伯母
亡くなった父の2番目の姉(私の伯母にあたる)が家からそう遠くないグループホームに入所している。
伯母は、16で母を亡くした私に人として必要なことを一生懸命教えてくれたし、怒られもした。
でも、伯母とは楽しい思い出がたくさんある。大事な人だ。
いつも行き来しているもう一人の叔母から『もう、声も聞けんのよ』と聞いていた。
去年はまだ話が出来ていた。私が誰かが理解できていたかどうかは疑問だが・・・。
ななが友達と出かけるので駅まで送って行き、ふと伯母に会いたくなって、そのままホームへ寄ってみた。今日はおとんが日曜出勤で私も久しぶりのお休み。天気は雨だし家に帰っても一人。
ホームはちょうど午前のお茶の時間だった。
伯母の部屋をのぞくとポータブルトイレに座っていた。でも今はあまりその気がないようだから、とスタッフの方が身支度を整えてくれた。
イスに移乗させてもらって・・・
『おばちゃん!』顔を覗き込むとおもいっきり笑顔を見せてくれた。
知ってる誰かが来たと思ってくれたかな?
でも、以前の伯母とはあまりに違う姿に涙が出てしまう。人が年をとるというのは仕方のないこととわかっていても、実際目の当たりにするとやはり辛い。
おまけに入れ歯の具合が悪くて、今、作り直しているそうだ。来週には出来上がるとのこと。今日はちょっぴり違う伯母ちゃんと記念写真。
デジカメに撮っておいたいろいろな写真を見せると食い入るように見て、私が説明するとニコッと笑顔になる。
おばちゃんは耳が遠く補聴器を使っていたが、3ヶ月くらい前にガリガリとかじって壊してしまったそうだ。それ以後、もし飲み込んだりケガをしたらいけないからと使っていない。
でもね、今日私はそんなに大きな声で話してはいないのに全部わかっているように笑顔で返してくれた。
もしかしたら補聴器なんかなくても聞こえるようになったかも知れないね。人は頼るものがあるとそれにすがってしまう。おばちゃんは今とっても自然な人間になれているのかも・・・。
今日はお部屋の一斉消毒の日だったそうで入所している人はホールに集合!。
伯母は車椅子で移動するものと思っていたらスタッフの方が『少しづつでも歩けるんですよ、ね、○○さん』と、おばを後ろからしっかり支えてホールまで歩かせてくれた。ゆっくりゆっくり。
車椅子は本人もスタッフも楽に違いない。でもそれは本人の体の機能を奪ってしまうことになる。
常にうなだれた状態の伯母にヨーグルトを食べさせてくれる。『食事は今、歯がないのでミキサー食ですが、こういった柔らかい果物はなるべくそのまま食べてもらってるんですよ、お食事もしっかり食べていただけるので助かります。』
伯母に限ったことではないだろうが、スタッフの努力に、やさしさに、細やかさに、思いやりのある言葉使いに感謝だ。
1時間ばかりがたち、『おばちゃん、また来るね』と言ったとき、『うん?』という伯母の声。
『おばちゃん、声出るやん!もったいぶらんで話ししよう(笑)!!』
笑顔の伯母は『ゆっくりしいね』、そのあとは残念ながら聞き取れなかったが・・・。
伯母の声が聞けるとは予想もしていなかったので思わず涙があふれた。
すると伯母の左手が私の涙を拭ってくれた。
母のいない私にとってこれ以上ないほどのやさしい手だった。
私はなんて驕っていたんだろう、伯母を見舞うどころか私が伯母に癒されたんだ。
私の涙を拭ってくれる人がいるということのしあわせ。
伯母に感謝せずにはいられない。
ありがとう、おばちゃん。また会いに行くね。