夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

田中邦衛さん、 「老人ホーム入居」で妻・娘と歩む「復帰への道」を知り、無縁な私でも思い馳せ・・。

2015-10-16 15:50:42 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の老ボーイの身であるが、
午前中のひととき、パソコンを立ち上げてネットのニュースを見ようと思ったりした。

私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【田中邦衛 懸命のリハビリ生活】と明記されていた。

私は若き青年期に映画青年の真似事をし、数多く映画作品を鑑賞したり、
やがてテレビ・ドラマを鑑賞し、名優・田中邦衛(たなか・くにえ)さんが出演された作品も観たりしてきたので、
お歳を召されて「老人ホーム入居」されてしまったか、
と思いながらクリックして記事を精読した・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』2015年10月30日号の記事のひとつで、
【田中邦衛 「老人ホーム入居」で妻・娘と歩む「復帰への道」】と題され、
そして関連の『NEWS ポストセブン 』10月16日に配信された後、
今回、『YAHOO! JAPAN』にも再配信された記事であるので、無断ながら転載させて頂く。
          

《・・田中邦衛 「老人ホーム入居」で妻・娘と歩む「復帰への道」

テレビドラマの名作『北の国から』(フジテレビ系列)の主役・黒板五郎役をはじめとして、
数々のヒット作に出演してきた名優・田中邦衛(82)。

ここ数年、テレビやスクリーンから遠ざかり、健康不安説も出ているが、
実は自宅から老人ホームに居を移し、“もう一度、家族のもとに帰る”との強い決意を胸に、
懸命のリハビリ生活を送っていた。

首都圏にある閑静な住宅街で、田中は妻と2人で暮らしていた。

近隣住民はこんな話をする。
「夏頃に、邦衛さんの自宅玄関口に車椅子ごと乗れるワンボックスカーが停まっていました。
これまではタクシーで通院していると聞いていたので、
1人で歩くこともままならないのかな……と心配になりました。
それ以降、邦衛さんの姿を見かけなくなった」
          

現在、田中は介護付き有料老人ホームに入居している。
月額利用料は家賃に食費、管理費等を含めて20万円超と、その地域の相場を考えても一般的なもので、
有名俳優が入居する施設としては決して豪華なものではない。

田中と近しい知人によれば、この老人ホームには妻と次女が足繁く通い、
「長い時で5~6時間、日が暮れるまで」田中と一緒に過ごしているという。

田中の施設内での暮らしぶりについて、田中家を知る関係者はこう話す。
「ホーム内では車椅子での移動が基本。
部屋で過ごすことが大半ですが、食堂やホールに顔を出す時は、介護士が付き添います。
存在が表に出ると騒ぎになる可能性もあるので、施設では別名で登録されています。
邦衛さんに配慮した介護態勢が整っているそうです。

やはりテレビで見かけた頃より痩せた印象は否めません。
毛染めもやめているので白髪も目立ちます。ただ身体的に問題があるわけではありません。
気懸かりなのは、最近はふさぎ込みがちなことだそうです」
          

10月初旬、妻に話を聞くため自宅を訪れた。
当初は「取材には一切応じておりません」と話した妻だったが、重ねて問いかけると、
田中が老人ホームに入居していることを認めた。そして、

「さまざまな噂が出ているのは承知していますが、私が話すことが真実です」
と静かに語り始めた。

「誤解しないでいただきたいのは、あくまで“仮の入居”だという点です。
高熱で2週間入院していた時に、寝たきりになってしまい足の状態が悪くなってしまった。
足が良くなれば再び自宅に戻ってこられると思っています。今も時々、一時帰宅していますから」

現在の田中の様子を訊ねると、こう答えた。

「いまはホームで懸命にリハビリをしている最中です。
自宅をバリアフリー化する話もあったのですが、本人が“リフォームする必要はない。
しっかり(足を)治してから帰ってくる”と言ってるほどで、
気弱になっているところは微塵もありません。

長く入居することはないだろうと、タオルなどの日用品は全部、
施設のものをお借りしているぐらいですから。本人はすぐにでも戻ってくるつもりでいます。

今後については仕事復帰とは言いませんが、
(ファンに向けて)近いうちに何らかのご挨拶だけでもさせていただければと考えています。
どうか、そっとしておいてください」

妻は夫が近くホームから帰ってくることを、まったく疑っていない。
妻だけではない。足繁くホームを訪れている次女、
そしてNHKで女性初のワシントン支局長になった長女も思いは同じだろう。
          

田中は2人の娘を前にすると、照れて面と向かって喋れないことがよくあったという。
実生活で2人の娘を叱ったことがないのは有名な話だ。

ただし「会話が少なくても親子の愛情がしっかり育まれることは、
今の娘2人の成長した姿を見ればよくわかる」(前出・知人)との言葉通り、
家族の結びつきは強い。
 
若い頃、撮影で各地を飛び回る日々が続き、家族と過ごす時間をほとんど持てなかったという田中だが、
晩年になって苦難と闘う彼を支えているのは、その家族だった。

念願の自宅で家族に囲まれ、楽しそうに笑う田中の姿を見るのはいつになるのか。

「心配するな。すぐに戻ってくるからよぉ」──
そんな“五郎”のセリフが聞こえてきそうだ。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は田中邦衛さんが出演された映画作品で、初めて鮮明に感動させられたのは。
『人間の條件』第3部 戦雲篇で、確か1959年(昭和34年)と記憶している・・。

主人公・梶(仲代達矢)が軍隊に送られた、軍隊生活に於いて、
理論武装で対抗しようとするので、上からも古参兵達からも睨まれる中、
古参兵からを徹底的にいじめ抜かれる気弱な初年兵・小原(田中邦衛)、
或いはアカと称される共産主義者とレッテルを貼られ新城一等兵(佐藤慶)、
このおふたり田中邦衛さん、佐藤慶さんは突出した名演であった。

この当時の私は、高校生で映画館によく通い、東宝映画は二本立てで、
映画館は上映していたので、苦手な『若大将シリーズ』を観たりしたが、
田中邦衛さんは、コミカルで憎めないキャラクターを演じて、
こうした役柄もできるんだぁ、と微苦笑させられたりした。

この前後、出演された映画作品と数多く中で、『椿三十郎(1962年)』、『怪談(1965年)』、
『どですかでん(1970年)』、『冬の華(1978年) 』、『駅 STATION(1981年)』、
『居酒屋兆治(1983年)』、夜叉(1985年)』などが思い浮かべたりした。

テレビ・ドラマとしては1965年(昭和40年)に放送された『若者たち』は、
漠然と視聴していたが、1981年(昭和56年)に放映された『北の国から』シリーズは、
私は後年、作品の視聴はもとより、シナリオの単行本もすべて購読したひとりとなった。
          
          
私は1981年(昭和56年)の当時は、あるレコード会社に勤め、
情報畑で日夜奮戦していたので、放映開始された『北の国から』は無知であった。

やがて連続ドラマが終って、再放送された『北の国から』を視聴して、
圧倒的に魅了された。

もとよりこの『北の国から』の脚本を書かれたのは、
テレビ・シナリオ、映画、舞台の脚本、随筆など多彩に活動されている倉本聰(くらもと・そう)さんである。

私が倉本聰さんの作品に初めて触れたのは、1975(昭和50)年1月過ぎであった。
映画の脚本家・橋本忍(はしもと・しのぶ)さんの『砂の器』のシナリオが読みたくて、
本屋で雑誌の『シナリオ』(シナリオ作家協会)の1月号を買い求めた。

その中に、東芝日曜劇場の『りんりんと』のシナリオが掲載されていた。
なんてシリアスなドラマを書く人、と倉本聰さんの作品に初めて知り、印象が残った。

やがて10数年後に私にとっては、倉本聰さんの数多くシナリオ、随筆などを殆どすべて購読して、
作品はもとより、生活信条、創作の考え方、環境問題等で、多々ご教示を頂き、
信愛するひとりとなり、今日に至っている。

こうした中で、田中邦衛さんに関して、倉本聰さんの随筆など記載されていることもあり、
私は数多く学んだりしてきた・・。
          

今回の記事に於いて、田中邦衛さんが「老人ホーム入居」されてリハリビにしていると知り、
長年数多く作品に出演され、数多く方に感動を与えた方ですので、
ゆったりご静養をして下さい、と感じたりしている。


余談であるが、私はたった一度だけ田中邦衛さんをお見かけしたことがある。
『北の国から』が再放送されてまもない時、
確か30数年、私は勤めていた六本木の本社で退社後、近くにある俳優座の裏通りを歩いていた。

前方から防寒服を羽織るように歩いてきた男・・田中邦衛さんだ、と瞬時に感じ、
私は黙礼をした。
やがて私たちはお互いにすれ違う前、田中邦衛さんは少し頭を下げ、去って行った。

この当時の田中邦衛さんは、ドラマの大作としては初めて主役となった『北の国から』で、
数多く方に感動を与え、ご本人は戸惑いながら実感を感じ高揚した時期と思われ、意気揚々とした足取りで、
私はすれ違う時、時の人の風圧を感じたりした。

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マイナンバー、通知カードを受け取ったらすることを学び、やがて微苦笑して・・

2015-10-15 16:48:20 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼下りのひととき、週に2回ぐらい愛読しているビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の基幹サイトで、
【マイナンバー配布開始、通知カードを受け取ったらすることは】と見出しされた記事を偶然に見たりした。

私は恥ずかしながらマイナンバーに関して、未(いま)だに漠然としているので、
遅ればせながら、お勉強ねぇ、と思いながらクリックした。

この記事の原文は、『PRESIDENT 』の2015年11月2日号に掲載された記事のひとつで、
『PRESIDENT 』の基幹サイトに2015年10月14日に配信され、
文=ジャーナリストの村上 敬さんが、弁護士の水町雅子さんの助言を受けた寄稿文であり、
無断てあるが転載させて頂く。
          

《・・「通知カード」と「個人番号カード」の違い

■個人番号カードは何に使えるか? 

マイナンバーの配布が10月5日から始まった。
マイナンバーによって行政が効率化されるほか、税務当局は個人の所得を把握しやすくなり、
脱税防止効果が期待できる。
国民側にも、各種手続きが簡単になるというメリットがある。

いまのところ私たちがマイナンバーを使うシーンは限られている。
水町雅子弁護士は、次のように解説する。

「まず必要なのは、役所で税金や社会保障、災害対策の手続きを行うとき。
サラリーマンは勤務先を通して行う手続きも多いので、
会社にマイナンバーを教えておく必要があります。
また、配当や保険金を受け取るときにも証券会社や生命保険会社に教えなくてはいけません」

ちなみに銀行への通知は、開設口座で変わる。
特定口座で資産運用していれば通知義務あり。一般口座で利子をもらうだけなら通知義務なしだ。

マイナンバーを役所や勤務先、金融機関などに教えるときは、
なりすましを防ぐために本人であることを証明する必要がある。
このとき便利なのが「個人番号カード」だ。

これは運転免許証やパスポートのように顔写真つきで、提示すれば本人だとわかる。

注意したいのは、いま順次郵送されているのは「通知カード」であり、
「個人番号カード」ではないことだ。

通知カードは、マイナンバーを通知するために住民票を有するすべての人に郵送される。
一方、個人番号カードは希望者のみに交付され、
通知カードと引き換えに市区町村窓口等で交付される。

個人番号カードがなくても、「通知カード+身分証明書」、
あるいは「マイナンバーが記載された住民票の写し+身分証明書」で代替は可能だ。
          

■カードはどうやって管理すべきか? 

マイナンバーが記載されている「通知カード」や「個人番号カード」だが、
落としたり盗まれたりしたときのことが心配になる。

「個人番号カード」は顔写真つきなので簡単になりすましはできないが、
提示先がつねにしっかり顔を確認するとはかぎらない。

「もし個人番号カードを紛失したら、
まずコールセンターに連絡して利用停止を申請してください。

カードを再発行してもらうこともできますし、
市区町村に連絡してマイナンバー自体を変更することも可能です。

一方、通知カードは単独で使用することができないため、
紛失しても利用停止は必要ありません。

ただ、再発行やマイナンバーの変更は可能です」

通知カードや個人番号カードを紛失すると何かと面倒。
普段、カードはどのように保管するのが賢いのか。水町弁護士のアドバイスはこうだ。

「マイナンバーカードの利用頻度は、
年金手帳より多く、銀行のキャッシュカードより少ないというイメージ。
感覚としてはパスポート・保険証と同じくらいの重要度。

普段は家で大切に保管して、必要なときだけ持ち出すといった管理でいいでしょう」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は外出の時の秘かなお守りとして、『住基カード』を持ち歩いて、
早や8年が過ぎている・・。

そして『住基カード』と略称されている『住民基本台帳カード』を確かな身分証明として愛用している。
私が保有している住基カードは、氏名、生年月日、住所が記載され、
ほぼ住民票と同じような内容がICカードとなり、恥ずかしながら写真も明示されている。
                
私は長きの期間のペーパー・ドライバーだった・・。

結婚する30歳の前は生家に住んでいた期間は、生家の自動車を利用して、
若気の勢いで、盛んにドライブし、軽井沢、蓼科、箱根、伊豆半島などの各地に行ったりした・・。

そして結婚して3年目に生家の近くに一軒家を建てた後、住宅ローンの返済て、
とても自動車を購入できる余裕はなかった。

やがて40代を過ぎても会社の業務が多忙で、家内とのんびりドライブすることなどは、
夢のひとつでもあったりした。

こうした思いが根底に秘めていたので、定年後には自動車を買い求めて、
家内と共に国内旅行を自在に、ドライブ旅行をしょうと思ったりしていた。

そして2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、
無念ながら齢を重ね、判断力も鈍り、今頃から再び自動車を運転して、
人身事故でも起こした場合、何よりも相手方に対して、いつまでも心痛な思いが残ると思われた。

その上に何かと小心者の私は、慙愧に苦しみ、心身痛みを生じ、たとえ金銭上の賠償責任を終えても、
交通刑務所に服役の場合も考えられ、私の残された人生が大幅に狂うと妄想を重ねた結果、
やがて免許証の更新時に、自主的に更新を取り止めたのは62歳の時であった。
                                   
しかしながら私は普通運転免許証の更新を中止した時、何かしらの身分証明証が欲しかった。
私は現役サラリーマン時代には、会社の旅行として台湾、或いはハワイに行ったりし、
もとよりパスポートは所有して遊学していた。

そして私は幾たびか家内に海外旅行を誘っても、
家内は何かと苦手意識があり、国内旅行の方は気楽だわ、と結論に達して、
やがて私のパスポートは期限切れとなったりし、これといった身分証明書がなくなってしまった。

そして年金生活の私たちは、お互いに『国民健康被保険者証』は所有しているが、
写真入りの証明証でなく、万一、『国民健康被保険者証』を落とした場合は、悪用される確率が高くなる。

私が現役サラリーマン時代の頃は、外資系の会社であったので、定年の10年前の頃から
写真入りのIDカードを常時持たせられた。

このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使える知り、
私は即急に申請して、その後の私は『住基カード』を持ち歩いたりしている。
                              
こうした中、私が自動車、自転車の交通事故に遭遇したり、散策、買物などで倒れた場合、
やがて救急車で病院に運ばれても、
『住基カード』がないと、身元不明者なってしまい、余りにも自分が可哀想なので、
たった一枚の『住基カード』が確かなお守り代わりとしているのである。
          

このように長年お守り代わりとしている『住基カード』は。
マイナンバー制度実施に伴い、発行終了となり、
『住基カード』に記載されている有効期限まで利用できるが、何かと愛惜が深まっている。

今回の記事で多々教示されたが、「通知カード」を受け取ったら
私は「個人番号カード」まで作成する手続きは、断念する意向である。

やはり『住基カード』以上に、『個人番号カード』は多岐に及び個人情報が記載され、
たとえセキュリテイが強固であっても、中国、アメリカなどの最先端技術に流出される可能性もあり、
小心者の私としては《・・普段は家で大切に保管して、必要なときだけ持ち出すといった管理・・》、
徹底しょうか、と微苦笑したりしている。
          

余談であるが、確かマイナンバー準じた制度はアメリカで実施されているが、
イギリスも一時採用され、やがて個人情報に基づき廃止された、と学んだりしてきた。

日本で悪しき脱税をされた方は、たとえ法治国家であっても、
厳罰に処して、実刑の無期懲役が妥当、と私は思ったりしている。

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高齢者向けの住宅 多様化を、私は改めて学び、思案ばかり重ねて・・。

2015-10-14 16:59:27 | ささやかな古稀からの思い
今朝、いつもように読売新聞の朝刊を開くと、1ページの左上段には、
恒例のように4つのニュースの見出しが掲げられているが、
この中のひとつとして、【高齢者向けの住宅 多様化】を見て、
どのようなことなの・・、と思ったりした。

やがて21ページの【くらし・健康】面に於いて、
『老後の住まい(上)』と題され、
『サービス付き住宅 多様化』と大きく掲げられた記事を精読した。

私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、築後37年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

しかしながら命ながられば、いつの日にか、
やむなく移住しなくてはならない年が到来するので、
高齢者向けの住宅、或いは介護付きの施設を思案したりしてきた。

このような状態なので、今回の記事も多々教示されたりした。
無断であるが、今回の記事を転記させて頂く。
          

《・・高齢者向けの住宅が急増し、中身も多様になっている。
その一方で虐待などの問題も起こり、規制も厳しくなっている。
老後の居場所はあるのか? 
急速に変わりつつある高齢者向け施設の最前線を報告する。(編集委員 斎藤雄介)


全国各地で急速に広がるサービス付き高齢者向け住宅。
2011年にスタートし、現在、登録数は約18万5500戸まで増えた。

サービス付き高齢者向け住宅は、高齢者住まい法で定められた住宅。
バリアフリーの建物で、安否確認サービスと、生活相談サービスが最低限、提供される。
国の建設費補助があり、賃貸住宅なので建設業者らも土地活用として参入しやすいことも急増している。

バリアフリーの賃貸住宅で、介護サービスは入居者が介護保険を使って外部の事業者に依頼する。
一部の有料老人ホームのような高額の入居一時金は必要ないので、利用しやすい。
          

青森市のNPO法人「ラ・シャリテ」が運営するサービス付き高齢者向け住宅は、
所得の低い人でも入居できる価格帯が特色。
要介護者向けの「シニアパンション」、
自立、要支援の人も入居できる「シルバーピュア」がある。

家賃は、「シニアパンション」の平均的な例で月2万7500円(入居金なし)、
介護保険外の緊急時対応を行うためのケアサポート費が月6000円など。

「食費、光熱費を入れて月8万~9万円。
ケアプランによるが、介護保険の自己負担をいれて10万円ほどが目安」と、大坂潤理事長。

1室約20~22平方メートル(12~14畳)でバストイレ付き。
スプリンクラーも設置されている。

入居率は87・5%と高い。
一人暮らしの人、家族との同居が難しくなった人、生活保護受給者もいる。
東北を中心に北海道や四国に展開し、計83か所まで増えた。業界大手だ。
          
     
ユニークな取り組みをしているサービス付き高齢者向け住宅も出てきた。

今年5月、東京都足立区にオープンした「銀木犀(もくせい) 西新井大師」は、駄菓子屋を併設している。
午後3時を過ぎると、小さな店内は小学生でいっぱいになった。
子どもたちへお釣りを渡すのは、「店長」と呼ばれる入居者の男性(84)。

銀木犀では、首都圏4か所でサービス付き高齢者向け住宅を展開するが、
地域の人を招いたお祭りなどを積極的に行う。
「地域との交流で入居者に役割ができればいい。外部の目が入れば虐待防止にもつながる」。
運営する「シルバーウッド」社の下河原忠道社長は話す。

「銀木犀 西新井大師」の入居費用は月額13万9800円から(食費など含む。入居金なし)。
介護サービスは訪問介護事業所に依頼し費用は別になる。
          

サービス付き高齢者向け住宅が身近な存在になってきた一方で課題も出てきた。
たとえば特定の事業者の介護サービスだけを使わせる「囲い込み」なども指摘されている。

厚生労働省は7月から、食事のついたサービス付き高齢者向け住宅も有料老人ホームと見なして、
指導対象とすることを明確化。
介護サービスを特定の事業者に限定、誘導しないよう求めた。
また、高齢者虐待防止法に基づく苦情処理体制の整備なども求めた。

体験入居の実施、介護サービス内容や費用などの「重要事項説明書」の交付も盛り込まれた。

増える高齢者向け住宅。私たちはその良しあしを見分ける目を持つ必要がある。
          
     
☆サービス内容 選ぶ際に確認

NPO法人「シニアライフ情報センター」(東京)代表理事の池田敏史子としこさんは、
サービス付き高齢者向け住宅や有料老人ホームを選ぶ際、
「住み替えの目的をはっきりさせた上で、
自分が求めるサービスが提供されるか質問して」と言う。

具体的な質問例とアドバイスを挙げてもらった。

☆「病院に付き添ってくれるか」
 「夜間は何人職員がいるのか」

 *体調を崩すのは夜間が多い。夜間の体制は重要なチェックポイント。

☆「ホームを退去しなければいけないケースはあるか」
 「重度の認知症になっても住み続けられるのか」

 *重度でも対応できる、家族の付き添いが必要、退去を促すなど、ホームの方針を確認する。

☆「外出は自由か、要介護者でも外出の機会は頻繁にあるのか」
 「携帯電話は持ち込めるか、公衆電話など外部との通信手段はあるのか」

 *外出の機会がほとんどない、通信手段がないところは避けたほうがよい。

☆「ケアマネジャーは自由に選べるか」

 *ケアマネを外部に頼むホームでは、自由に選べることになっている。
 特定のケアマネ事業所しか認めないところは、「囲い込み」に当たり、おすすめできない。

☆「地域の人は出入りしているか」

 *多くの目が入ることで、虐待の抑止力になる。

☆「体験入居はできるか」

 *体験入居は有力な情報を得る良い機会。必ずしてほしい。
 食事の盛りつけや彩りなど、おいしく食べてもらおうとする姿勢はほかのサービスにも通じる。
 入居者の表情がよくわかるのも食事時。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は介護については、遅ればせながら注視してきたので、
軽いうちは『在宅』、少し重くなったら、『サービス付き高齢者住宅』や『有料老人ホーム』、
と漠然と思ったりしている。

ただ、月に最低20万円はかかるから、ここにいる間に、
『特別養護老人ホーム(特養)』や『介護老人保健施設(老健)』に移れるよう押さえておくが、
知人からアドバイスを受けたりしてきた。

しかしながら『特別養護老人ホーム(特養)』は、介護に要する負担金は少なく済むので、
少なくとも52万人の待機者いて、
原則的として要介護2以下の人は、入居は困難している、と学んだりしてきた。

そして特別養護老人ホームの設置運営は、
高齢者向け住宅などより、公費が1人あたり年間180万円程度多くかかるともされ、
財政的に増やし続けることは難しい、と新聞などで読んだりしてきた。
          

『サービス付き高齢者住宅』は、入居条件は60歳以上であることだけで、
要介護度に関係なく誰でも入れる上に、要介護・要支援認定を受けていれば、
60歳未満でも入居が可能。

館内および部屋はバリアフリーで、日中は館内にケアの専門家の職員が常駐して、
安否確認と生活相談のサービスを提供する。

ただし、サービス付き高齢者住宅は、介護や食事、健康管理などのサポートはセットではなく、
あくまで高齢者向けの賃貸住宅である、と知ったりした。

そして介護や食事、健康管理などのサポートはセットではなく、
必要に応じて介護事業者を自分で選んで契約する形になる。
          

そして民間の『有料老人ホーム』に関しては、
少なくとも入所一時金は1000万円、そして毎月は最低として利用料金は20万円が要し、
更に手厚い介護を受ければ高額となり、私は溜息を重ねたりしてきた。
昨今、民間の『有料老人ホーム』でも倒産が多くなったと知り、動顛したりした。


或いは『特別養護老人ホーム(特養)』は、国が大半補助して下さる施設で、
入所一時金一時金が不要であり、入所者の収入に応じた補助金が受けられ、
全国に約7300施設あり、入居者は54万人(2014年10月)。

しかしながら入所待機者は、13年度で全国に約52万人がいるので、
このうち、身の回りの世話が一人ではできず、
自宅で待機している「要介護3」以上の約15万人をゼロにすることを政府は目標とする。

そして政府は全面的に介護が必要な入所待機者を、2020年代初めまでに解消することを目標に掲げ、
16年度当初予算から特養の整備費用を拡充する、と学んだりした。

しかし国家財政が悪化している中で、果たしてと私は思ったりしている。

そして『特別養護老人ホーム(特養)』以外には、介護スタッフが常駐する「介護付き」ホームや
事業者を選んで訪問介護してもらう「住宅型」ホームなどがある。
          

このように学んだりしていると、私は身勝手ながら、
何とか自立して生活できる『要支援』の範疇で、この世に別れを告げたいと念願しているが、
もとより自助努力も肝要であるが、こればかりは天上の神々の采配に寄ることであり、
漠然としながら私たち夫婦は、思案ばかり重ねているのが実態となっている。


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小庭の手入れ、私たち夫婦は奮闘後、やがて私はいつの日にか、とりとめなく思い馳せ・・。

2015-10-13 15:52:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、築後37年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨夜、夕食前に、
『明日、庭の手入れしませんか?・・私も手伝うから・・』
と家内は私に言ったりした。

小庭の手入れに関しては、私の責務の範疇となっているが、
蚊(か)の出る5月下旬頃から9月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けることが多くなっている。

こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家の小庭は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。

『助かるょ・・明日(あした)早朝からしましょう・・』
と私は明るく応(こた)えたりした。
          

この後、ぼんやりと昨年の秋の旅路は、
岩手県と秋田県の県境にある八幡平の周辺にある藤七(とうしち)温泉に3泊、ふけの湯温泉にⅠ泊、
そして後生掛(ごしょがけ)温泉に2泊し、
落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を見ながら、
周辺の遊歩道、自然研究路などを遊学したことを思いだして苦笑したりした。

今年の秋は、家内はひとり住まいの家内の母の介護で、
飛び石のように家内の母宅に駐在して折、
私も白内障を11月に手術の予約をしているので、
私たち夫婦として、平年と大幅に変貌しているで、苦笑したりしたのである。


本日の朝、私たち夫婦は7時半過ぎから庭に下り立った。

そして私は、いつものようにストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、ウォーキング・シューズ、帽子、
滑り止めの軍手をした上て、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。

家内もトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。

やがて私は切れ味の良い鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も剪定用の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、小枝を切り落としたり、
或いは高枝鋏(タカエダハサミ)で伸びた枝葉を切り落としたりした。

秋晴れに恵まれた中、もとよりホームグランドで慣れていた為、
小休憩も短くし、次々の樹の枝葉を剪定し奮戦した・・。
          

やがて小庭に剪定した枝葉が散乱していたので、
市の指定された45リットル入りの『燃えるゴミ袋』(有料)の大きな袋に破れないように入れる為、
枝葉を適度に剪定鋏(ハサミ)で切ったりした。

或いは樹の直径15センチ前後の枝も切り落としたので、
『燃えるゴミ袋』に入れる長さに切ったりした。

やがて12時半過ぎ、『XXちゃんさぁ・・疲れたから、・・やめない・・』
と私は家内に言ったりした。

まもなく家内はお風呂に入った後、私はいつもようにテラスで、
簡易椅子に座り、ベツトボトルの煎茶を飲みながら、
少し小奇麗になった小庭を眺めたりした・・。
          

やがて私は男性の健康寿命の平均は、私と同年齢の71歳、そして平均寿命は79歳だったことを思い浮かべ、
私が亡くなった時は、家内にはこの家を売却して、マンションのコンバクトな部屋を買い求めて過ごせば、
老後の長い期間でも、生活苦にはならないょ、
と私は夫の責務の立場として、家内に幾たびか言ったりしてきた。

我が家は雑木の多い小庭であるので、樹木の剪定、草むしりも労苦が伴い、
古ぼけた一軒屋も維持管理するのは、大変だから・・という理由であった。

或いは私たち夫婦のどちらかが、介護要になった時、
やむなく我が家を売却して、介護施設のある処に移住しょう、と漠然としながら、
話し合ったりしてきた。

しかしながらこの世の中は、予期せぬまさかの出来事に遭遇することもあり、
家内が私を残して、あの世に旅立ってしまうこともある・・。

こうした時は、私は落胆しながら、やがてマンションの小さな2DK部屋を買い求めて、
私は晩年期を過ごすと思われる。
          

果たして、いつの日にか我が家を手放す時が来る・・
とりとめなく思い馳せたりした・・。

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運動している高齢者の8割以上は、何にもつかまらずにズボンやスカートがはけた、と学び微苦笑をして・・。

2015-10-12 10:56:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、『体育の日』に相応(ふさわ)しく爽(さわ)やかな秋晴れに恵まれ、微笑んだりした。

やがて読売新聞の朝刊を読んでいる中で、
《・・65歳以上の高齢者の体力は、概おおむね最高水準にある。
体力を維持し、健康に過ごすシニア世代が増えているのは、喜ばしい。

調査では今回、高齢者の運動習慣と日常動作の関係も調べた。

週に3~4日以上、運動している高齢者の8割以上は、何にもつかまらずにズボンやスカートがはけた。
これに対し、運動をしない高齢者では、7割弱だった。

日常生活に必要な運動機能が低下する「ロコモティブシンドローム」が進行すると、
転倒や骨折につながりやすい。
外出や家事を支障なくできる「健康寿命」を延ばすため、運動を習慣付けたい。・・》
このような記事を読み、微苦笑した。

そして何かとスホーツが苦手な71歳の私でも、長ズボンぐらいは何にもつかまらず穿(は)けますょ、
と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
          

こうした内容が記載されていたは、本日の社説のひとつに、
【体育の日 日常に運動習慣を組み込もう】と題された一節であった。

そして何よりも苦笑させられたは、子供の平均的な体力も記載されていた。

《・・子供の体力は全体的に向上している。
90年代には、ゲームの普及や塾通いにより、外で遊ばなくなり、体力不足が深刻化した。
その後、学校での体育指導を充実させた成果と言えよう。

ただ、ピークの85年の体力には及ばない。
特に、握力やソフトボール投げで低下傾向が続く。
生活の中で、雑巾絞りといった動作が減った影響があるという。
空き地などでボールを投げる機会も少なくなっているのだろう・・》
          

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活11年生となっている。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

そして最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
          
こうした中で、過ぎし5年前の前の66歳の時に、健康診断で糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
この後は、食事の改善とひたすら歩いて、やがて半年後には何とか克服してきた。

これ以来、糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
自宅付近から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩くことが多くなっている。

私は何かとスホーツが苦手で、特にこれといったこともせず、
散策する程度で、ときおり早足のウォーキングの真似事をする程度となっている。

私は歩きながら、うつろう情景に心を寄せ、
過ぎ去った日々に愛惜を深めたり、本日もこうした風景にめぐり逢えたことに感謝をしたり、
これからの未知の明日から日々に期待を膨らませて、楽観プラス思考となっている。
          

このようなグウダラな日常を過ごしているが、
齢ばかり重ねた日本男児としては、何にもつかまらずズボンを穿(は)けたり、100段ぐらいの階段も大丈夫ょ、
と微苦笑を重ねたりしている。

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沖藤典子さん夫の介護、常に「良妻」求める世間が重圧だったと学び、男性の71歳の私は涙ぐみ・・。

2015-10-11 12:38:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、いつもように読売新聞の朝刊を読んでいる中で、17ページの【くらし・健康】面を見た時、
『ケアノート』と題され、それぞれ分野で活躍している女性のケアの実態が連載されている。

そして男性の71歳の私でも、毎週読みながら、多々学んだりしてきた。

今回は、《常に「良妻」求める世間・・プレッシャーだった夫の介護》
と見出しを私は見て、つたない感性の私は心揺さぶられた・・。

そしてノンフィクション作家の沖藤典子(おきふじ・ のりこ)さんが、
今回のケアの実態した記事と知り、驚いたりした。

私は沖藤典子さんが上梓された作品は、確か35年前の頃、『女が職場を去る日』(新潮社)を購読し、
鮮明に記憶されたが、この後は介護問題、人生行路全般など読む機会がなかったが、
沖藤典子さんの著作された御本は、本屋で、数多く私は見掛けてきたので、
長らく第一線のノンフィクション作家である。

こうしたお方でも、ご主人の介護をされる中、常に「良妻」求める世間が重圧(プレッシャー)だった、
と初めて知り、驚かされたであった。

そして読みながら、私は沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、
葛藤された心情に涙を浮かべたりした、

シニアの女性、そして男性に参照さればと思いながら、この記事を無断ながら、
長文であるが、転記させて頂く。

《・・ノンフィクション作家の沖藤典子さん(77歳)は昨年10月、
閉塞性動脈硬化症を患った夫の明さんを80歳で亡くしました。
2年間の闘病生活の間、「妻が夫を介護するのは当然」という世間のプレッシャーに苦しんだといいます。
          

◆30代で実父も

私は30代の頃、実父の介護を経験しました。
まだ介護保険もない時代で、夫は単身赴任中。私は働きながら2人の子どもを育てており、
仕事と介護、育児の両立に苦しみました。

結局会社は辞めましたが、その経験をつづった著書「女が職場を去る日」がきっかけとなり、
1979年からノンフィクション作家として活動してきました。

そして、70代で迎えたのが夫の介護。
介護保険の制度が整い、子育ても終わって、仕事は自分で調節できる立場。
でも、今回は精神的な葛藤が大きかったのです。

明さんが最初に体の異変を訴えたのは2011年夏。明さんの喜寿を記念した、
夫婦と次女一家とのハンガリー旅行でだった。

夫は「左脚のもも辺りが痛い」と言い、歩くのも休み休み。
帰国後、近くの総合病院の整形外科を受診し、「腰椎すべり症」と診断されました。

1年以上通院しましたが、一向に良くなりません。
別の病院の整形外科で診てもらったら、血管外科を紹介され、12年10月、
「閉塞性動脈硬化症」との診断が出ました。

その時点では軽症と言われましたが、翌13年春頃から脚の痛みが強くなり、
家の階段もお尻をついて一段一段下りる状態に。
次の診察日に受診すると、即入院。

脚の血管があちこち詰まり、左の足先は壊死(えし)していて、
「最悪の場合、膝上での切断が必要になるかもしれない」とのこと。
ほかに、腎機能の低下と狭心症の疑いも指摘されました。

長女は海外在住、近くに住む次女は幼子を抱えており、夫に付き添えるのは私だけです。
仕事の合間に車で30分ほどの病院へ通い、夫を励ます。
看護師への不満があれば伝える。

手術や検査の度に医師の説明を受けたり、膨大な内容の説明・同意書を読んだりして、
治療方針を決定し、サインするのも私の役目です。

入院2か月後、右脚の静脈2本のうち1本を左脚に移植するバイパス手術を受けました。
左脚は、かかとを残して足先を切断するだけで済みました。
          

◆積年の恨み

明さんは大手建設会社の管理職だったが、毎晩のように泥酔して深夜に帰宅。
定年後も友人と外出しては深酒をする生活を続けた。

病気は、長年のツケが回ったのだと思いました。
ところが、世間は「夫の病気は妻のせい」という目で私を見ます。

同年代の女友達からも「あなたが仕事なんかしているせいよ」と言われました。

それでなくても、こうした時には、長い人生で積もり積もった夫婦間の感情が
一気に噴き出てきます。

家庭を顧みなかった夫に積年の恨みつらみがあり、
私を頼ってくる夫を拒否したい気持ちがどうしても消えない。

でも、医師や世間からは「良妻」であることを要求され、夫の世話をするのが当然と見られる。
一方で、医師の前で良妻ぶって振る舞う自分にも嫌気が差す。

最初の1年ぐらいは、そうした葛藤が続きました。
ようやく楽になってきたのは、自分との問答の中で
「私にも悪いところがあった。夫ばかりを責められない」と思えるようになってからでしょうか。

また、そんな私の胸の内を分かってくれる女友達も、中にはいました。
彼女らに時折電話で話を聞いてもらうことが、私の助けになりました。

13年12月、医療療養型の病院に転院しましたが、そこは寝たきりの高齢者ばかり。
早く退院させようと、義足を作り、介護保険の認定を受けました。要介護度は「3」。

夫は医療処置が必要なので、看護師資格を持つケアマネジャーを探し、
自宅2階の夫の部屋に介護ベッドを置くため、階段昇降機も設置しました。

夫は昨年10月8日に退院しました。
週2回のデイケアと週1回のデイサービスに通う生活で、ホームヘルパーさんには週3回来てもらい、
夕食介助をお願いしました。

父の介護の時は、こうした専門家はいません。今は多くの方が在宅介護を支えてくれる。
私が長年夢に見た光景でした。

          
◆つらさを語って

退院から約3週間後の10月30日夜。明さんがベッドから起き上がろうとした姿勢で
倒れているのを発見した。
救急車で大学病院に運んだが、亡くなった。急性心不全だった。

その数時間前に、夫と「リハビリで筋肉がついてきたよ」
「春にはお花見に行けるね」と話したばかりでした。

あまりに短かった在宅介護生活。病院にいた方が良かったかもとの思いは消えません。

私と同年代の妻の中には、私と同じように、夫に対する過去の感情の整理ができない中で、
世間からのプレッシャーを受けて、つらい介護をしている方が少なくないと思います。

彼女たちには「良妻ぶらずにつらさを語って」と伝えたい。
そうすれば、必ず同じ思いの人と出会え、少しでも楽になれると思います。(聞き手・森谷直子)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。
しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
          
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、いつの日にか介護を要する身となった時は、
介護施設に入居することなどを漠然と思ったりしている。
          

ここ数年、私が何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。

痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。

このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
         
或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした私の念願は、果たして・・どのようになるか、今の所は漠然としている。

このような意味合いのことを、高校以来の悪友と語り合えば、
楽観プラス思考だよなぁ、と親の介護をしている悪友から私は言われたりしている。
          

今回の沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、葛藤された心情に涙を浮かべたりし、
多々教示された。

そしてインタビューされた森谷直子さんが、『取材を終えて』に於いて、
《・・沖藤さんは仕事柄、著名人や一般の人の介護体験記を読む機会もよくあるが、
「介護した相手が亡くなった後、しばらくしてから書かれた体験記は信用できない」と話す。

時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれないからだという。
「介護にはそれまでの夫婦関係が表れる」という沖藤さんの率直な話に、
私が夫を介護する立場になったらどう思うだろうかと、思わず我が夫婦関係を振り返った。・・》

こうした中で、《・・時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれない・・》
この沖藤典子さんの思い、やはり人生を怜悧な視線で見つめる作家の確かな深情に、
私は降参します、と圧倒的に教示されたりした。

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コンビニ難民を少し学び、買物メール老ボーイの私は、やがて夢が破れた私は微苦笑して・・。

2015-10-10 13:31:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の老ボーイであるが、
今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んでいる中で、3ページの【総合】面の最下段に、
今月の総合月刊誌の『中央公論』(2015年11月号)の広告が掲載されていた。

私は月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読してきているが、
『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしているので、
今月の『中央公論』の特集が気になり、広告を読んだりした。

そして特集のひとつには、【コンビニ依存社会ニッポン】として、
三井住友トラスト基礎研究所・竹本遼太さんが『超高齢時代、コンビニがなくては生きていけない? 』、
或いは『「コンビニ難民度」全国1896市区町村全リスト』などが掲載されていた。

この後、読売新聞の8ページの【経済】面のひとつには、
【コンビニ難民 高齢者6割
徒歩圏外、地方で顕著】と見出しされた記事があり、精読した。
無断であるが、転記させて頂く。
          

《・・高齢者の6割程度が、徒歩でコンビニエンスストアに行くのが困難な「コンビニ難民」で、
買い物だけでなく日常生活のさまざまな場面で不都合が生じている――。
三井住友トラスト基礎研究所の竹本遼太副主任研究員のこうした研究結果が、
発売中の中央公論11月号に掲載されている。

大手コンビニ12チェーンの店舗網から、店の徒歩圏(半径300メートル以内)に住む
65歳以上の高齢者の比率を推計した。

徒歩圏外に住む高齢者は都市部より地方で多く、全国平均では61%となった。

人口20万人以上の市区町村別に見ると、
茨城県つくば市(83・7%)が最も多く、新潟県上越市(83・2%)が続いた。
津市(79%)、松江市(78・7%)、福島市(72・8%)など
県庁所在地でも7割を超えるところがあった。

竹本氏は、コンビニが単なる小売店でなく、
金融サービスや行政手続きなどもできる社会インフラ(生活基盤)になっていると指摘する。

人口減少のペースが速い地方では、
店舗の撤退でさらにコンビニ難民が増え、生活利便性の低下に拍車がかかるとの懸念を示す。
対策として、居住地域のコンパクト化がカギを握るとした。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活11年生となっている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、
程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。

私たちは東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後37年ばかりの一軒屋に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や65年が過ぎている。
       

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

こうした中、 日常の殆どは私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

そして最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
          

私の住む近くには、コンビニが3店ばかりある。
『セブン-イレブン 』と『ファミリーマート』は歩いて5分以内、
そして『ローソン』は歩いて10分ぐらいにあるが、私は殆どコンビニを利用しない。

私はケチな為か、歩いて7分ぐらいにあるスーパーが2店、
或いは駅前まで歩いて数多く有るスーパーで買物することが圧倒的に多い。

食品系はスーパーに於いては、コンビニより品ぞろいが豊富であり、
価格も廉(やす)いので、歩くことは苦にならず、愛用している。

そしてスーパーの衣服フロアーでは、私の場合は下着を買い求めたり、
衣服全般に関しては、家内の指揮により、私たち夫婦はデパートで購入している。

このように我が家は、コンビニを殆ど利用しないが、
私は近くの『セブン-イレブン 』でタバコを買い求めたり、
駅前の本屋に行くを止めて、『文藝春秋』とか情報誌『プレジデント』を購入する時もある。

或いは散策した時、水分の補給に煎茶のペットボトルを買い求めることもある。

私はコンビニで、色々と多彩なサービスを少しだけ知っている。
たとえば各金融機関口座の引き出し、預け入れのATM、
電話料金、電気料金、都市ガス料金、水道料金、NHK受信料など収納代行、
そして住民税、固定資産税、社会保険料の税金納入代行もできる、と学んだりしてきた。

しかし時代遅れの私は、郵便局か銀行に出向き、振込依頼か、
自動引き落としで対処している。

昨今、コンビニの一部に於いて、お弁当を確か1200円(複数・可)以上であれば、
自宅まで配達と知り、いつの日にか私たち夫婦が、歩くことが苦痛と感じた時は、
利用するのもひとつである、と思ったりしている。

とりとめなく私の心情を綴ってきたが、
こうしたことは働いて下さる方より自由時間があり、散歩代わりに歩く時間がある上、
たまたま買物など利便性のある地域に住んでいるので、
こうした勝手気ままな思いとなっている。
          

私の若き40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。
私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。
       
たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。
しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。

やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
落葉樹のクヌギ、コナラなどの中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。

この当時は住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は、自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。
                    
              
このような私の思い、漠然とした山里に平屋建ての生活を家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。

『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。

やがて具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
もとより本屋も該当するが、店内を見て周り、興味を持ったのに手を取ったり、買い求めたりしている。
そして、こうした空気が好きである。
或いは、ときおり洒落(しゃれ)た居酒屋も欠かせない・・。

『貴方、60代の心身元気なうちは良いけれど、70代頃からの体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・
と思ってきたが、
体の弱った時の通院、そして都心の外れの文化と利便性には勝てない、と断念した。

こうして私の淡き夢も消え、定年退職後の年金生活の中、住宅街の密集地から抜け出して、
我が家より3キロ範囲の遊歩道、小公園、公園などをひたすら歩き、
季節のうつろいを享受したりしてきた・・。

或いは家内との共通趣味のひとつの国内旅行で、各地域の観光ホテルに滞在して、
周辺の山里、街はずれ、街中を歩き廻り風土、文化を学び、
その地の景観に心身共にゆだねて、遊学したりしている。
          

こうした私の秘かな思いがあるので、
利便性に恵まれない地域にお住まいのコンビニ難民お方に対して、
少なくとも買物難民でもある、唖然とさせられたりした・・。

何かしら苦手な上から目線となってしまい、
少し傲慢かしら、と反省しながらも、山里に住む夢が破れた私は微苦笑したりしている。

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ときおり『おひとりさま』になる私、ひとりを愉しむ時を過ごし、微苦笑して・・。

2015-10-09 14:03:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイであるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
こうした中で、家内は一昨日の7日より3泊4日の予定で、
独り住まいの家内の母宅に行っている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ10年の恒例となっている。

そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
                               
                                        
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となっている。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
ここ4か月ぐらいは少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わり、
やがて通院を幾たびかして折、家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなっている。

そして家内の母は気力も衰えた為か、家内は介護、料理、掃除、洗濯などを孤軍奮戦し、
最終日には家内の母が食事に困苦しないように、果物、保存ができる料理などをして、
我が家に帰館する状況となっている。

このような結果として、4泊5日、11泊12日、或いは3泊4日とか、
幾たびか飛び石ように行ったりしている。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
そして何かと愚図の私としては、『おひとりさま』の生活は、落ち着かなく過ごしている・・。

私は家内より先に、あの世に行くことは漠然としながらも深めているが、
この世の中はまさかの予期せぬ出来事に遭遇することがあり、
私を残して家内が先き立たつことも考えられるので、
『おひとりさま』の特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。
                                
         
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っているが、
食事、掃除、洗濯などに関しては、このサイトで幾たびか記載してきたので、今回は省略する。


私は平素は亡き母の遺伝を受けて、男の癖におしゃべりで、何かと家内とは談笑を重ねているが、
『おひとりさま』の生活をしていると、話し相手がいなく寂しいのが、本音である。

しかしながら人は誰しも孤独を感じる時がある、と学んできた私は、
ひとりを愉しむ時を過ごしている。

こうした人生に対して楽観プラス思考を深めたのは、過ぎし2010年8月下旬の頃に、
医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)さんの本を読み、多々教示されたりしてきた。

やがて2011年〈平成23年〉の秋に、氏の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を購読したりした。
             
               
そして精読しながら、私は何かと大いに励ましを受けた一冊であった。
               
この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
  ◎「定年」で終わりにしない
  ◎ひとりを愉しむ
  ◎自分なりの「養成法」をもつ
  ◎敗れることも必ず想定に入れる
  ◎できるだけ身軽でいる 》
このように記載されていることを私は多々教示されて、私のセカンドライフの格言としている。
(意味合いが想像して、ご理解できない方は、この本をお読みください。)
                       

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活11年生となっている。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。

こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
           
 
こうした中で家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。

                                
そして世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の住宅街の中で、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、
いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。

そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
          
そして時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
                    

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                
このような家内と生活を過ごしてきた私は、ときおり『おひとりさま』となる生活は、
男の癖におしゃべりな私として、何かと家内とは談笑を重ねているが、
話し相手がいなく寂しく感じたりしている。

そして平素も買物とか散策で出逢ったり、或いは自治会の回覧板を廻す時、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑しているが、
『おひとりさま』を過ごすと、少し長話になったりし、後で独り微苦笑したりしている。

或いは私がブログを綴って投稿時間、そして愛読しているブログを読ませて頂く時間が、
まばらになったりしている。

買物する時間帯も午前中から、夕方になったりし、お惣菜コーナーの売り場などで、
探し求めたりすることが多くなっている。
          

私は高校生より都心で学び、その後も大半は都心の空気を共有してきた為か、
人出の多い都心は、定年後の年金生活で苦手となっている。

このような心情を秘めている私は、ときには独り愉しむ時を享受したりしている。

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アベノミクスの現状、荻原博子さんの的確の論評に、無力な私でも賛意を深めて・・。

2015-10-08 12:42:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜、NHKテレビニュースの視聴して、第3次安倍改造内閣が発足したことを報じていた。

私は政治にも疎(うと)いが、何はともあれ当分の間(あいだ)は、
日本の命運を安倍政権に委託している状況下であるので、
国民のひとりとして視聴したりした。

そして今朝も購読している読売新聞の朝刊でも、各賢人が国際社会、与野党など動向の記事が、
数多く掲載され、私は一時間半ばかり読んだりした。

こうした中で、年金生活で無力な私でも、アベノミクスの現状を社会面、経済面に於いて、
的確の論評している記事に、強く私は共感させられた。

この記事は、15ページ目の【解説】面に、恒例の論点スペシャルで、
今回は『内閣改造 どう読み取る』と題して、政権運営の行方や、経済、外交・防衛政策などに関し、
読売新聞の各担当者が三氏にインタビューし、編集した記事であった。

そして応(こた)えた三氏は、京都大教授・待鳥聡史(まちどり・さとし)氏、経済ジャーナリスト・荻原博子(おぎわら・ひろこ)氏、
明治大特任教授・山内昌之(やまうち・まさゆき)氏であった。

そして私は読んだりした中で、瞬時に共感させられたのは、荻原博子さんの論評であった。
無断であるが、この記事を転記させて頂く。
          

《・・成長戦略で雇用・給与増

主要閣僚が交代しなかったので、今までの路線は変わらないと思う。
取り組んでほしいのは、生活者の視点に立った経済成長政策だ。

これまで進めてきた「アベノミクス」は、大胆な金融緩和の「第1の矢」、
機動的な財政政策の「第2の矢」、成長戦略の「第3の矢」という、3本の矢を柱にした。
第1と第2の矢で、大手企業の業績が回復すれば、
それがしたたり落ち、津々浦々に行き渡るという筋書きだった。

しかし、大手企業の業績こそ上向いたものの、中小企業はそうなっていない。
給与が上がらない人も少なくない。
7月に実質賃金が27か月ぶりにプラスになったが、まだ伸びは小さく、楽観できない。

アベノミクスの成果は自分のところまで落ちてこない、と思っている人が多いように感じる。
先行きが不安なので、若い世代も高齢者もお金を使おうとしない。
その結果、日本経済はなおデフレから脱していないのではないかと言われている。

第1と第2の矢はカンフル剤だ。いつまでも打ち続けるわけにいかない。
早く第3の矢で本格的な雇用創出などにつなげないと、普通の人々にまで恩恵は行き渡らない。

9月に安倍首相は、「強い経済」「子育て支援」「社会保障」を新3本の矢に位置づけた。
期待したが、内容は「1億総活躍社会」「GDPを600兆円に拡大」など、スローガンが目立つ。
裏付けがない。1億総活躍相も、なぜそういうポストが必要なのか今ひとつわからない。

大事なのは普通の人々が安心して暮らせるような政策を進めることだ。
例えば、これから爆発的に高齢者が増える。
介護は日本の成長分野だ。しかし給与が安いため、優秀な介護人材が不足している。
給与を上げて人が集まるようにすれば、競争が起き、比較的良い人材が残る。
そういう状況になれば高齢者も安心する。

政治家や官僚には、普通の人の暮らしを知る努力をしてほしい。
アベノミクスの問題点は、物の値段を上げれば、
今のうちに買おうという需要が出て、景気が回復すると考えていることだと思う。

だが、給与が増えなければ、値段が上がれば上がるほど、買わずにすませてしまう。

消費税を10%に引き上げる際の負担緩和策もそうだ。
食料品などを買う時、マイナンバーカードを使えば2%分が給付されるという財務省案。
これもおかしい。学校帰りの子どもがマイナンバーカードを持ち歩いて、
パンを買ったりすると本気で考えているのだろうか。

普通の人たちの思いにこたえる政策を進めてほしい。(企画委員 知野恵子)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は外資系の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職となった身であり、
働いていた時は年功序列が少し残る中、給与は年齢給と成果給で構成され、成果給の比率は多かったが、
同僚たちと驚くほどは差異がなかった時代であった。

ここ10数年、短期に成果が問われ加速され、常時リストラ時代の過酷の中、
たとえ正社員でも年収が大幅に差異がある、と学んだりしてきた。
たとえば同年齢であっても、ひとりが1000万円以上、残りの4人は400万円前後と知り、
一強四弱の熾烈なサラリーマン時代、と私は強く感じながら、無力ながら憂いたりしてきた。

このような心情を秘めてきた私は、ここ数年アベノミクスの現状、
これから数年に予測されることを思案すれば、今回の荻原博子さんの的確の論評に、
無力な私でも、確かにそうですよねぇ、と賛意を深めている。
          
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虎屋の本店休業あいさつ文、老ボーイの私でも、微笑みながら称賛して・・。

2015-10-07 12:57:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の老ボーイの身であるが、
先ほど、パソコンを立ち上げてネットのニュースを見ようと思ったりした。

私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】を指定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【虎屋の本店休業あいさつ話題】と明記されていた。

私は和洋菓子にも疎(うと)く、何かと単細胞の私は、文明堂のカステラとか三笠山を愛食し、
羊羹(ようかん)だったならば『虎屋』となり、少年期から愛食し、早や60数年が過ぎている。

こうした心情を秘めている私は、どのようなことなの、と好奇心が増して、クリックした。

やがて老舗和菓子店『虎屋』のホームページに掲載された本店休業あいさつ状を読みながら、
微笑んだりし、何かと文章に辛口の私でも、綴られた虎屋17代の黒川光博社長のまごころ、謙虚さ、
称賛した。

ネット上に公表されていたので、転載させて頂く。
          

《・・十七代 黒川光博より 赤坂本店をご愛顧くださったみなさまへ

赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。
室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、
明治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。

赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。
明治28年(1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。

昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は、城郭を思わせるデザインでしたが、
昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、
斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。

「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。
周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、
赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。

この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。

3日と空けずにご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。
毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。
ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、
お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。

車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。
入院生活に入られてからは、ご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。
お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。

このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、
おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。

3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、
さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。

新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は『虎屋』に関しては、赤坂本店には訪れたことはないが、
小学時代には新宿にある『伊勢丹』に、母の手に曳(ひ)かれながら行ったりした。
そして生家の最寄駅にある和菓子屋さんより、羊羹(ようかん)が遥(はる)かに美味しい、
と今でも鮮烈な記憶が残っている。

やがて二十歳過ぎた頃から、生家が羊羹(ようかん)を買ってくるように言われた時、
『小田急』、『京王』などのデパートで買い求めたりしてきた。

今回の黒川社長の赤坂本店の休業あいさつ状、このようなお気持ちでお客さまを見続けた心情、
無力な私は、感動させられたりした。

余談であるが、我が家、親戚を含めて、『虎屋』、『文明堂』には関係する人は皆無である。

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大前研一・寄稿文『なぜ訪日中国人は日本が大好きになるか』、多々教示され・・。

