夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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黒人男性の暴行死を受け、『風と共に去りぬ』配信停止、高齢者の私は学び、やがて憂いを深めて・・。

2020-10-22 13:40:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している新潮社の公式サイトの【 ディリー新潮  】
を見たりしていた。

こうした中で、『 「風と共に去りぬ」配信停止は“時代に逆行” 橋田壽賀子氏の指摘  』
と見出しを見たりした。

私は、映画『風と共に去りぬ(製作・1939年)に関して、
確か高校2年の1961年(昭和36年)の当時は、
洋画の名作のリバイバル・ロードショウと称した上映が盛んな時代、
『駅馬車』(1939年)、『禁じられた遊び』(1952年)などを含めて、
私は下校した後、幾たび日比谷の映画館に通い、鑑賞した作品のひとつである。


映画『風と共に去りぬ(記事に掲載された写真を拝借した

この作品から、私はアメリカが南北戦争が起きる戦前、戦争時、戦後の
社会、文化などの興亡を学び、激しく心を揺さぶられて、
まもなく原作のマーガレット・ミッチェルの日本語訳の本を購読したりした。

そして主題歌にも瞬時に魅せられて、アルバイトをして、
初めてLPのアルバムとして、サンドトラック『風と共に去りぬ』を購入したりした。

いずれにしても、この映画が製作されたのは、1939年と知り、
日本では太平洋戦争の前の苦難の時代で、
アメリカは、文化的娯楽産業の大作を制作する余力があることに気付き、
国力の段違いを教示されたりした。

そして後年、私なりにアメリカの歴史を深く学んだりした。



このような私としての思い出深い映画『風と共に去りぬ』関して、
《・・配信停止・・》つて、どのようなことですか、と思いながら記事を読んだりした・・。

この記事は、『 週刊新潮』の2020年6月25日号に掲載された記事のひとつで、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・「表現する」という行為は、人の心をざわつかせ、
そこに何がしかの「爪痕」を残す営みである。
それがダメだというなら、人間は芸術活動を放棄する以外にない――。



米国の白人警察官による黒人男性の暴行死を受け、
名画「風と共に去りぬ」の配信が停止された。
人種偏見が含まれているからだと。
何かがおかしい。

「初めて『風と共に去りぬ』を観た時は、
とにかくハリウッド映画のスケールに圧倒されました」
と、まずは映画評論家の北川れい子氏が振り返る。

「キャストの衣装の絢爛さやエキストラの数など、何から何まで豪華でした。
また、南北戦争当時の米国南部の大荘園や風俗・文化が再現され、
映画を通じてそれを一般教養として学ぶこともでき、
未だに映画史に輝き続ける作品です」

そんな名作が、米国で一大社会問題と化している黒人差別問題を受け、
今月9日、同国の動画配信会社によって、配信停止の運びとなってしまったのだ。



確かに、同作には「黒人奴隷の生活が美化されて描かれている面はある」(同)。

しかし、脚本家の橋田壽賀子氏が、
「私は『風と共に去りぬ』を黒人差別映画とは思わず、
ラブストーリーとして観ました」
こう語る鑑賞法が、同作の一般的な観方であろう。

橋田氏が続ける。
「黒人差別の描写は、映画の一部分に過ぎません。
そして奴隷制のもと、米国で黒人差別が行われていたことは、
誰しもが知る事実です。

人種差別などあってはなりませんが、
それを乗り越えてオバマ大統領が誕生した。

『風と共に去りぬ』は、もうあのような時代には戻らないという視点で、
観るべき映画だと思います。

それなのに、映画の一部の差別的描写だけを理由に配信を停止するのは、
むしろ時代に逆行しているのではないでしょうか」



☆「水戸黄門」もダメ?

放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏も、
「私は中学生時代に、『風と共に去りぬ』を観て、
後日、クラスでディスカッションをする宿題を出されたことがあります」
として、こう続ける。

「確かに黒人の奴隷生活が美化されてはいますが、
当時の南部のプランテーションの様子などを学ぶ教材でもある。

この作品を観られなくすることは、
子どもたちから学びの題材を奪ってしまうことになります」

さらに言えば、
「差別的表現に神経質になり過ぎると、
『水戸黄門』、『忠臣蔵』、『必殺仕事人』、そして大河ドラマに至るまで、
日本の時代劇は、全て放送できなくなりますよ。

士農工商という差別的な身分制度があった時代を描いたものですからね」(同)

北川氏が「映画論」で締めくくる。
「人類の歴史は、美しいことより、むしろ汚い側面が多い。
そうした汚さも含めて描くのが、映画です。

ダメなことには一切触れてはいけないとなれば、
戦争や暴力も、映画では描けないことになる。
タブーが増えれば、表現の幅はどんどん狭まってしまいます」

心がざわつかないキレイゴトだけの無味無臭の映画――。
それはもはや、芸術でも文化でも娯楽でもない。
       ワイド特集「アラート再発動!」より・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



記事を読みながら、過ぎし日に黒人男性の暴行死を受け、

映画の『風と共に去りぬ』が配信停止、と遅ればせながら学んだりした・・。

私は東京オリンビックの開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

そして養成所に入門しながら映画青年の真似事、やがて文学青年の真似事をしたが、
やがて敗退してサラリーマンに転身し、民間会社に中途入社した。

やがてあるレコード会社に35年近く勤めて、定年退職を迎えて、

多々の理由で年金生活をしているつたない身である。



今回の記事で瞬時に賛意したのは、
映画評論家の北川れい子さんの《・・人類の歴史は、美しいことより、むしろ汚い側面が多い。
そうした汚さも含めて描くのが、映画です。

ダメなことには一切触れてはいけないとなれば、
戦争や暴力も、映画では描けないことになる。
タブーが増えれば、表現の幅はどんどん狭まってしまいます・・》


このようなことを思い重ねて、配信停止させた御方の余りにも心の狭さに、
憂いを深めたりしている。
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2 コメント

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Unknown (tkgmzt2902)
2020-10-22 22:26:13
私もおかしいと思います。
過去の時代をあるがまま受け入れて、そのなかで考え、自分で正しい
判断をする、というのが映画の見方だと思いますが。
そういえば、子供たちが大好きな「ちびくろサンボ」の絵本も
禁止になりました。今はどうなっているか知りませんが。
差別を助長するのはよくないですが、過敏なのも視野を狭める気がします。
返信する
まぎれもなく正鵠な論調・・。 (夢逢人)
2020-10-22 22:59:34
tkgmzt2902さま。

真摯なコメントを頂き、感謝致します。

>私もおかしいと思います。
>過去の時代をあるがまま受け入れて、そのなかで考え、自分で正しい
判断をする、
>というのが映画の見方だと思いますが。

まぎれもなく正鵠な論調です。

>そういえば、子供たちが大好きな「ちびくろサンボ」の絵本も禁止になりました。
>今はどうなっているか知りませんが。
>差別を助長するのはよくないですが、過敏なのも視野を狭める気がします。

「ちびくろサンボ」の絵本に関して、無念ながら知りませんですが、
《・・差別を助長するのはよくないですが、過敏なのも視野を狭める気がします。・・》
私も瞬時に同意致しました。

これから秋深まる時節、寒暖の差が多い日々、
貴女様、ご主人さま共々、御身体を程々に御自愛されてお過ごしして下さい。コメントありがとうございました。
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