蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

旅の余韻

2005年07月01日 | 季節の便り・旅篇

 旅が終わってから始まるものがある。漂泊の人・芭蕉は、無常観を根底に置いた風狂の世界にさすらい、帰るところを持たない「無所住の旅」を重ねた。江戸の宗匠の地位を捨てて深川に籠もり人との交流を避けたが、芭蕉にとってはまだそれでも十分ではなかった。39歳、江戸の大半を焼き尽くした大火で深川の芭蕉庵を喪ったことで、芭蕉の旅への思いは一層深まっていった。
     旅に病んで夢は枯れ野を駆け廻る
 「奥の細道」の旅を終えた芭蕉は、敬慕した古の文人、西行、宗祇、杜甫、李白に倣うかのように、51歳の旅空で帰るあてのない旅を閉じた。その客死は彼にとって或いは本懐であったのかもしれない。
 俗人の私達の旅には帰る所があり、また旅を終えて始まる新しい何かがある。「脱・日常」の束の間の陶酔の後に、またいつもの日々が還っていた。そんなある日、10日間のアラスカ・クルーズを共にした千葉のWさんから、2時間のビデオ・テープが送られてきた。
 静止画のアルバムとはひと味違う臨場感に、再びクルーズの日々が蘇る。オプショナル・ツアーの違いから行けなかった場所も見せてもらったし、違う視点での映像に新鮮な驚きもあった。濃霧で実現しなかったトレーシーアームの氷河クルーズや、エンジン・トラブルで入港が遅れて中止になったビクトリア観光への無念の思いを、呟くようにぼやくご主人の言葉が映像にダブる。その巧まざるユーモアが何ともほほえましい。丁寧に編集された一編は、改めて楽しかった10日間のクルーズを一気に再現してくれた。
 何よりも嬉しく、そして口惜しい思いをしたのは、見たくて見ること叶わなかったシャチ(オルカ)の映像だった。数頭の家族連れとおぼしきシャチのひと群れが、鋭い背鰭を見え隠れさせながら波間を泳いでいく。Wさんがファインダーに見事に捉えたこの映像を見せてもらっただけでも、このビデオは百金の価値があった。懐かしい船内風景やクルーズ仲間達の笑顔が嬉しい。最後の夜のシャンペン・ウォーター・フォール。国籍を超えて沸き立つように盛り上がったパーティーは、クルーズの掉尾を飾るに相応しい最高の夜を演出してくれた。シャンペンを注ぐW夫人の笑顔が眩しいほどに輝いていた。
 早速お礼の長距離電話をかけて、夫婦4人入り乱れての会話となった。声のトーンが次第に高くなって、挙げ句、宮崎のNさんの所で合流して、九州温泉の旅を…という話がまとまっていく。多分その先には「また保険が満期になったら、地中海クルーズに行きましょう!」なんてことになるのだろう。
 芭蕉のような峻烈な漂泊の旅ではなく、出会いの素晴らしさを喜び合う素朴な旅、そしてそこから始まる新たなふれあいの日々こそ私達には相応しい。ケチカンで見付けたワタリガラスのお気に入りのペンダントをTシャツに垂らし、帰るところのある旅の幸せを想った。
         (2005年7月:写真:ワタリガラスのペンダント)

恐るべし、小さな命!

2005年07月01日 | つれづれに

 線香花火のように可憐なツクシカラマツが今年も弾けるように花を開いた。鉛色の空は相変わらず雨の滴を落とさず、6月の降雨は観測史上初という少雨の記録を残して、空梅雨のまま7月に入った。北陸地方豪雨というニュースに、その雨を少し分けて欲しいという不届きな願いがふと脳裏をよぎる。ダムの水は日々危機的状況となり、田植えを諦めた農家さえ出始めて、かつての福岡大渇水の厭な体験が思い出される昨今である。
 そんな中にもかかわらず、小さな野草達は健気に忘れることなく花を届けてくれる。早朝、井戸水を汲んで鉢に撒水しているとき、足元に天の川のように流れる黒い帯を見付けた。小さな蟻の群が卵を抱えて大移動の真っ最中だった。カーポートを囲むラカンマキの垣根の横に置いた鉢の下から、我が蟋蟀庵の陋屋を凡そ半周し、玄関脇の石の下まで延々10メートルを超える距離を、数万匹の蟻の群が流れている。刺されるとひどい炎症を起こす家内は、ひと目見ただけで怖気をふるった。小さな移動は日常よく見る光景なのだが、これほどの大群は初めてだった。これも少雨炎熱の異常がもたらしたものなのかもしれない。
 天変地異の前に生き物たちが異常な行動をとることはよく知られている。さては大雨の前兆かと、空梅雨に喘ぐ身にはそんな期待をかけたくなるような大移動だった。あの数ミリの蟻の歩幅からすれば、大変な距離の移動に違いない。この逞しさはどうだろう。恐るべし、小さな命。数百万年に一度起こるといわれる大絶滅の過程に、人類は既に乗ったと私にはそう信じられるこのところの愚かな人間の振る舞い、それをあざ笑うかのように蟻の大群が行進する。音もなく平然と行進する。人間の後を襲うのは蟻か蜂か鼠か、そんな議論は措くとしても、些か背筋が寒くなるような朝の出来事だった。
 蟻の大群がその後どんな運命を辿ったかについては敢えて触れまい。日頃虫好きを自認する我が身には、些か触れがたい話題なのである。
            (2005年7月:写真:ツクシカラマツ)