2015-10-06 15:58:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
家内との共通趣味のひとつは国内旅行であり、観光ホテルに滞在して、
周辺を歩きながら遊学してきた。

ここ10数年、旅先で中国語を話される中国人か台湾人を旅先で見かけることが多くなり、
私は微苦笑したりしてきた・・。

昨夜のひととき、週に2回ぐらい愛読しているビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の基幹サイトで、
【なぜ訪日中国人は日本が大好きになるか】と見出しされた記事を偶然に見て、
副題には『大前研一の日本のカラクリ』と明題され、
賢人の大前研一さんの寄稿文だったら、多々教示されてきた私は、クリックして読んだりした。

この記事の原文は、『PRESIDENT 』の2015年10月5日号に掲載された記事のひとつで、
『PRESIDENT 』の基幹サイトに2015年9月25日に配信され、
無断てあるが転載させて頂く。
          

《・・大前研一の日本のカラクリ
        なぜ訪日中国人は日本が大好きになるか

☆訪日客数は年3000万人まで増え続ける

2014年に日本を訪れた外国人観光客の数(訪日インバウンド)が、
初めて1300万人を突破して過去最高を記録した。

前年から300万人以上増加したことになる。
円安、国際線やLCC(格安航空会社)の増便、訪日ビザの緩和(13年にタイとマレーシアのビザが免除になり、
14年後半からインドネシア、フィリピン、ベトナムのビザ発給要件が緩和された)、
消費税の免税拡大など、訪日インバウンド急増の背景には複合的な理由があるが、
この傾向は当分続くだろう。

政府、観光庁は東京オリンピック・パラリンピックが開催される20年までに2000万人を目標に掲げている。
年間300万人ペースで増え続ければ、
数年後には2000万人を突破して3000万人ぐらいまでは増え続けて、
そこから安定期に入ると私は見ている。
          

引き続き、訪日インバウンドの増加が見込める最大の理由は、
中国人観光客の増加余力がまだまだ大きいことだ。
14年の訪日外国人の国・地域別客数を見てみると
第1位は台湾で約283万人。
2位が韓国で約276万人。
3位が中国で約241万人。
4位以降は100万人以下で香港、アメリカ、タイ、オーストラリア、マレーシア、シンガポール、
イギリスと続く。

台湾の人口は約2300万人。訪日台湾人が280万人ということは、
年間で国民の8人にⅠ人は日本を訪れている計算になる。
それほど台湾人は日本が大好きだしリピーターも多い。

常に中国の先行指標といわれるのが香港、台湾。
中国人の生活レベルが上がってくると香港人や台湾人が、好むものを好きになる傾向がある。
特にライフスタイルについては香港人、“日本”に関しては台湾人が中国人の先行指標になっている。

たとえば中国人はもともと生魚を食べないし、
冷たいものはおなかを壊すということでビールは常温で飲むのが当たり前だった。

一方、台湾では日本統治時代の影響もあって、
生魚を食べるし、ビールも日本のように冷やして飲む。
温泉も大好きで台北郊外の北投温泉に加賀屋を招致したくらいだ。

それが大陸に伝播して、近ごろは生魚を食べたり、冷たいビールを楽しむ中国人が増えた。
日本で温泉地に向かう人も増えている。
          

台湾人の日本志向を中国人が追いかける傾向からすれば、
1年間に国民の8分の1が日本を訪れる台湾の訪日ペースに、
中国の新興富裕層も近づいてくるだろう。

中国13億人の10分の1とは言わないが、100分の1としても1300万人。
つまり現状の5倍以上の中国人が日本にやってくるようになってもまったく不思議ではない。

インバウンド2000万人時代には中国人が50%ぐらいのウエートを占めるのではないか。
日中関係が政治的にこじれない限りは、
政府の意向を無視して日本を目指す中国人観光客は今後さらに増えると思う。


今の中国はちょうど日本が高度成長期に第一次海外旅行ブームを迎えたような状況にあって、
中国人の海外旅行に対する関心は異常に高い。

これは私見だが、中国人の海外旅行ブームの背景には、
自国の将来に対する不信、諦念があるように感じる。

腐敗した政治家と役人がのさばっている限り、中国社会はこれ以上素晴らしいものにはならない。
だったら近場の日本に行って、安心安全な社会の素晴らしさや自然の豊かさに触れたい――。
言葉にせずとも、そういうマインドが日本志向につながっているようだ。
          

実際、中国のネット掲示板を覗いてみると、
日本にやってきて好印象を抱いた中国人の書き込みで溢れている。

中国では目の吊り上がった日本兵が敵役の抗日ドラマが毎晩のように流されているから、
それを見て育った中国人は、
まず日本にやってきただけで「日本人が笑っている」とビックリする。

そこから始まって「タクシーに忘れ物をしたらホテルに届けてくれた」とか
「お釣りを間違ったと店の人が追いかけてきてくれた」
といった類いの親切話が山ほど書き込まれているのだ。

それに対して「おまえは日本で洗脳されておかしくなった」などと反論が上がる一方で、
「私も日本に行ったけど、この人の言う通りだ」
と擁護派も次々登場して掲示板はヒートアップ。

そのうち誰かが「民度」と言い出す。
「日本人と中国人の最大の違いは民度。
あんな教育ができた国は素晴らしい」とか
「中国人が同じような民度を獲得するには50年かかる。
よその国で中国人の団体を見ると本当に恥ずかしい」という意見が事例とともに書き込まれる。
          

政府当局がいくら情報統制しても、
ウェイボー(微博 中国最大のSNS)のようなネットワークに書き込まれる旅行話や
個人的な体験談までは規制できない。

それを読んだ中国人は「私も日本に行ってみようかな」と思うし、
実際に一度訪れたら日本を大好きになる中国人が圧倒的に多い。

年間240万人ペースで日本贔屓の中国人が増えているわけで、
外交よりも観光ベースの日中関係改善のほうが先行している。

中国政府もそれを無視できなくなっているのだ。
          

☆訪日観光客用の宿泊施設が全然足りない

世界一の観光大国フランスの観光客数は年間約8300万人。
イタリアは約4770万人。
それには及ばないが、年間3000万人のインバウンドともなれば、
インバウンド消費が日本経済に与える影響は大きい。

問題は受け入れ体制だ。
日本はアウトバウンド(海外旅行者)のほうが多い時代が長かったから、
国内の観光業はインバウンドを意識した体制づくりをしてこなかった。

インバウンド急増に伴って都内や関西圏のホテルの稼働率は軒並み80%以上に達し、
寂れた観光地の潰れかけた旅館まで、中国人のツアー客が押しかけている。

インバウンド効果で大復活を遂げた観光地もあるくらいだ。
日本の宿泊施設のキャパシティはせいぜい2000万人程度。
そこから先は完全にキャパをオーバーする。

インバウンド3000万人に向けて、まったく新しい投資が必要になるだろう。
また使ってない部屋や空き家を利用するなど、
一般の人にもメリット(収入)が享受できるような工夫も必要だ。

ディズニーランドにしてもUSJにしても、宿泊施設が全然足りない。
銀座辺りも中国人観光客行きつけのラオックスやドン・キホーテがある4丁目から8丁目にかけて、
観光バスがズラッと並んで一車線を完全に塞いでいる。

観光客で溢れ返って銀座の街自体が機能しなくなっているのだ。


2020年東京オリンピックという一過性のイベントだけではなく、
インバウンド3000万人という恒常的な数字を受け止める
(ホテル、トイレ、駐車場、食堂、ガイドなどの)体制づくり、インフラ整備が求められる。
                    

☆中国人の旅行は団体から個人にシフトしていく

インバウンドをビジネスチャンスにするためには、
外国人旅行者の好みや行動特性をつかむことが大切だ。

特に今後大きなウエートを占める中国人観光客を研究することは、きわめて重要になる。
前述のウェイボーやバイドゥー(百度中国最大の検索エンジン)などは、
中国人観光客にとってバイブルのようなSNSサイトで、
彼らはそれらで観光スポットや土産物を調べまくって日本にやってくる。

この中で重要な役割を果たしている中国人留学生などの助けを借りて、
観光客がチェックしているサイトを追いかけて内容を分析すれば、
彼らの志向や動線をつかみやすい。

今、日本にやってきているローエンドの中国人観光客の月収は大体10万円レベル。
中国の平均月収が3万円程度だから、比較的稼ぎがいいミドルクラスだ。

5万9000円ぐらいの3泊4日のパッケージツアーで日本にやってきて、
食費はスーパーの惣菜などで節約しながら、銀座や秋葉原で土産物を爆買いするのが通例。

月収10万円でも親や親戚から餞別をもらってくるから、
20万~30万円くらいは平気で買い物していく。

日本に初めてやってくる中国人の団体客はこのパターンが圧倒的に多いが、
2回、③回と訪日を重ねると行動も変化してくる。
前述したように、その先行指標になるのが台湾人だ。
          

台湾人のベテラン旅行者は、東京、大阪はもちろん、
日本の温泉地は10カ所ぐらいは行っているだろうし、定宿も持っている。

町々の美味しい飯屋も知っている。
「私は秋田が好き」とか「金沢の風情がいい」と特定のスポットにこだわる人もいれば、
「今度は飛騨高山を集中的に攻めよう」という具合に
日本をくまなく見て回ろうとする意識も高い。

中国人の日本旅もいずれ団体旅行から個人旅行にシフトしていくはずだし、
日本好き、日本通はもっと増えるだろう。

高価な中国のマンションなどを1つ売って日本に別荘を、
という富裕層もぼちぼち現れてきている。

そうしたニーズを先取りして応えていけば、
インバウンドビジネスが本格的に日本経済の底上げにつながっていく可能性は高い。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

過ぎし年の2008年(平成20年)2月中旬、
私たち夫婦は独り住まいの家内の母を誘い、近場の箱根の姥子温泉にあるコテージ風の観光ホテルに
7泊8日で滞在した。

この旅路は、芦ノ湖は隣接し観光船の乗り場も近く、
自動車、レンタカー等を利用しない私達は、利便性があり、
特に姥子温泉の冬は閑静であったので選択した。


こうした中で、家内たち女性の興味と私が観てみたい所は別であったので、
私は勝手気ままに周辺を遊学した。

そして私は芦ノ湖の観光船した後、箱根神社と富士山が観える湖畔を散策した。
こうした時、若き20代とみられる男女のおふたりがカメラを構えて、
お互いに撮り合っていた。

風に流れて中国語が聴こえてきたが、高価な洋装をしていたので、
英語は通じると私は思い、近寄って、ご一緒の写真を撮りましょうか、と英語の単語を並べたりした。
そして男性の方は、微笑みながら私に近寄って、私にカメラを手渡した。

