夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

セカンドライフは『3W1H』が肝要、年金生活の私は遅ればせながら学び、微苦笑を重ねて・・。

2016-07-08 15:58:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
いつもように本日も、家内から依頼された品を求めて、
独りで最寄のスーパー歩いて行き、買物メール老ボーイでもある。

そしてスーパーに買物する前に、郵便局に寄ったが、
たまたま人出が多く、私は待合所で近くにある小冊子を取り、読んだりした。

私が手に取ったのは、ゆうちょ銀行が発刊した『 知ってトクする年金・相続BOOK! 』と表題されて、
《 セカンドライフを楽しむためのお役立つ情報満載! 》と表示されていた。

そして『あなたの年金』基礎知識から老後資金と関係まで!、
或いは『あなたの資金運用』老後資金のシミュレーションからNISAまで!、
『あなたの相続』相続の心構えから生前贈与のメリット!、と課題が明示されていた。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始め、秋になれば丸12年となるが、恥ずかしながら何かと無知なことが多く、
待機している間、学ぼうと小冊子をパラパラと読んだりした・・。
            
      
こうした中、《セカンドライフは、まさに十人と十色。(略)
「いつから」「誰と」「どこで」「どんなふうに」に暮らしますか・・
この「3W1H」の発想で、自分なりのライフプランを立てたうえで、
安心・確実な老後資金づくりを検討しましょう》と明記されていた。

When「いつから」 完全にリタイアする年齢は何歳?
          ==>無収入の時には金融資産を取り崩して生活することに

Who「誰と」 何人で暮らすか? 夫婦だけ? 親と同居? 子ども夫婦と同居?
          ==>食費や水道光熱費などの負担が人数によって変わる

Where「どこで」 終(つい)のすみかをどこにするか?
          ==>どこに暮らすかによって、生活水準(物価水準)は異なる

How「どんなふうに」 どんなふうに過ごすか?
          ==>どのような生活をするかによって、お金の使い方が変わる


こうした内容を読み終えた後、私はセカンドライフに関して、
このような整然とした明確なことは、思案していなかったよなぁ、と私は微苦笑を重ねたりした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるが、
セカンドライフの生活の改めて話し合ったのは、 1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。

私は1970年(昭和45年)の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。

こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                     
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
                         

こうしたことを実現するためには、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。

そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。

この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、
私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。

そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。

こうした結果、私の年齢、家内の年齢を主軸に、1998年(平成10年)から私が80歳を迎えるまで、
年次別の収支と残額を作成し、パソコンに入れて、計画、実績、差額を毎月入れたりしていた。
                                                        
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

この間、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
              
私は35年近くサラリーマンをしたが、この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えて、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
                       

我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
           
私たち夫婦は年金生活をして12年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。

こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
            

今回、セカンドライフを過ごすに伴い、『3W1H』が肝要、と私は遅ればせながら学んだりした。
私たち夫婦は、雑木が多い小庭の中で、古惚けた築後38年の家に住んでいるが、
家を建て直すと、少なくとも数千万円を要し、老後資金が大幅な減少するので、断念している。

そして私たち夫婦は、少しペンキが剥がれかかった窓枠などを見たりして、
たとえ家屋が新しく良くなっても、老後資金が乏しくなり、訪れたい国内の各地にも旅行費の捻出に、
困苦すると思われるので、やむなく私は微苦笑したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする