ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

寺田イモがやって来た

2016-10-06 22:29:44 | 

10月6日(木曜日)
城陽市特産の「寺田イモ」を、親類の方が持って来てくれました。有難いことに、毎年「寺田イモ」を親類の数軒からいただきます。

「寺田イモ」なんて聞いたことが無い貴女にPRしましょね。
城陽のイモは、江戸時代から栽培が始まり、明治時代後期から「寺田イモ」としてその名を知られている市を代表する特産物の一つです。木津川堤防沿いの荒州(あらす)地区でつくられたイモは、大きく甘みがあるのが特徴です。
木津川は、高山ダムができる前は、よく洪水を起こし洪水などで、肥えた泥を運びました。
この土壌は、イモの栽培に適した砂地で良質の土壌です。従って、「寺田イモ」は別名:荒州(あらす)イモとも呼ばれています。
孫はことのほか、このイモが大好きです。我が家に来れば、 「バアバいも!」と叫びます。
いただいたイモを見れば、私の作ったイモと大違い。

私のイモは黄金虫の幼虫に表面を食われ、まるで月面のクレーター。
それに比べいただいたイモは、綺麗な見事なイモです。作るのがイヤになってしまいます。
来年はサツマイモを作るのは、止めようかどうしょうか悩みます。我が家のサツマイモの蔓をこよなく愛する、ジルー一家の顔がちらつきます。作っても1畝に減らそうかな・・・。
女房は早速に寺田イモを蒸かしてテーブルに乗せました。

見るからにホクホクで美味しそう。
昼食は、豚まんとサツマイモのポテトとロースハムのステーキを食べると満腹です。

とても蒸かしたイモは、お腹に入る余地は有りません。本日我が家の掃除に、京都壬生から来ていただいた、”クマちゃん”のお土産に持って帰っていただきましょう。

【参  考】
1.「江戸時代に寺田にイモを根付かせたのは、長池の薬種商「嶋利兵衛」です。彼は、幕府禁制品が混じっていたため壱岐島(長崎県)に流され、11年後に赦免の時、種芋と栽培法を持ち帰り試植したところ、寺田地区で成功し、特産品となりました。それまでに長池ではサツマイモの栽培が試みられてはいましたが、きちんとした栽培法が分らず葉ばかり茂ってうまく行かなかったのです。そこに利兵衛が帰国して栽培法を指導したので成功しました。今、大蓮寺に「琉球芋宗匠嶋利兵衛」と云う芋の形をした墓があります。
2.寺田イモは約20ヘクタールで栽培され、9月初旬から11月初めにかけて、年間約350トン近く収穫されています。出荷は地元周辺の消費者に直接販売されるものがほとんどで、卸売市場に出荷されるのはごく一部です。品種は、長い間、高系14号が主品種でしたが、現在は味・色・形のよい紅赤(べにあか)が中心です。

コメント
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