ニコンの高価な一眼レフで、私は英語の単語とジェスチャーを交えて、
背景として箱根神社、冬富士を2枚を撮ったりした。

この後、おふたりから微笑ながら感謝の言葉を言われて、私は照れたりした。
          

この3日後、私は湖尻の食事処をあらかじめ目指した店も休みで、
やむえず隣接した大きな食事処に入った。

そしてニジマス、ブラックバス、ワカサギのフライをビールを呑みながら頂いている時、
中国語がけたたましく聴こえ、団体客30数名が入店してきた。

私は苦笑しながら、やがて退席した。

こうしたささやかな思い出があり、この後の幾たびかの旅路でも、
数多く中国人か台湾人を見かけたりした。

そして圧倒的に私は魅せられたのは、殆ど人はデジカメを持ち、
二コン、キャノン、ソニーなど、私が見た限りはすべて日本製であった。

今回、大前研一さんの寄稿文『なぜ訪日中国人は日本が大好きになるか』を多々学んだ。

特に《・・政府当局がいくら情報統制しても、
ウェイボー(微博 中国最大のSNS)のようなネットワークに書き込まれる旅行話や
個人的な体験談までは規制できない。

それを読んだ中国人は「私も日本に行ってみようかな」と思うし、
実際に一度訪れたら日本を大好きになる中国人が圧倒的に多い。・・》
こうした積み重ねこそが、中国の人たちから、日本を理解していただく、
何より平和外交と思ったりしている。

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『マイナンバー導入で「困る人たち」っていったい誰?』を学び、やがて微苦笑をして・・。

2015-10-05 16:52:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
一週間前の頃、新聞の折込チラシの中、東京都の広報誌(10月)が入っていて、
見出しに大きく『マイナンバー制度が始まります!』と題され、
実施内容が記載されていたが、そのうちに読めばいいょ、と思い放置してきた。

本日の昼下がり、朝日新聞社の基幹ネットのひとつ【dot】をぼんやりと見ていた中、
【間もなく開始! マイナンバー制度は何が“便利”で何が“不安”なの?】と題された見出しを見て、
遅ればせながら学ぼうと思い、クリックして記事を精読した・・。
http://dot.asahi.com/dot/2015090400025.html
☆【dot】<==『間もなく開始! マイナンバー制度は何が“便利”で何が“不安”なの?』

この後、下段に関連記事として、
『マイナンバー導入で「困る人たち」っていったい誰?』と題された記事が掲載されていたので、
好奇心に負けて、こっそりと記事を読んだりした。

この記事の原文は、大村大次郎さんが著作『元国税調査官がズバリ教える マイナンバーで損する人、得する人』で、
朝日新聞社の関連雑誌の『AERA』に、2015年9月21日号に抜粋された記事である。
無断ながら転載させて頂く。
          

《・・お年寄りから赤ん坊まで、全国民を12ケタの番号で管理するマイナンバー制度が始まる。
個人情報がごっそり盗まれやしないかとの不安は根強いが、
税や社会保障をめぐる「不公平感」を解消するツールにもなりうる。

マイナンバー導入の効果として、政府の説明資料が真っ先に挙げているのが
「より正確な所得把握が可能となり、社会保障や税の給付と負担の公正化がはかられる」こと。
つまり、税金の取りっぱぐれを減らすのが最大の目的の一つなのだ。

その肝になるのがマイナンバーと預貯金口座のひも付け。
改正マイナンバー法が9月3日に成立し、
2018年から本人が同意すれば預貯金口座にマイナンバーが登録されることが決まった。

もちろん「任意」では、後ろめたいことをしている人は登録しない。
政府は21年をめどに義務化を検討する方針だ。
          

今でも税務調査の対象者の預貯金口座を特定できれば、調査官は洗いざらい調べることができる。
ただ、相手が口座のありかを隠そうとした場合、探し当てるのはそう簡単ではない。

国税OBで税理士の武田秀和さんによると、
調査官は銀行との過去の取引記録や、自宅への立ち入り調査で
見つけたカレンダーやタオルに書かれた金融機関名なども端緒に、
自宅や職場の近くの金融機関などを回って口座の有無を照会したりして割り出す。

口座番号とマイナンバーが連結されれば、
同一人物が持つ複数の預貯金口座の「名寄せ」と、お金の流れの把握がより簡単かつ正確にでき、
不正を見破る強力な武器になる。

将来的には、全国の金融機関の口座データを一括してマイナンバーで
照会できるシステムを作る余地が出てくる、という見方もある。

「今でもサラリーマンの大半は所得をほぼ正確に税務署に把握されています。
所得がガラス張りになって困るのは、税金をごまかしてきた人たちだけです」
          

『マイナンバーで損する人、得する人』(ビジネス社)などの著書があるフリーライターの大村大次郎は言い切る。

確かに一つの勤め先だけから給料をもらい、税金が天引きされている人にごまかしの余地はほとんどない。
「困るかもしれない」のは誰なのか。
大村さんに「所得をごまかしやすい人たち」を挙げてもらった。

まず飲食業や風俗業、パチンコ業、ネット通販業を手がける自営業者と経営者。
領収書をあまり出さなくてよく、不特定多数の客を相手にするといった共通点があり、
税務署がお金の流れを把握するのが難しい。

複数の勤め先から収入があったり、株式や土地、美術品など多岐にわたる資産を持っていたりする富裕層も、
所得や資産の全容を正確につかむのは一苦労だ。

サラリーマンでも、ブログの広告やネットオークションといった「副業」からの収入がある人は要注意。
収入から経費を引いた所得が年20万円を超えると、
基本的に確定申告して納税しなければならないが、
「面倒だし大した金額じゃないからばれないだろう」と申告していない人も少なくないと言われる。

マイナンバーと預貯金口座番号との連結によって、
このような人たちへの税務調査の効率は格段に上がる。

見過ごされてきた税逃れが明らかになる可能性が高まるのは間違いない。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、
その直後から年金生活をしているので、年金生活11年生となっている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後37年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は9月下旬の誕生日を迎えて、70歳を卒業して71歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると66歳となる中、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

このような年金生活をしているので、今回の記事のようなことには、
無力な私は無縁だなぁ・・と微苦笑したりしている。

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老ボーイの私、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして、初めてギブアップし・・。

2015-10-04 18:38:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後37年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨夜、夕食を頂いた後、いつものように茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの前の椅子に座っている家内の片隅に置いた。

『明日、簡易ベットを買う日ですから、朝の9時には家を出ましょうね・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『XXちゃんさぁ・・了解していますょ・・』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。

家内が駅前のスーパー、ホームセンター、専門店など、
或いは年に4回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急などのデパートに買物、
そして人影も少ない遊歩道を歩いた後に歯科医院で治療を受けたりする時は、
71歳の老ボーイの私は、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをしている。
          

今回、簡易ベットを買い求めるのは、家内の母の年末年始用である。
私たち夫婦の両親は家内の母だけとなり、
家内の母は千葉県の八千代市で一軒屋に独り住まいとなっている。

そして私たち夫婦は、年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えようと誘い、
この11年は恒例のようになっている。

ほぼ毎年28日の夕方に来宅して貰い、年末を過ごし、新年を迎え、3日の午前中に帰宅することが多い。

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)を設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。

家内は高齢者の家内の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か4年前から膝(ひざ)を悪化してきたで、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。

昨年、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階まで転落し、お互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。

そして新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
これで充分ですわ、と家内が私に断言したりした。
          

このような事情で、京王線の東府中駅の『ニトリ』府中店に向い、
私たちは開店時間10時と思い改めて、本日9時半過ぎに自宅を出かけた。

やがて初めて訪れる『ニトリ』府中店に到着し、
私はビジネスニュースで『ニトリ』の躍進と好評は学んできたので、
店内を少し見ると、実感させられたりした。

肝要の簡易ベットは、10分で私たちは決断して、やがて配達依頼をした。
          

この後、家内から数日前に晩秋用セーターが欲しいわ、と私は言われたりしてきたので、
近くに『伊勢丹』府中店があるので、10年ぶりに私たちは立ち寄ったりした。

そして家内は婦人フロアーで晩秋用セーターを買い求める間、
愛煙家の私は、9階の喫煙場で待機しているからね、と家内に言ったりした。

私は家内はセーターを探し買い求めるのは、30分ぐらいあれば充分と安易に判断したが、
希望と現実は違っていた・・。

一時間過ぎた時、喫煙場は椅子もなく、やはり喫茶店でゆっくりと本を読みながら待機すべきだった、
と私は後悔した。

そして時代遅れの私たち夫婦は、携帯電話は家内が一台保有しているが、
今回は家に置いてあるので、お互いに連絡する手立てがなく、
私は喫煙場の近くをあてどもなく歩いたりした。

やがて1時間45分過ぎた時、私は結婚以来初めて、ギブアップした・・。
そして8階の落ち着いたフロアーに降りて、ある売り場の女性に、店内放送を依頼した。

まもなく店内に、『XXXXさま・・XXXXさま・・ご主人様が2階正面入口でお待ちしています』
と家内の氏名が報じられた。

そして私は指定した2階正面入口に行ったら、家内の方が先に到着し、合流できた。
          

家内は各婦人のメーカーが婦人服が多い中、片隅にセーターなどを装飾しているので、
各メーカー別に見たりしていると、時間が要するょ、
と私に詫びながら言ったりした。

そして探し廻ったけれど、魅了された品がなく、戸惑っていた時、
店内放送を聴いて、結局は一枚も買えなかったわ、と家内は私に苦笑しながら言ったりした。

やがて私たちは、我が家の最寄駅に移動した後、
駅前のスーパーで買物をして帰宅した。

そして私も家内も疲れた表情で、お互いに微苦笑したりしている。

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やがて2020年には、団塊世代が全員70歳を超える時、少し齢上の私は溜息を重ねて・・。

2015-10-03 14:49:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄は、
多くは方は60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
数年前に65歳になった後、年金生活を過ごされている方が多い、と私は感じたりしている。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、
その直後から年金生活をしているので、年金生活11年生となっている。
       
私は1944年〈昭和19年)9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
やがて東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしで、無念ながら敗退した後、
遅ればせながら25歳で、1970年(昭和45年)4月に民間会社に中途入社した。

まもなく団塊世代の新卒の方たちと、数年は机を並べたり、
自然と友人のような関係で、交遊を重ねることが多かったした。

或いは私の妹のふたりは1947年(昭和22年)1月生れ、1948年(昭和23年)10月生れ、
家内も1949年(昭和24年)12月生れであるので、
私は団塊世代の対しては、何かと親近感を覚えたりしている。
          

今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んでいたら、やがて思案させられ、溜息をしたりした・・。
4面の【政治】面のひとつには、
『安倍内閣 曲がり角の政策』と題し、『社会保障【上】』として、
《経済優先の介護対策》、《団塊ジュニアの離職防止 絡む難題》と見出しされ、
私は注視してきた難題であったので、精読した。

こうした私の根底は、過ぎし私は高齢者入門の65歳の時、遅ればせながら、
心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、やがて80代後半では
何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門の知識人から公言されている。

このように学んできた私は、今回の記事に憂いも重ねたりした。
無断であるが記事を転記させて頂く。
          

《・・安倍首相は、7日の内閣改造後の新たな陣容で、
社会保障、経済財政、外交、五輪準備など、多様な政策課題に取り組む考えだ。
しかし、いずれも難題が山積し、一筋縄ではいかない。政策の行方を展望する。

☆経済を発展させるために政策を総動員する。

安倍首相が9月24日、自民党総裁再選の記者会見で
打ち出した経済政策「アベノミクス」の第2ステージが目指すものは、そう位置づけられる。
首相は目玉政策として「新しい3本の矢を放つ」と強調した。

