<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

この人間というペーソスな存在

2009-02-26 21:17:19 | 私の考え。
あ~

某○○有名ショッピングモールに所用で行って、帰ってきたばかりのところです・・

手紙が一通来てて、読んだんです、

それを読んだあと
あまりのおかしさに・・ 自分をとりまくこの一瞬の状況に、おかしさが込み上げてきて
なんともいえない笑いですわ

自分も、(他)人も、この周りの状況も、どうしようもなく、
ばかばかしく、笑うしかないような。

・・人間というのは、相互(完全)コミュニケーション、というのは不可能なわざなんですかね?(少なくともこの世において)

わる気、なんか無いつもりでも、人を傷つけない、ってことは不可能ですね、人が生きている限り、どなたも。

自分も他人を傷つけないように、わる気なく、一生懸命やっているつもりでも、(他)人に傷つけられます

そして、こわいことに・・これがまた必ず、ぜったい人を傷つけてるんですよ 自分が気づかないところで、人を・・。

互いにわる気なんかなかったりするんです

これが・・いくつか重なったりすると、超絶望的でしょ?

生きていく気持ちなんか、なくなりますよね・・。これが人間不信。

いえ、手紙の内容は、これとはちがうんです、それは逆にペーソス(物悲しさ)に近いユーモアさえ感じられて、それで反動が出て、ここ数日の自分(を多少圧迫している、と感じられた数件の出来事)をとりまく状況のことを考えると、・・逆に圧力が抜けて、冒頭の、(哀し)笑いが込み上げるようになったんですね。

人間同士のコミュニケーション不可。悪気がなくても、相手を傷つけ合う。私達の間には、希望がないのでしょうかー。適当に距離を置こうとしても、そうもいかないかも、知れませんよ。


もし、私に信仰がなかったら、(→気がおかしくなって、・・しまうかも知れませんよ 人間の間にだけいたりしたら。)・・生きる力なんかでないでしょうね。

でも、この信仰も、自分の故ではなくて、御霊によって、神がご自身を、私個人に、現してくれたことに、他ならないんですよね。

・・ひとえに神からの恵みによるんですよ、私の故ではありません、(それだけ、私が憐れむべき存在であったということでもあるでしょう)

それでは、私たちの間に、少なくともこの世では、希望はないのでしょうか・・?。

今は、この聖書の箇所だけ。

エレミヤ書31-34
「人はおのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい。』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを(=神を※注:筆者)知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」

すばらしいですね。
地上に居る、全てが神を認め、一致する、ということです-
想像するだけで、感動します、信じられないけど、そうなることです。

大丈夫、ペシミスティックになんか、なって居ませんから。
ほんとにペーソスですよ、この世界、人間の今の状況、そして今の自分の内面ときたら、。
もし希望の光が来ていなかったら、この世界は滅んでた、。
そのことをまざまざと再確認してみた事実でした


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