夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

昔コンデジで撮った写真を見たら

2022-06-17 17:04:29 | Weblog
5㌔強のウォーキング前後にまた何枚か写真を撮ってきました。
これは4度目です。季節が変わる度に撮ることになりそう。


歩いて軽く汗をかいて帰りにも。
昨日見つけた田んぼの脇の小川です。


これはいつものウォーキングコースの一部。
この左手奥に手前に見える川の上流があります。


これは昨日撮った写真の一枚です。

これを見ていて70年以上前の記憶が蘇ってきました。
人間、最初の記憶は3歳位と言いますが私はまだ歩けないかよちよち歩きの頃の記憶と感覚が残っています。
当時住んでいた土蔵の隣、父の実家でのことです。
萱葺き屋根の下、古びた縁側で母におむつを替えてもらって「あーさっぱりした」。
何年かに一度あの感覚を鮮明に思い出すんです。
母は何か用事があって私を実家の縁側で寝かせていたんでしょう。
季節は夏、その山裾の家の庭で鶏が駆け回っていました。
裏の小舎から牛の声が聞こえ、微かに山椒の香り。

縁側で、うとうとしながら見たあの日の空はきっとこうだったんでしょう。
私が写真を撮るために探す情景は、その頃の原点探しなのだと気がついて納得。それだ!

そんなことを思いながら気まぐれに昔コンデジで撮った写真を開いてみました。
最初にひっかっかったのがこれです。最高の状況!

見事なまでの上下に分割、絵画でもイメージが分散されるのでタブーとされる構図です。
でもそんなことは無視。今後もこれでいきます。
左右二分割だろうが日の丸構図だろうがシンメトリーだろうが後からバカがこじつけたタブーは一切無視です。

モノクロで撮った写真も多数ありました。

晩秋の飯山市郊外の畑。

Photoshop で色を抜いたんじゃなくモノクロモードです。

曇り空の下を行く路線バス。

こんな情景も4歳か5歳の頃の記憶にあります。
― 私は父が押す自転車の荷台で居眠り、弟は後ろを歩く母の背中。砂利道を走っていくバスと砂埃。

山の上から見た新潟の限界集落です。

季節毎に何度も訪れました。

今は田んぼはすべて放棄されて荒れ放題ですがこの頃はこんな情景が見られました。

老夫婦が稲刈りの最中で、ばあちゃんが刈った稲を投げて爺ちゃんが上で受け取ってはざかけ。
風が吹いて枯れ葉が一斉に舞った、そんな情景も別の日に撮ったんですがミスで消しちゃいました。

モノクロの表現力を再認識しました。

じゃああれをモノクロにしたらどうなんだろうと。


私が幼い頃住んでいた所はこれとはイメージが違いますが

少しは近付いた感じがします。
カラーだとリアル過ぎるし桜の色はモノクロでも認識できます。
でもねえ、カラーで撮ってモノクロに加工ってのは私の感性が許しません。
近頃はデジタル技術でモノクロをカラー化することもできるそうですがあれも私には理解不能です。
コメント
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