさんの人たちからコメントをいただいた。喜びのお裾分けが出来て嬉しい。あの渦巻き流れていた無数のギンガメアジの群遊を、その後何度夢に見たことだろう。
 帰ってすぐに、沖縄・座間味の友人に「ライセンス、ゲット!」のメールを入れた。「来年、沖縄の梅雨明けを待って、6月末に潜りに行きます」と。折り返し「待ってま~す!」という返事が来て、早速私の中で新年の遊びが蠢き始めている。

 賀状に「今この一瞬が爛漫の春です。」としたためて、太宰府天満宮脇の光明寺の煩悩を払う除夜の鐘で始まった今年の締め括りとした。
         (2007年12月:写真:カラスウリ)