夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

あれから33日 長野新幹線車両センターは

2019-11-15 16:47:50 | Weblog
今日も須坂の実家へ行った帰りに車両センターの様子を見てきました。
浸水した車両10編成は解体されることになったようです。どこで解体するかはまだ正式発表されていませんが、すでに一部はセンター内で移動されていました。
10月11日は2日後にあんな災害が起きるとは夢にも思わず外周道路4.2Kmをウォーキングしたんです。毎回車両センター北東の脇に立っている過去の洪水の水位標「善光寺平洪水水位標」はしっかり見ていたのですが、単純に「なるほど、車両センターは洪水を見越して盛り土で高くしてあるのか」と思っていました。


こんな説明書きがあります。


記録に残る洪水の高さが示されています。一番上は西暦1742年、寛保二年八月二日で水位は5.3mです。今回はそれに次ぐ水位でしょう。水位標がもうひとつ追加されるのでしょうか。
今日現在も流れてきた稲わらが引っ掛かったままです。


センター東側に雨水調整池があって、歩いていてここに雨水が溜まっているのを見たことがありませんでした。誰もが想定していなかった水量でこの池は全く役に立ちませんでした。


このあたりは完全に水没しました。


もう少し南に進むと浸水した車両が見えます。どれもノーズ部が取り外されています。


ドアは開放。


更に南、高架下です。液晶テレビが流れ着いていました。


高架下を西に抜けると畑の脇はこんな状態です。


北に折り返すと移動した車両が見えました。


車両センターは約2mの盛り土の上にあります。どうやって移動したのか汚れた車体がここに。


その先にこの車両。


夕方もう一度行ってみました。跨線橋の上からセンターが見渡せます。


何度も何度もメディアが伝えた浸水した車両です。一部は移動したのであのときとは様子が違います。


北側の様子です。


解体を待つ車両を見ているとなんともいえない気持ちになります。まだまだ元気に走るつもりだったのに、こんなに早く一生を終えるとは。
今は使える部品の調査中ですが、解体はここでやることになるのではと思います。

解体される姿は、見たくありません。
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