1本目。
2020年頃に国内総生産(GDP)600兆円をめざし「戦後最大の経済」を実現する。

2本目。
1人の女性が生涯に産む子どもの人数(合計特殊出生率)を現在の1・4程度から
1・8程度に引き上げ、少子化に歯止めをかける。

3本目。
2020年代初めまでに親の介護などで仕事を辞めなくてはいけない人をなくすなど、
安心につながる社会保障を構築する。

安全保障関連法の成立を経て、首相は経済最優先に回帰する考えを繰り返している。

2012年12月発足の第2次安倍内閣から始まった「アベノミクス」は、
大胆な金融緩和により、行き過ぎた円高の是正、株高という好循環を実現させ、
長期のデフレで沈んだ景気を一変させた。いわば、「即効薬」の政策だった。

だが、長期にわたって成長を実現させるには、日本社会の「体質改善」が不可欠だ。
首相が結婚などで退職する人が依然として多い女性や、まだまだ働ける高齢者の活躍を掲げるのは、
「成長のマイナス要因」を少しでも減らす狙いだ。

そんな首相が介護問題に着目したのは、
介護を理由に退職せざるを得なかった人が年間10万人を超え、
働き手の減少が経済に与える影響を無視できなくなってきたためだ。
          

2020年には、約800万人に上る団塊世代(1947年~49年生れ)が全員70歳を超え、
さらに介護問題が切実になる。

働き盛りの40代の団塊ジュニア(1971年~1974年生れ)らが、
介護で次々と仕事を辞める事態となれば、「経済、社会は成り立たない」(首相)との危惧がある。


☆介護離職ゼロの実現に向けた具体的施策

首相記者会見に先立ち、首相官邸と財務省が1枚のメモを作成した。
介護を担当する厚生労働省は外された。
経済政策の観点から大胆な介護政策を打ち出すために
「厚労省は抵抗勢力になる」(政府関係者)と判断したとみられる。

介護のための退職は、社会福祉法人や地方自治体が運営する介護施設「特別養護老人ホーム」などが
慢性的に不足し、家族が在宅で介護せざるを得ないことから起こる。
施設の空きを待つ人は現在、推計で約15万人。25年には20万人を超えるとされる。

メモは、特養などの整備を今年度から「加速化」させると強調していた。

厚労省はメモを知ると、財務省に異論を唱えた。
「介護施設を増やせば入所希望者も増える」
          

施設が増えれば、民間の有料老人ホームの入居者や、在宅介護が可能な比較的軽度の人まで
入所を希望しはじめる可能性がある。
「供給が需要を生む」構図は、介護予算の膨張につながる。

厚労省が近年、在宅介護を重視してきたのはこのためだ。
今年4月、特養への新規入居は、原則として排せつなどに
ほぼ全面的な介助が必要な「要介護度3」以上に限定したばかりだった。

介護保険料にも影響しそうだ。
65歳以上が払う介護保険料基準額(月額の全国平均)は、2015年度が5514円。
2020年度は6771円、2025年度が8165円と見込まれるが、
「介護予算が増えれば、すぐに1万円を超す」とみられている。

さらに深刻なのが、介護士ら人材不足だ。
厚労省の推計では、2025年度には介護を担う人材は253万人必要だが、
今のままだと38万人足りないと予想される。

政府は海外の人材活用を進める方針だが、大規模な受け入れまでは想定していない。
施設が増えても、人手不足で運用に支障が出かねない。

☆社会保障、人口問題、財政再建

首相が挑む政策は、多くの難題が複雑に絡み合い、解が見つかる保証すらない。


そして解説として、特別養護老人ホーム 公的な介護施設の一種で、
〈1〉入所一時金が不要
〈2〉入所者の収入に応じた補助金が受けられる――ことなどから、
民間の有料老人ホームに比べて利用料金が安い。

全国に約7300施設あり、入居者は54万人(2014年10月)。
政府は入所可能人数を2017年度までに62万人に増やす計画だ。

特養以外には、介護スタッフが常駐する「介護付き」ホームや
事業者を選んで訪問介護してもらう「住宅型」ホームなどがある。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は先程少し調べると、日本の今年度の平成27年度の一般会計予算は、963420億円で、
この中で、社会保障関係費は315297億円で32・7%を占めている。

そして国債費は234507億円で24・3%、地方交付税交付金等は155357億円で16・1%、
公共事業は59711億円で6・2%、文教及び科学振興は53613億円で5・6%、
防衛は49801億円で5・2%であり、社会保障関係費は突出し、財政赤字の最大の主因となっている。

こうした社会保障関係費の中に於いての構成比は、年金は111116億円で35・2%、
医療は93680億円で29・7%、介護は23311億円で8・3%、
生活保障費は29042億円で9・2%、社会福祉費等は55148億円で17・5%となっている。

更に最近知ったのであるが、特別会計で保険料を徴収しているのに、
その赤字補填を一般会計から23兆円も支出している。

専門の学識知識者の一部には、こうしたことは廃止した上、特別会計を完全な独立採算にする必要がある、
と公言されたりしている。

《・・社会保障会計は110兆円にものぼり、特別会計の赤字が一般会計を浸食しているにもかかわらず、
厚労省の「統帥権の独立」で財務省がカットできない。
これが戦前の軍事費と同じく財政を破綻させる原因だが、与野党ともさわらない。
高齢者の巨大な既得権がからんでいるからだ。・・》

こうしたことを最近学び、私は年金を頂いている身なので、動揺させられたりした。
          

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。

しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
          
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、いつの日にか介護を要する身となった時は、
介護施設に入居する予定としている。

昨今、団塊の世代の大半は、《・・働き盛りの40代の団塊ジュニア・・》の息子、娘には、
頼ることはないようにする、と学んできた私は、《・・介護で次々と仕事を辞める事態・・》は、
少ないと思ったりしている。
          

いずれも少子高齢化の中、社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と伝えられている。

もとより高齢者が使う費用は、現在の日本に於いては、
その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして働いて下さる現役世代の諸兄諸姉は、私たちの時代より負担率が多い上、
短期に成果を問われ、常時リストラ時代といわれる過酷な状況下で、
それぞれ現役世代の諸兄諸姉は奮戦している。

こうした実態を学び、そして年収も私が働いていた時代は、外資系であっても、
年功序列が少し残る中、給与は年齢給と成果給で構成され、同僚たちと驚くほどは差異がなかったが、
今や正社員でも年収は一強四弱と思われ、もとより総中流社会を消滅している。
          

やがて2020年には、団塊世代が全員70歳を超え時、
たまたま『東京オリンピック』が開催されるが、
私は日本の国家財政の状況、特に社会保障の年金、医療、介護などを配慮すれば、
安息はできないなぁ、と何かとプラス思考の私でも、切実に思ったりしている。

果たしてと思いながら、溜息を重ねたりしている。

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『赤い羽根』、老ボーイ11年生の私、眩(まぶ)しく感じたりし・・。

2015-10-02 15:01:47 | ささやかな古稀からの思い
昨日、私たち夫婦は早朝の6時より小庭の手入れで、6時間ばかり奮戦しした後、
やがて夕方のひととき、NHKのテレビニュースを視聴していると、
男性と女性のそれぞれキャスターがスーツの襟に、赤い羽根が付けられていた・・。

そして赤い羽根の『共同募金』の時節が到来した、と教示させられたりしたが、
私は眩(まぶ)しく感じたりした・・。

私はある民間会社に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職後となり、
多々の理由で年金生活を始め、今や老ボーイ11年生となっている。

年金生活を11年過ごしてきた中、私は冠婚葬祭以外スーツを着ることなく、
平素はスポーツシャツとフィールド・ジャケットが大半で、
改まった懇親会でも、ブレザーにネクタイをする程度としてきた。

こうした身なりをしてきたので、ワイシャツにネクタイをしたスーツを召した方に、
ここ10年ぐらい、ときおり眩(まぶ)しく感じたりしてきた・・。
          

こうした私の根底には、世の中に何かと疎(うと)い私でも、
社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と伝えられている。

もとより高齢者が使う費用は、現在の日本に於いては、
その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

少子高齢化の中、働いて下さる現役世代の諸兄諸姉は、私たちの時代より負担率が多い上、
短期に成果を問われ、常時リストラ時代といわれる過酷な状況下で、
それぞれ現役世代の諸兄諸姉は奮戦している。

そして年収も私が働いていた時代は、外資系であっても、
年功序列が少し残る中、給与は年齢給と成果給で、同世代とは驚くほどは差異がなかったが、
今や正社員でも一強四弱と思われ、もとより総中流社会を消滅している。

こうした真情を秘めている私は、安楽な年金生活をしていると、
現役世代の諸兄諸姉の特にスーツ姿に、うしろめたさと共に眩(まぶ)しく感じたりしている・・。

このようなことを漠然と思ったりし、過ぎし年の総中流社会の中で、
人生の大半を過ごせた今の70代、そして団塊の世代は、大半の人は恵まれた時代を過ごせた、
と改めて思いを深めたりした。
          

私のささやかな『赤い羽根』の思いでは、現役時代のサラリーマンの奮闘していた時代だった。
確か27年前頃、私は出勤でいつものように家の近くから路線バスに乗り、
最寄駅の小田急線の『成城学園前』駅前に行った。

そして駅の改札に近い所で、
『お願いしま~す・・ご協力下さ~い・・』
と左右でそれぞれ一列に並んで、ご婦人と小学生の男女が30名前後いた。

私はご婦人のひとりに近づき、
百円玉を2つばかり募金箱に入れて、スーツの社章(会社のバッチ)の近くに付けてもらった。
わずかに芳(かぐわ)しい香りが40歳前後の女性から漂(ただよ)い、
少しときめきを感じたりした。

そして、やはり女性は40歳前後から魅力が増す、と余計なことを感じたりした。
          
          
その翌年だったと記憶しているが、この日いつものように並んいたが
私はこの中の小学生の女の子に、偶然に目があってしまったりした。

私は近づき財布の中を見たら、五百円玉しかなく、募金箱にいれたが、
女の子にたどたどしく赤い羽根を付けてもらった。

『有難うございまし~た・・気を付けて、行ってらしゃい・・』
と私が立ち去る時に、この女の子は言った。
ちょっとお茶目な女の子であったが、母親の確かな情操教育を受け、さりげない感性のある子で、
私なりに好感を覚えたのである。

その後、プラットフォームで都心に向かう電車を待ちわびていた時、何気なしに胸元を見ると、
赤い羽根はちょっと曲がって付けられいたのに気付いたが、
私は微苦笑したりしていた。


このような『赤い羽根』に関しては、数多くの思いでもあるが、
果たして今も駅前で、
『お願いしま~す・・ご協力下さ~い・・』
女性や児童が真摯な声で叫ばれているのかは、解からないのである。
          
          
余談であるが、私の住む街も、自治会に於いて、共同募金の一環として、
協力通知書が回覧され、2週間前の頃に担当のお方が徴収で来宅され、
私は明るい笑顔で手渡したりした。

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