家の近くに木津川が流れている。下流に向かって車で15分ほど走れば、全長356m 幅3mの日本で2番目に長い木造橋の「流れ橋」がある(世界一長い木造の橋は大井川にかかる蓬莱橋で897m)。橋脚部分まで木造の橋としては日本一の長さだ。
流れ橋は正式には上津屋橋(こうづやばし)という。大雨や台風により、川の水位が上がれば、橋床が流れることか らこの名前がついたようだ。増水して、橋脚まで水が達すると、全長を八分割してワイヤで連結された橋床が流れる。
橋床は橋脚に半分がつながっているため流失することはない。大雨、台風が去れば通行止めにして復元するのだが、かなり費用がかかる。
プールの帰りに何年ぶりかに行った。その昔は車で橋のたもとまで行くことができたが、現在は通行止めの柵が設置され300メートルほど歩かなければならない。時代劇の華やかだった頃は年に20回近くロケーションに使われ、現在でも年に数回使われている。
の何本かの橋脚がコンクリート製になっていた。4年前の台風で流されたので、そのときにコンクリートにしたのだろうか。
橋に上がり以前に探偵ナイトスクープで、右岸から左岸までの板の枚数が何度数えても、その度に違うということで探偵が調べてたことを思い出した。私もヒマにまかして、何枚あるか数えてみた。下を向き1枚、2枚と200まで数えて前を見れば、左岸まで気が遠くなる距離だ。や~めた。
橋の上で母親と年頃の娘さんの二人連れに出会ったので、カメラのシャッターを押してあげて喜んでもらう。探偵ナイトスクープの話をしたらお母さんも見ていたようで、「1、700数枚でしたよ」の返事を聞き、最後まで数えなくて大正解だった。この親子は、はるばる大阪から見えていた。橋の下には淀川のように、幅広く川が流れていると思っていたようで、右岸の30メートルほどの川の狭さには驚いてい た。橋のそばは広大な砂浜で、4輪駆動車のタイヤ跡が 無数にあり、休日には楽しんでいるようだ。
左岸まで5分で行ったが途中でバイク、自転車と何台もすれ違った。地元の人にとっては生活道路である。欄干が 無いので風があればスリリングだ。バイク、自転車は押して渡るようにと看板が立っているが、守る人は皆無と言ってよい。バイクは遠くからガタガタと大きな音を出してくれば、歩いている者は思わず振り向いてしまう。
橋の上から上流、下流を眺めれば爽やかな気分だ。地元の近場にこんないい所があるのに、10年に1回訪れるなんて橋が泣いている。案内して欲しい女性がいれば喜んで案内しましょう。橋のたもとで沢山のメダカを見つけたので、春になればタモを買って獲りに行くつもりだ。
[参考]
1.木津川は宇治川・桂川と合流して淀川となる。
2.昭和初期の架橋以前は渡船があった。
3.1960年代までは、木津川下流部各所に水泳場があった。
神奈川県県立神田高校の入学試験で、髪形や服装などに問題のある生徒を不合格にしたと新聞で知った。同校は平成17、18、20年度入学者選抜で、願書受け付け時や受験日に髪形や服装などを独自にチェック、「入学後の生活指導が困難」と判断した計22人を点数は合格圏内だったが不合格としていた。妹の旦那とこのことで議論したが、お互いに考えは同じで「不合格は当たり前」の結論になった。例えば就職試験に、まゆをそっている・髪を染めている・つめが長い・態度が悪い・胸ボタンが外れている・服装がだらしない・ズボンを引きずっている・スカートが短い・落ち着きがない・軍手をつけたまま書類を受け取る…こんな人間を採用してくれる企業は、そんなにあるはずは無い。
入試の選考基準にそんなことは書いていないと問題にしているが、学校生活にふさわしい服装、態度を含め規律を守ることは合否基準以前に当たり前ことである。報道の反響が大きく同校は「不適正だった」と謝罪し、県教委が11月1日付で校長を更迭てしまった。この処置に対し、生徒の間から異動撤回の署名活動があるそうだ。県教育や同校に約1,150件の電話やメールが寄せられている9割は、校長や学校側の判断を擁護する内容のようだ。擁護する意見は、「服装や態度で選考して何が悪いのか。選考基準になくても当然」「高校は義務教育ではない。(不合格にした)校長の判断は正しい」「風紀の乱れを事前に守ろうとした校長がなぜ解任されるのか」など。
そもそも同校は数年前には約340人の全校生徒のうち、年間約100人が退学する問題校だったそうだ。いまどき公立高校でこんな学校があったとは、驚きを通り越して何と言っていいやら言葉が見つからない。更迭された校長は規律刷新に率先して取り組み、最近は地域で悪い評判も無くなり「あの先生だからここまでいい学校になった」と父兄の評判はすこぶる良い。
報道がうるさいから、と安易に校長を更迭する県教育はどうかしている。先生も勉強以外のことで振り回されては、たまったものではない。いっそうのこと来年の入試から「髪形や服装などに問題があれば減点50」とかハッキリ書けばどうだろう。親も子供の受験に当たり、注意をするのが当たり前と思うが出来ないとは情けない。
私の高校時代は、指導部の改善指導に従わなければ即「停学」の二文字が待っていた。
「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞゆう」と読むのは活字ばなれをした若者かと思いきや、何と日本のリーダーと聞いて空いた口が塞がらない。口がだるくなったので、誰かこの口を塞いで!昔の方は読み書きソロバンは必須だったのに、この方は一体何をしていたのでしょうか。側近には読み間違いと言っているがホンマかな?「ウソに決まっている」と断言しちゃいます。常識があれば「ふしゅう」だの「みぞゆう」だの、そんな難しい聞いたことも無い読み方はできるはずはない。
自称漫画オタクだと聞き、この人は活字を読むのは苦手なんだ。皆さん自信を持ってください。日本のトップはこんなレベルですよ。
[参考]
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11月8日(土曜日)
11時過ぎに母が入所している老人ホームへ行った。2ヶ月ぶりの面会だ。前回行った時は、私が誰か認識できなく寂しい思いをした。日により調子が良い日と悪い日があるようで、果たして今日はどっちだ。行くと食事をする部屋で車椅子に座っていた。丁度入浴した後で肌はつやつやで健康そうだ。私は誰だと問えば「ゆみおだがや」の返事があり、調子の良い日にあたったようだ。部屋は前回行った時は相部屋であったが、新築の一人部屋に移ったと言うこと で見学をした。部屋は6畳はありそうだ。面会もこれだったら他人に気兼ねをしなくていいので、何も言うことはない。
食事は前回の時は一人で食べることが出来なく、1時間も要していた。しかし、今回はコップを手に持ち、一人でお茶を飲む姿を見て驚いた。えらい変わりようだ。薬をやめて体調が改善したのではと弟も妹も推測していた。食事もスプーンに乗せ口に持って行けば旺盛で、20分ほどで完食してしまった。食べ終われば満腹で気持ちが良いのか眠り始めた。1時間ほどの面会だったが元気な姿を見て安心し、12時に老人ホームを後にした。兄貴夫婦、弟夫婦、妹夫婦には、母の世話をかけっぱなしなのが辛い。ごめんやで。
中国道の院庄ICまでの75キロは、右を見ても左を見ても正に全山紅葉で美しい。太陽が照っていないのが、ちょいとおしかった。
中国道はスムースに流れ、飛ばしたければいくらでも出せる。往路では覆面パトを追い越しかけ、冷や汗をかいたので慎重に運転をした。腹も空き眠くなって来たので、勝央サービスアリアで休憩をした。鴨ねぎラーメン(800円)を食べて、一気に京都まで帰った。眠くなれば休むに限る。少しの休憩だったが、眠気はどこかに飛んでいってしまった。家に到着したのは3時半過ぎで、25時間の弾丸トラベルだったが疲れは余り感じられない。まだまだ若い。