<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

神は(宗教によって)いくつにも、分けられたのか?否。<カトリック巡礼の一日旅での出来事を通じて思う>

2013-09-13 18:10:15 | 私の考え。
 疲れた・・。!カトリック教会の人々との巡礼の一日旅。(倉敷カトリック教会へ、今市教会(旭区)ほか、シルバー信徒の集いからバス・ツアー。)
当地でのミサ含め、行き道は、ロザリオの祈りなど霊的な内容、というから私はことわったが、どうしても主催者(で、私のウクレレの友)の元気な75歳・M本氏のたっての願い(復路では、歌の先導ほか、聴覚障害のある方のお伴等役割)で、同行しました。
(※私は、プロテスタント教会に属する、クリスチャン。)

 さて、着いた先、倉敷カトリック教会でのミサ。カトリックのミサには出た経験は(正式には1度あるが)先ずない。問題は、聖体拝領といわれる、キリストの体を表す、パンをいただくかどうか。実は、1度野外ミサに初めて出たときに、パンがまわされたらどうししよう・・(受けるか拒否するか。)悩んだ末、心の中で、「同じ神を信仰しているのだから、まわってきたら、いただこう。」と決めたが、必要なかった。私の前で、聖体は素通りしていったのだから。

 今回のミサ、ちゃんと最初から出席したのは初めてで、途中の経過の中では、なかなかよいものだと思った。最近自分がよく遭遇する、ありがちな、プロテスタント教会諸派の礼拝・・コンサバティブ(伝統的)で無味乾燥なものよりも、より霊的にキリストにつながろうという、血の通ったものであるように思えて。しかし、今回は、カトリックの神父は私に、聖体のパンを渡すのか?・・往路のバス内では、私はカトリックの古い様式であるグレゴリオ聖歌のひとつ「主の祈り」を唱えたりもし、宗派の隔てを超えて歩み寄る(わざとではなく自然体に)姿勢が伝わったか?という淡い期待感もあった。(ミサが進み、いよいよその時が近づき、・・いやおうなく私ひとりが心中、葛藤、緊迫。神に祈る。「主よ、私はあなたが天地にひとつであることを知っているので、ここでの聖体は受けようと思います。しかし、カトリック側は、私にそれをまわすのか?それは彼らが、彼ら自身を表すひとつの機会でもあるのです。主の御心のままに。」)

 ここでは、ひとり1人が、前に立つ神父2人の前に並び、1人ずつ、祝福(?)とパンを受ける。私も列に並ぶ。頭に何かしらさわられたような気が(祝福を与えられた?のでしょう)し、次にいただけるはず?のものを待ったが、・・それはなかった。
 ・・この神父さんは、・・私が、他の神を信じている、とまでは思わないだろう。となると同じ神を信じている、と知りながら・・パンに預からせなかったのは。形式が上になった。宗教の違いがそれをさせた。つまり、神よりも、宗教を、上に立たせてしまった。
私は、もっと深刻にとらえるならば、この行為は、神の力に制限を加えた、侮蔑であるともとらえる。あなた(=私)のやり方(私の所属する教会の宗教の形式)では、(神は)あなたを救い得ない、という制限を。暗に?いや、あからさまに。もっと軽くとらえるならば、”カトリック教会は、とある一定の者にのみ、影響力を与え得る、小さな枠組みである”というと自らへの過少評価を体現してしまっている、という裏腹か。(これは多分にシニカルな現象である。)

 私は、排斥されてしまった。(同じクリスチャンなのに。)
 私が、その後もミサの場に居続け、続く懇親会、そして一連の行程を続けられたのは、
ほかならぬ神が天におられ、全てをご覧になられていること、そしてまたクリスチャン同士として、この(弱い!誠に弱いかもしれない、自分も)信仰の仲間たちと、供に交わりをしたい、と思えたからだ。

 宗教者よ、教会よ!あなたがたが、隔ての壁を作ってしまった!
 私達。信徒の間に。(カトリックと、新教と、聖公会と?諸々・・派?の間に。)
 そして・・
神を2つに、(いくつもに?)分けてしまおうとしている・・・!
{生ける神は、ひとつです。}

私からのお勧めは・・
もしあなたが、まことに、”真実の神”を知り、近づきたいと思うなら!!

”宗教”を介さずともよい・・
しかし、私(個人)は。
生ける神の子、忠保者イエス・キリストを必要とします。
(しかし、ここで事実の一端の部分を申せば。・・私が人生で出会った神が、ヤーウェと呼ばれる天の創造者であること、また福音というイエス・キリストの贖いがあったという、真理を知るに至るには・・キリスト教会(私の場合、新教=プロテスタント派のひとつであった)という福音の真理を保持し続ける群れがあったおかげであることも、また本当のことなのだ)

 もう一度くりかえす。この世におけるいかなる宗教も不完全です。
(よって、宗教が原因となる争いは、大きい物(戦争)から、小さい物(言い争い、いさかい、親族間の不一致等)いっさいが、無用・無益・無意味である、と。)
---
追記-もちろん、カトリック教会だけによるのではない、宗教が、神をいくつもに分けようとしているのは。近いところではもちろん、プロテスタント(新教)教会。だって、言葉の意味が”プロテスト=抗議する(カトリック教会に)”そのものなんですから!いつも、その言葉に、他者を否定する、というネガティブの趣を含んだ辛い響きです。嗚呼。

追記2

<考えられる、このことにおける問題点>

こうして、”宗教” につまづく人々が、・・真の神への不信感を募らせてゆくこと。

<私においては>

・・私の方が、勝手に一方的に 神よ神よと呼び求める時期があったり (なかったり)

