<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

引用聖句 黙示録12:9から・・瞑想。

2011-11-26 22:14:33 | デボーション(瞑想)。
11月26日(土曜日)
私は、教会での礼拝(説教)中、とくに退屈するわけでもなく、むしろ非常な興味を持って、耳そばだてて、非常な集中力で聴いてるんが常です

そんな中でも、説教者が、話の内容に合わせて、聖書のある箇所を引用しますわね。

それで、その聖句に加えて、もちろんその説教の内容も合わせて鑑みながら、
どんどん瞑想(空想、妄想ではない)が沸いてきちゃうんです

今日は、約何週かぶりで(苦笑)わが教会へ行ったら、
アメリカのシリコンバレーがどこかで牧師されてる マーク・デュアートさんの説教でした

今日の引用は、「ヨハネによる福音書の14章1節~」から。
キリストの言葉で、
『あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。
もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。
あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所を用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。・・』

そして、併せて 「ヨハネによる黙示録12章7節~」から。
さて、天では戦いが起った。ミカエル(注・キリスト)とその御使たちとが、龍(注・サタン)と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天にはかれらのおる所がなくなった。・・」

-説教者は、アドベンチスト(再臨を待つ者、の意)の最大の教理である、キリストの再臨(今は天におられる)、私達を、永遠の住まいに迎えるために、天にまた連れて行ってくれる、(その反対に、天での居場所を失ったのが、悪魔である) ということに焦点を絞って話していたんですが

わたしは、ピンピン!と・・来たものがあった。
以下は、どの神学書から引用したのでもないし、こんな考え方はキリスト教理として一般的なのかどうか、わたしは知らんのですが

”その黙示録の箇所のつづき”が
(黙12:9)

「・・この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地(注・地球)に投げ落とされ、その使たちも、もろともに投げ落とされた。」

ここね、反逆を起こして、破れて 天に居場所を失ったサタンが、よりによって、ど~して、この地球に、来ることになったのか。?
(ここ数年、考えたこともなかったけど、10年前くらいに思ってたことは確か)

それは・・答えは(自答)、”悪魔が、堕落したあと、宇宙の中で、唯一騙す(同じように堕落させる)ことができたのが、地球の、人間”だから。

いわゆる、自分の手下、仲間、もっといえば”人質”にすることに成功できた、唯一つの対象、人間・・のところにだけ、サタンは居る猶予をゆるされた

ここで、ハッと気づいたのが、今日のポイントです

6年前くらいの、私が牧師かだれかに投げかけた、質問があった・・(とうとうそれに対する答えがなかったけれど・・。)

”それは、「もし」という仮定での話ですが・・、もし、サタンが人間を騙すことに成功しなかった、という仮定の場合でも、

[ここからは、説明がムズカシイなあ・・現世界としての、天と地球、宇宙全体の歴史の流れにおいては、この先(今は恩恵期間という)、・・・”いつになるかはわからない”が、恩恵期間の終了、キリストの再臨、千年期を経て、最後に悪魔(と悪)が完全に滅ぼされる、運命が決まっている。~預言者らの預言より)]

つづき、もしサタンが過去に、人間を陥れることができなかったと仮定しても、つまり悪魔の滅ぼされる時期は、このように、先の未来になるのだったんだろうか?

・・これが、以前の私の疑問だったんです、が

これに対して、NO!って自分なりに思ったんですよ

もし、人類が、サタンにだまされなかったら、・・天での戦いでサタンが負けたあと、「即座に」神によって、滅ぼされていたんでは、ないでしょうか?(これって、神学的にはどういう見解なの??これから、研究するか・・)

それが、首尾よく(?)サタンは、人類を堕落させることができて、文字通りの”人質”をとることに成功したんですね

だから、神にとって、その場で悪魔を滅ぼすということは、同時に ”人間も”滅ぼす、ということになったんですよ・・・(きっと)

