<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

<黙想>神の起こした最も大きな奇跡は、十字架のキリストの愛。

2013-11-28 17:42:02 | デボーション(瞑想)。
本日、・・箕面の森を散策しながら、浮かんできた、黙想の内容は、以下。

この現代に、人は神の存在を確信できるようにと、神の起こす”奇跡”を望むだろうか。私は少なくとも、内心・本心そうであったようである。小さな物心ついたころから、青年期を経て、大人になるまでも。”この世に神がいるなら、いる証を見せて欲しい。(=私の強く願った事を、実現してみせて欲しい。)”と。それは、キリストの時代に、同じ様にユダヤ人達が、イエスに「あなたが神と共におるというのであれば、その証(奇跡)を見せなさい」と言ったように。

 これまでの歴史上で、神が起こした最も大きな奇跡と言ったら、なにが思い浮かぶか。4500年前にもモーセを通して、エジプト軍が背後に迫るイスラエルの民のために、紅海を2つに分けて、通らせたことか。または、カルメル山上で、バアルに香を焚く者らと対決するエリヤをして、天から火を降らせたことか?・・となりそうだが

 いや、そのどれでもない、と私は言いたい・・。私が思うに、神の最も大きな”奇跡”が顕されたのは、十字架のキリストの愛である、という他にないと思う。ゴルゴダの丘への道(ヴィア・ドロローサ Via Dolorosa=苦難の道)を、一歩一歩歩まれた、主の心。受ける価値のない、私共への、身代わりのために、着実に(人間の、限界のある身体の姿で)苦難の道を進まれた、キリストの愛。神の子たる身分でありながら、とるにたらない私達1人ずつの、身代わりのために、完全な愛を遂行された。その事自体が、一番大きな神からの奇跡(ギフト)であるといわずして、何としよう。

 これ以上の奇跡(愛)を、神はこれ以上、尽くすことはもうできない。
 だから、この時代、もう預言者の時代のような、華々しい奇跡は起こらない(起きる必要がない)。なぜなら、必要なことは、たったあとひとつ。それは、私達の側のアクションである。それは、残されている選択は、私達個人個人が、その奇跡=十字架の愛、を自分自身に直接賜ったものとして、受け取るか、どうか。・・そういうことである。と、私は思う。



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