夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

森山直太郎さんの『さくら(独唱)』、78歳の私、長らく心の片隅に・・。

2023-03-18 15:07:19 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

昨夜のひととき、テレビ朝日の『 ザワつく!金曜日 』を見ている中で、
好きな卒業ソングスをテーマにされていた。

こうした中で、森山直太郎さんの『さくら(独唱)』も取り上げられ、
私は懐かし気に視聴したりしていた・・。




私の現役サラリーマン時代は、音楽業界のあるレコード会社に勤めていたが、
1998年(平成10年)に業界のCDを中核とした売上げがピークとなり、
その後は業界全体が縮小した・・。

この前後に、それぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。

私たちの同世代は、この当時は定年退職時が60歳であり、
暗黙として、お互いに定年退職まで、頑張ろうとする意志は大半であり、
もとより若き入社時代から、人生設計の主軸として過ごしてきた・・。

こうした中で、私の知人の多くは50代となり、
私が勤めていた会社でも、組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの烈風となった・・。

このような形で、同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
業界から去った人も数多くあった。

          

私も55歳を迎える年に、1999年(平成11)年の初春、リストラ烈風の中、
各レコード会社の音楽商品のCD、DVDなどの物流を委託している物流会社に、
あえなく出向となったりした。

もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。

出向先は、少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられたりした。

そして約2万5千種類の音楽のCD、DVDなどの商品が並ぶ棚の大きな倉庫の中で、
センター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の指示に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

こうした中、ソフトの販売店に出荷、返品など取り扱う商品センターで、
全国のCD販売店、卸店などからの注文に応じて、即日出荷するのが、業務が大半で、

或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。

そして
私は、主要曲の出荷量を予測したりし、
効率よく迅速に出荷できるような業務も責務のひとつであった。

          

こうした中で、2003年(平成15年)3月の初め発売された森山直太郎さんの『さくら(独唱)』のCDシングルは、
発売日の初回枚数が、わずか1500枚前後であったと記憶している。

この当時、かって勤めていた出向元のあるレコード会社からは、
毎月発売されている新譜と称されるCD、DVD等の音楽商品に関して、
邦楽、洋楽、クラシックなどは、少なくとも100種類はあった。

その上に既に前月までに発売されてた旧譜と称されるの商品は、
2万5000種類は超えて、この中の一部にヒット曲もあり、主要曲として出荷量の大半を占めていた。

こうした状況であったので、3月5日に発売された森山直太郎さんの『さくら(独唱)』は、
初回枚数が余りにも少なく、私は注視することがなかった。

やがて桜の花が本州を北上するように、
この曲のCDが次第に上昇し、私は明日は3千枚ぐらいかしら、と予測して、
若手の男性契約社員に、商品を揃えるように依頼したりした。
               
しかし大半が私の当日出荷枚数を超えて、
私はCD5000枚単位のパレットを保管倉庫から出荷しやすい場所に移動させたり、
そして私が予測した以上の曲の数々の商品に於いても、現場を駆けずり廻っていた。

                    

この頃の私は、通勤時にビジネスバックの中に、CDウォークマンを入れて、数々の曲を聴き、
音楽専門雑誌を読みながら、それぞれの曲の出荷を予測の基礎としていたが、
30年近くレコード会社で情報・管理畑、営業畑で体験した身でも、需要予測は難しいのである。

特に数多い音楽商品の場合は、人々の好みを予測し、
この中の一部の方が一枚を購入して下さるので、
まぎれなく生きた心の商品でもある。

結果として、森山直太郎さんの『さくら(独唱)』は、東北の北部に桜の咲く時期まで、活発に動き、
5月の初めの大型連休の頃、ミリオン・セラーと称せられる百万枚となり、その後も出荷を重ねた。

私にとっては、たまたま定年退職の前の年に、この曲が私の予測を遥かに超え、
思いで深い曲のひとつとなった・・。

                    

この当時の頃のCDシングルは、何曲も収録されているのが、流行だった。
このCDシングルも『さくら(独唱)』、『さくら(合唱)』、『さくら(伴奏)』、
そして別の曲の『手紙』が入っていた。

私は『さくら』を3回ばかり聴いた後、『さくら(合唱)』が最も好きな曲となった・・。
何よりも女子高等学校の音楽部の方達が合唱に加わり、
より一層、哀切、惜別の情緒が醸(かも)し出されいる、と公言したりした・・。

このように私なりに体験をしたので、本社に勤務を含めた35年間でも、
数多くのヒット曲にめぐり逢えたが、とりわけ森山直太郎さんの『さくら(独唱)』の歌は、
思いで深い曲のひとつとなっている・・。

          
       

やがて出向先の大手企業の傘下の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

そして、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、
私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、敗残者のような深情で年金生活を始めた・・。     

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や丸18年半が過ぎている。

                

ここ10幾年、中学生、高校生の間で、卒業式の愛唱歌として、
森山直太朗さんの『さくら(独唱)』の歌が、唄われる、と私は風の噂で聞いたりすると、
作詞も良し、メロディーも、そして唄声も心に残る、と私は確信を深めて、
そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、微笑(ほほえ)む時もある。

このようなことを私は思い馳せたり、
この森山直太郎さんの『さくら(独唱)』の出荷作業に奮闘していた時から、
早くも20年の歳月が過ぎてしまった、と微苦笑したりして、
そして年金生活をしていると実に早く過ぎ去ってしまう、と思いを重ねたりしている。

コメント (2)
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