神は、律法=罪には死、という正義を曲げることができない方で、
しかし同時に、いえそれ以上に、”愛”の方であるので、

そういう道を選択することを神はよし、とせず、
罪人を殺さずに、生かす(つまり、正義と愛を両立させる)には・・・

あらかじめ・・世のはじめから用意していた、
”救済”の手段を実行にうつすという、選択肢に、移行していったんですね

それが、父(神)・子(キリスト)の間で、世の作られる前から
「もし人類が、サタンに堕落させられたときには・・」と予測して、約束されていた
キリスト(子)による、(人類の罪の為の)身代りの死なんですね

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(ヨハネ 14:6)

という言葉のとおり、
堕落して滅びる運命となった人間の中で、その救いを得ようとする個人1人1人に対して、再び、天に戻る機会(チャンス)が、与えられたんです

そのチャンスを得ようとするか、
いずれ・・この世界が終わり、サタン(と悪のすべて)が宇宙から根絶されるときに、このまま人質としてとられた身分のままで、悪魔といっしょに滅びる道を選ぶか

どちらかを選択することが、私達に課せられてる・・

もし、・・ここで書いたことがわかりにくい、って方や ゆみりんの頭、ダイジョウブ?って思ってる方でも
この世とか人間の本質が、不思議に 善と悪の混在した姿 であることに、反対意見はないですよね?いい者が負けたり悲しい思いをしたり、その逆があったり、の不条理とか。

これは、現在、人が、善(神)と悪(悪魔)からの、両方の支配を受けている、っていう証拠なんですね・・

さっ もう土曜日も終わったし 現実に戻ります・・
明日は、ライブ(15時~、西田辺駅すぐ、@shanshan。)
==============
明日のライブ情報

@shanshan
 大阪市阿倍野区阪南町5-22-11
 (地下鉄御堂筋線 西田辺駅から西へ徒歩1分)
12時開演~終了16:30頃予定
(ホーリー・ホーシー 15時ごろ)
 入場料 ¥500(+1ドリンク)

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8 コメント

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Unknown (いちわのすずめ)
2011-11-27 11:42:00
ゆみりんさんの瞑想、最高ですよ!
すごくわかりやすい、聖書解説です!
気に入りました。
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Unknown (ゆみりん)
2011-11-27 11:51:27
いちわのすずめさん。
・・・正直、”ホッ~~”っと、しました☆
このような内容ですし、どうでしょう・・反論とかお叱りとかいただいたら、落ち込みがちです。それをおそれずに、思いきったんですが!
ありがとう。ございます
神学を勉強、という立場ではないけれど、
知識というより 神様に、感じさせていただいた事をいつも自分の言葉にしています、
反論もおそれないけど、
言わず(書かずに)いられないのですね
返信する
Unknown (iいちわのすずめ)
2011-11-30 07:07:28
難しいことをやさしく
やさしいことをおもしろく

作家の井上ひさしさんの言葉です。

河原久牧師が、私の聖書にサインとともに書いてくださっています。

これって、大事です。
SDAは頭の構造が知性が勝っている人が多いようで、
面白いことを難しく語りがち?

知性派の聴衆は、その方が分かりやすく納得するみたいですが、

私なんかは、それを』聞きながら、読みながら、やさしい言い回しに翻訳?して、
ようやく、理解できるんです。

だから、ゆみりんさんの解説は
私の脳の構造にぴったりです。

私は、聖書研究を一緒にしている求道者を与えられています。

また、出会った人に、クリスチャンだと知られたら、聖書について質問される機会もよくあるのです。

わたしの友人知人は、「この人クリスチャンだよ」って紹介してくれることが多いの(笑)感謝ね。勝手に宣伝してくれる。

だから、今回の瞑想メッセージも印刷して、「難しいことをやさしく、やさしいことを面白く」語るための参考資料のお宝に加えました。

これからも楽しみにしています。
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Unknown (ゆみりん)
2011-11-30 10:37:03
いちわのすずめさん>

おはようございます!朝から、うれしい書き込みをありがとうございます(ルン)