また、ある時期は、宗教に熱心であったり (またなかったり)

・・してもしなくても それと関わりなく

私を創り、生かしてくれる、神さまとの個人的な関係を大事にすることの方が、大切である、と思っています。




<追記3となります>

この同記事を、FACEBOOKの中で掲載しましたら、昨日~今日で、複数人数で30近くのコメント(私のコメント返しも含む)がありました、
その中で、終わりの5~6つほどをご紹介させてください。
{以下のコメント主で、Aさんは、実際に知人である神学生(私と同年代です)で、Tさんは、プロテスタント系の牧師さんでいらっしゃる方です。}
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<Aさん・コメント>
第二バチカン公会議により、カトリックのみが聖であると確認されました。
言い換えれば、カトリック以外は聖でないと。
よって、カトリックで行われる聖餐式にプロテスタントの信徒が加われないのは当然です。
と言うより、聖書に示す聖餐式を行っている教会は、カトリック、プロテスタントともに、ほとんどありません。
各教派が勝手に聖餐式だと思い込んでいるだけです。
聖餐式は単なる儀式ではありません。
最後の晩餐がそうであったように、食事の交わりと併せて行わなければならないからです。
そういう意味で、私が知る限り、聖書に示す最も近い形で聖餐式を行っているのは、大阪国際朝祷会のみです。
よって、カトリックの「思い込み聖餐式」でとやかく思い悩む必要はありません。


<徳井 由美子(私)・コメント>
Aさん>私が、想像してたとおりの、Aさんからのコメントいただいたというところですね。まあ、溜飲が下る、というほかないでしょうか。大阪国際朝祷会のみが、最も近い形の聖餐式、笑い事でなく、まあ、私も正直、初めてそこに参加したときには、そう思わざるをえませんでした。イエスのおっしゃられ、私達に”続けよ”と指示された聖餐は、形(式)ではない、と、聖書からそう読みとれます。なぜにどの宗派ごとに、形式優先となったのか。聖餐の、形式を論じる時点から、誤っている、とそういうことですね。そのとおりであると思います。なるほど。交わりに参加する意志のある者を排斥する。イエスご自身ならば”決して”行わなかったであろうこと。それをするところに、イエス・キリストの心なし、ですね。


<Aさん・コメント>
おっしゃるとおりですね。
各教派とも、自分たちの聖餐式が正しいのだ!、と勝手に思い込んでいるだけですよ。
イエスさまが示された聖餐式とは、まったくもって、ほど遠いものです。
食事をしながら、和気あいあい…という感じですか。
当然、聖体拝領という考えもありません。
第一、最初の聖餐式…つまりは最後の晩餐には、あのイスカリオテ・ユダでさえも出席を許されているのですから(笑)。
誰でも参加できるのは当然でしょう。


<T牧師・コメント>
なかなか難しい聖餐論議ですね。私なんかは牧師でありながら、他の聖餐式の経験はあまりなく、全くの無知な状況です。でも聖書の言葉と共にある、聖餐式は、どのような形式を取ろうと感動します。
ただ、初めて他のグループの聖餐式に出る時はカルチャーショックというか、びっくりします。
基本的に私は、やりかたについては神様が許されている相違で、根本的に福音から外れていない限り、枝葉の事だと思います。
ただ、剣道とかやってるように保守的で、形式的な事を大事にするタイプなので、決まり事も無視できないという所もあります。(どっちやねん!)
聖餐については古くから今に至るまで、いつももめてきたところなので、あんまり論議はしたくないという所です。
(議論を逃げていると言うか、議論をすることによってサタンに機会を与えないと言う意味です)


<Aさん・コメント>
私は、超保守です。
聖書のとおり、2000年前のとおりです。
そこからアレンジを加えた「革新」…カトリック、プロテスタントの大多数…には、興味がありません。
この件については、議論の余地などありません。
結局、どこもかしこも、本来の過越の祭りの食事とは何かを、知らなさすぎるのです。
その上で、得手勝手な聖餐式を考えるから、おかしな論争になるのです。
聖書に立ち返りなさい。
2000年前のとおりに行いなさい。
イエスさま時代のとおりの聖餐式をしなさい。
簡単なお話です。


<徳井 由美子(私)・コメント>
Aさん、T牧師さん。血の通ったコメント感謝します、お2人の、形式的に陥らず、人としての心のこもった意見に安堵します。・・・ほんとう、Aさんのおっしゃるとおり、なんで、考えてみればこんなにも各教会で、聖餐式の”形式”が、まばらに、できてしまったのか。しかもT牧師の言われるように、聖餐”論議”になるんですね。よく考えれば、聖餐の最初のモデル・・十字架の前の”最後の晩餐”、その場は何ら宗教儀式ではなく、生活の中での食事、であったはずですね。ただ、ふつうの食事と違っていたのは、イエスの十字架の直前であったこと、”過越の祭り”←つまり、(出エジプトにさかのぼる)ユダヤ教の、過越し、贖いの子羊という「型」(模型)に、まさに今、キリストという真の贖いの子羊、「本体」がはまろう、というその前夜ですね。それは神学的には非常に意味が深い。ただ、ご指摘のように裏切り者のユダでさえ、主の前にに自ら集おうとする者を、イエス様は、全く拒否なさらなかった。それは、神様の心です。やはり、ここで私が記載した記事の宗派での、聖体”拝領”という儀式は、教皇(人間)様から”やる”という意味のもので、私は受けるべきではなかった。キリスト信徒の交わり、という情にほだされても、ブレるべき点、超える線ではなかったのです。それを経験でき、みなさまのコメントもいただき、感謝です。

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