終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

一は万が母

2014-02-09 10:05:32 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
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世間のことわざにも一は万が母といへり、
此等の道理を知らずや、
所詮実相の理の背契を論ぜよ、
強ちに多少を執する事なかれ

(聖愚問答抄) 日蓮

自とは始めなり。
速成就仏身との身とは終りなり。
始終自身なり

(御義口伝) 日興
 雪ですよ♪

<学んで捨てよう> Mr.mount-hat氏


昔から人物を評価するに当って、
棺の蓋をして初めてその人の価値が決まると言われてきました。
棺に入る=死ぬということです。
死ぬ時には、その人物が生前行ってきたことや、
財産・名誉・家族等々あらゆるものを残してこの世を去ります。
生前、第一線から退いて隠棲しても、生きている限り、つまり
全てを手放さない限りは決定は下されないとも言えます。
生前でも、必要以上の名声や財を貪らないのは、
また一種の「離すこと」でもあろうかと思います。

このように、死去により手放すものの量・その質・手放し方の潔さ
いかんで、評価は変わって参ります。
人物評価という点からいえば、
我々は離すことの為に多くを集め・その質を質していることになります。

私個人の事でおこがましいのですが、
幼少の砌から書道や絵画・成人してからは短歌・俳句・写真等を
習う機会に恵まれました。
これ等の作品を創る時、先ほどの「離す」のと同じ論理に立脚して
創って参りました。

作品を創る時、従来習ってきたことや先輩の作品などを
脳裏にこびり付かせてはいけないのです。
自分の・其の時のイメージに専念するのです。
つまり、これまで習ってきたもの一切を捨て去って、
自分の感動だけを純粋に表現した時、
誠の己が現れるのです。

他人の作品を取り入れずに自分の個性に徹した時・・
所謂他の余分な全てを捨て去ることによって、
反対に純粋な自分が現れてくるのです。

では、離さなければならないものは、
初めから学ばなくてもよいではないかという意見もありましょうが、
離すものが無ければ、評価は立てられません。
学んでいなければ、如何に本人が感動的に作品を創っても
その作品は表現が稚拙であったり・不適切であったりして、
他人に感動を与えられるような作品とはならないものです。
多くの古典や質の高い手本を選んで学ぶというのは、
捨てるものを多くし・質を高めることに繫がるのです。

捨てる為に集めるというのは矛盾しているようですが、
一度体験した者は潜在的に身につくものですから、
学んだことを一度捨て去って創作しても、無意識の内に
学んだことが表れてきます。
こうした時は、形式ではなくて・もっと根本的なものが
抽象的に表れてくるのです。

 「・・・。」

私たちが生活していく上で、物事を持続していくというのは
大変困難なことでもあり・時に挫折することもあります。
けれども最終目標をはっきりと把握していたならば、
途中で止めたり諦めたりすることなく持続する力となるでしょう。

何の為に学問や修養をするのでしょうか。
それは一口に言えば「人になるため」であり、「仏になるため」です。
学問をする、ということは人になる道を明らかにする為ですし、
仏法を学ぶというのは仏になる道を学ぶ為です。
内面からいうならば、自分自身に元々具わっている仏性を、
十分に顕現する方途を見出す為だともいえるでしょう。

多くを学ぶことによって、自分とは何か・仏とは何か・
人生で一番大切なことは何かを学ぶ。
それを掴むことで、後の生き方が変化して、
自分の人生を大切に生きる力となるのでしょう。
自分が大切ならば、他人も大切な存在なのだと知ることでしょう。
ならば、己も他者も、同じように守らねばならないことに
気づくでしょう。

学、ということは目的への道程・過程ですから、
それ自体が目的ではありません。

目的を実践する度に学び修養するのです。

道程・過程ならば学ばなくても良い、ということではありません。
学んでこそ根本原理が湧き出てくるのですから、
気力の続く限り確りと学びを続けて下さることを願っております。

・・・恩師への感謝と報恩の思いを込めて紹介させて頂きます・・・・
  
       (光風霽月)


 興味津々ね。

善智識に値う事が第一のかたき事なり、
されば仏は善智識に値う事をば
一眼の亀の浮木に入り、
梵天よりいとを下て大地のはり(針)のめ(目)に
入るにたとへ給へり、
而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりも
をほく
善智識は爪上の土よりもすくなし、

日蓮仏法をこころみるに
道理と証文とにはすぎず、又
道理証文よりも現証にはすぎず

(三三蔵祈雨事) 日蓮



推進力となる目的意識

人間と地球との関係を高めたいという
強い願望

トマス・ベリー


因身の肉眼に果満の仏眼を備へ、
有為の凡膚に無為の聖衣を著けぬれば、
三途に恐れなく・八難に憚りなし。

七方便の山の頂に登りて九法界の雲を払ひ、
無垢地の園に花開け、
法性の空に月明らかならん

(持妙法華問答抄) 日蓮
 

☆有り難う御座います!☆