教会の中には、なにか こう おもしろみのない人物が・・失礼!いるように感じるのは、もしかしらた、実際には おもしろい(興味深いの意味)人物なのに
教会内では、と口をはばかられて 自分を制限?してるか何か、で おもしろい点が見えないようになっているのかも・・知れない、と思ったり。
教会外には、魅力ある人・・また、キリスト者を自称する、ユニークな活動をしている人も多くいますよね。

また、”頭の構造が知性が勝っている人が多いようで”
”知性派の聴衆は、その方が分かりやすく納得するみたいですが”
・・ふーむ。哲学を論じるのと、福音を語るのは、またちがいますから・・(後者は天の賜物だ、という点で大きく異なりますねえ)

あと・・聖書は絶対ですが、・・また、同時に、”聖書に書かれていない、各人が抱えている、証”ていうのもまた、真実としてあると思っているんです、それらを教理に相反するんじゃないか、と恐れて かくしてしまってる、というのはほんとうに残念でもったいないと思っています。
だから、少々まちがっていても、私は勇気を出して・・(笑)いいたい

”だから、ゆみりんさんの解説は私の脳の構造にぴったりです。”
・・えっと・・解説・・(笑)、神学書をひもといて語るんじゃなくって、自分が体験で、ころげまわって(苦笑)⇒起きてきた(起こされてきた?)経験を、身をもって語るようにします。

近頃は特に不思議なのは、・・とくに土曜日の午後などにライブをすると(讃美歌とかもう歌うせいで)『キリスト教について』『カトリックとプロテスタントって何が違うの?』・・『ボランティアをやっているのは、クリスチャンだから?』とか、素朴な質問をされることです。ライブの時間に話せることはそこで話し、終わってからもっと突っ込んで話せたりもします。驚かされるのは、一般的には、本当に、先ず”キリスト教”に関する知識がすごく薄いこと(誤解・偏見もある)んですが・・必ず自分の言葉で、体験したこと感じたことを基に話すようにしている。パウロのいう、「・・を得るためには、私も・・のようになった(なって福音を説いた)」まではむずかしいですが、そのようにできたらいいでしょうね。


”今回の瞑想メッセージも印刷して、「難しいことをやさしく、やさしいことを面白く」語るための参考資料のお宝に加えました”
⇒びっくりした!!・・私も 他の方の証を読みにいかなきゃ。(笑)・・

教会の外でも、いちわのすずめさんも、私も、みんなも・・上手に用いられるように、祈っています。
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Unknown (いちわのすずめ)
2011-11-30 17:08:56
ゆみりんさんが、自分の教会の外でのクリスチャン同士の交わりを持っておられること、応援しています。

昔、昔、友人の日曜教会を訪問したとき、それを話したら「姦淫だ」と注意を受けました。

唖然・・・としましたが、当時はそういう「純粋型」(笑)信仰者がおられたのです。

私は、へっちゃらで、他教派の友とのお付き合いを続けています(笑)

その分、純粋型信仰者に、引けを取らないように、聖書研究に励むように聖霊様が助けてくださいます。

新しい気付きや、わからないことも次々と出てきますが、
受け売りでない聖書理解を持ちたいと、ベレアの人たちのようでありたいと願っています。

他教派との付き合いを、怖じることなく持続するには、自分自身のSDAとしてのアイデンテティイが育っていなくてはなりません。

主がそういう交わりをお許しくださるなら、その分、信仰も知恵も主が責任をもって与えてくださるのだと思います。

ゆみりんさんの聖書の証を読みながら、それを感じました。

私、ロゴズ腹話術研究会に入っていて、日曜教会の方との交わりがあるのです。
また「アシュラム」にも参加するので、親しくなった方もいらっしゃいます。

その人たちにとってはSDA信徒は珍しいので(笑)「SDA経由のイエス様の個人的手紙」としての自分であることを覚えたいです。
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Unknown (ゆみりん)
2011-11-30 17:31:53
いちわのすずめさん>

再訪、ありがとう☆・・・

カンイン・・ならば、カトリックなどへ出入りしたらなんというのでしょう、その場合は・・

わたしが、例えばブログ11/12の日記のように、超教派で他の人・教会と交わりに行くのは、アドベンチスト(うちの教会)の信仰・教理に不満や不信を持っているからでは、決してない。つまみぐい(教理の)をしに、ふらついているわけではない。
SDAの教えは、私は満足しています。ただ・・教会は、”教理”からだけで成り立っているのはなく。他の要素・・”キリストにあって・・○○”、という点から考えれば、決して私は今の教会に満足してはいない。その飢え・乾き(主に、兄弟姉妹間の交わり、また他者への伝道、などであると、自分の場合)を主はよくわかってくださり、SDA以外の教会(や外)で出会い・活動する状況をくださっている、と実感します。

神様という方は、・・(特定の)”宗教”の中だけに住む方でなく、特定の限られた人々やシチュエーション(状況)などにのみ影響力を持つような限界のある存在ではない・・神のみ名を呼ぶ人にも、そうでない人にも、同じ様に影響力を持つ方であって、国をも政治をも、宇宙をも支配する方であるから・・私たちの限りある頭脳の枠内にはまる、”宗教”の中に閉じ込めてはならない、と思います。キリスト教を知っている、からといって、そのようなとりあつかい(神に対しても、他の人に対しても)をするのは、傲慢であるのではないか、と思います。

クリスチャンであって、己は目が開かれている、と自信があっても、かえって、非・クリスチャンである人の方が、密接に神と関わって よいものを受けている場合もあるから、私達はまちがえないように注意しなくてはいけないなぁ。・・

いちわのすずめさんは、私より昔から、そういう(他派との)交わりをされてるんだと存じます、自分なんてつい最近です、

”ロゴズ腹話術研究会”で、現に今、日曜教会の方との交わりがあるのも。・・「アシュラム」は、何かちょっとわかりませんが・・

私達、いい意味で同じ要素をもつ同士、こうやって意見交わしていきたいと切に感じます。よろしく
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Unknown (いちわのすずめ)
2011-11-30 20:04:17
ちいろば先生と言ったらわかりますか?

三浦綾子さんの「ちいろば物語」で伝記もあります。
榎本保郎先生という有名な牧師です。
朝の15分があなたを変える、と言って、早朝のデボーションを勧めておられ、各地で「アシュラム」という超教派での祈祷会を提唱、実践なさってこられました。
とうに亡くなっておられますが、
榎本先生の意志を継いだ牧師たちが、各地で、泊りがけでのアシュラム祈祷会を持っています。

三浦綾子さんの本を読んで以来、ちいろば先生を尊敬し、アシュラム祈祷会への参加を望んできました。

2006年の夏にやっと願いがかないました。
以来、教会VBSにひっかからないかぎり参加しています。
が、当初は牧師には、報告しても、古くからの信徒さんたちには話せませんでした。
また「姦淫」なんて言われたら悲しいから(笑)

キリスト者としての信仰のありかたの基本を学べます。

韓国の祈祷院には行ったことがありませんが、似ています。
沈黙と各自が御言葉から聞く、それを分かち合う、そのときは話していいのよ。

では、またね。
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Unknown (ゆみりん)
2011-12-02 09:14:03
いちわのすずめさん
アシュラムについての知識を、ありがとうございます。私ももうちょっと知るようにしてみたいです

朝、超教派、祈り、というこの3点を
こないだの(11月12日)に自分も知ったばかりなので、ちょうど、驚いています。

これらは、地域(大阪市内では、区ごとのようで・・うちなら、ちょうど旭区なので、『旭朝祷会(あさひちょうとうかい)』と呼ばれている)ごとに、

朝、
カトリック・プロテスタントの教会に通う人、が集って 祈る
(小さい食事会もして帰る・・雑談は、このような時にしかできませんね!)

これを、1回だけ体験しました。

毎月、第2土曜日(!)の、朝7時から 近所であるので、私もこれからつづけてみようかな、って思っているのです
次は12月の10日。すべてが終わって家に帰っても、8時台です
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