夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

七草粥(ななくさがゆ)は、遠い思い出となり・・♪

2009-01-07 17:09:40 | 定年後の思い
私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
昼のひととき、冬晴れの風もなく中、最寄のスーパーに買物に行った。
野菜売り場のコーナーで、『春の七草』のセット品が50前後があり、
私は立ち止まり眺めていたのである。

このスーパーは、4日の日曜日から、『春の七草セット』が販売されて折、
チラシには、
【・・
       七草がゆ
1月7日7日正月、七草正月とも言われ、
早春の若草を粥に入れて、春の訪れを楽しむ日です。
7日の朝に、春の七草を入れた粥を食べると万病がさけられると言われ、
今年一年の家族の健康を願います。
中国から伝わり江戸時代に広まった習慣のようです。
・・】
と優しく明記されていたのである。

私は昨日の朝、NHKのテレビの『生活ほっと』の番組の中で、
春の七草の摘み取りを放映されていたのを思い出したり、
不幸にして、昨夜まで『春の七草セット』を買いそびれて、
今朝の朝食に七草粥を頂くことなく、
この品の前で思案している30、40代の奥様たちのしぐさを
複雑な思いで眺めたりしていたのである。

そして、この『春の七草セット』は、神奈川県産で、
新春を祝う、健康来福と朱記されている。
そして、1パック398円(税込)と大きく棚の所に明記されていたのである。

私はここ10数年、七草粥の祝い事には興味がなく、
私が幼年期だった頃、叔母に教えて貰い、七草の数種類を摘んだことを思い馳せたりしたのである。


これらに関しては、昨年の1月6日に於いて、
【昼のひととき、散策そして買物・・♪】と題して投稿しているので、
再掲載をする。

【・・
東京の郊外は、日中は早春の陽気となった。

遅い朝食後、私は散策に出かけた。

冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
マフラーにせず、冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で家を後にした・・。

川沿いの遊歩道を歩いたが、のどかな陽気で、
日曜日であり、ときおり家族連れが見かける程度で、
殆ど平日の同じ様だった。


駅前の本屋に寄ったが、これといった本が見当たらなかったが、
何とか一冊の興味のある本を見つけたのである。

飯倉晴武・編の『日本人のしきたり』(青春新書)であり、
四季を重んじ、人生の節目を大切にする和のこころ、伝統の原点、
と帯に明示された本である。

正月行事、年中行事、結婚、懐妊・出産、祝い事、贈答、手紙、葬式、縁起のしきたりが、
細分化した解説されている。

私が購入した動機は、最終章に『しきたりに関することわざ』があり、
無知なことが多かったからである。


例えば、縁起のことわざ、などのひとつとして、

【吉凶は人によりて、日によらず】
人は成功したり、失敗したりするのは、
時や日によるのではなく、その人の行いによって決まる。
たとえ凶の日であっても、きちんとした行いをしていれば心配ない、
ということ。


私は立ち読みしていて、思わず襟をただし、
齢を重ねた63歳の私は、世の中の常識なことに無知が多く、恥ずかしく思い、
今から学んで人生遅くないかしら、
とため息をしながら、購入したのである。

帰路は住宅街を通り過ぎて、自宅の最寄のスーパーに寄った。

家内からは、野菜とパンなど、と厳命されていたので、
キャベツ、ホウレン草の選定に少し時間を要した。

付近の棚には七草がパックになった品、
一番驚いたのは七草サラダと称し、七草がスライスされパック状、
それぞれが山積みとなっている。

私は現実主義なので、遠い昔は何かと冬の時節は野菜不足であったので、
新春のひととき七草粥(ななくさがゆ)を召し上がったのであり、
現世はキャベツ、レタス、セロリ、ホウレン草、ダイコン、カブ等が多品種にあるので、
私達夫婦は七草粥には興味がないのである。

私は幼年期の時代、叔母と兄の後を追いながら、
我家の田畑の畦道で七草を採った体験があり、
子供心にお気に召さない食べ物であり、
食べすぎで、大人になっても敬遠している食べ物のひとつなのが本音である。

そして日本人の古来からの行事のひとつの食べ物と、
私達夫婦は和事に関心は多いが、ときには矛盾することもある。


結果として、いつもの野菜物、バンを選定し終え、
帰宅した。

歩き回ったのが4キロ前後で、早春の陽射しにつつまれて、
2時間ばかり外出となった。

私の散策と買物は、殆どこのような形で廻っていることが多いのである。

・・】



一昨年の時には、
【早春の若菜摘(つ)みの想いで・・♪】と題して、
少し感傷的に綴ったりしているが、再掲載をする。

【・・
旧暦の一月七日は『春の七草』と古人より伝えられている。

先日の4日の時にスーパーに買い物に私が行った時、生鮮野菜売り場のひとつのコーナーを設けて、
『春の七草』の可愛らしいパックがうず高く積み上げられていた。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロが詰め込まれている。
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。

私はこの七草を見て、遠い日の幼年期の頃が想いだされた・・。


東京の郊外の農家の子として生を受け、昭和26年の小学一年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を耕していた。

旧暦の一月7日は、今の暦では二月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに色々な野草が数多くあった。

叔母の二人は、未婚であり、ノビルやヨモギを取り、私達にも食べさせてくれた。

ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。
早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは春の香りを感じたりしていた。

ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、私達も香りと歯ごたえを共にした。

ナズナはペンペングサと呼んでいたが兎を兄達が飼っていたので、餌としていたと思われる。

この他の七草は多分生えていたと思われるが、幼年期であったので、記憶が定かでない。

私の住む地域では、昭和30年を過ぎた頃から田畑は消えうせ、急激に住宅地に変貌した。

私はあの時代に口にした早春の食べ物として、主庭の一角にフキを植えている。
二月の初旬頃にフキノトウとして、頂いている。

現役時代、激務の業務を終え、休みの昼下り庭に下り立つと、
フキノトウを見かけると、十幾つかは摘めるので、
家内に手渡しする。

水洗いをした後、フキノトウに味噌を少しつけ、アルムホイルに包んで火であぶる。

私も台所の一角の簡易テーブルで、弐合徳利とぐい呑みで待機する。

フキノトウの苦味、香り、歯ごたえを味わい、ぬるめの辛口の純米酒を呑むと、
春が来た、と思っている。
庭先を観れば、白梅は莟(つぼみ)か数輪の花が見られる時期である。

退職後の今は、原則として日中のお酒は自粛しているので、
夕食前に味わうが、特にフキノトウに関しては昼前、昼下りのひとときは、味は倍増すると確信している。

待ち焦がれた早春、フキノトウを摘みながら、今年も・・と感動しながら味合うので、
実感もさることなから余情を増すのかしら、と呑べいのひとりとして思っている。

・・】


このように綴ったりしてきたが、
私にとっては春の七草などの早春の里の食べ物は、
幼年期の思いと重なることが多く、
宝物のひとつ、と思いながら愛惜の情景となっている。




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昭和天皇が崩御された日を想いだし・・。

2009-01-07 09:16:29 | 定年後の思い
私は早朝、玄関の軒下で煙草を喫っていると、
確か昭和天皇が崩御された日だった、と思った・・。

私は昭和19年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
天皇家には何かと敬(うやま)う空気の中で家庭で育ち、
昭和天皇に関しては、私の40代かばまで自己形成、歴史観などで、
多大な影響を受けていた。

私は昭和天皇が崩御された、とNHKのテレビのニュースで視聴し、
前年から病状が悪化し、社会は何かと自粛の空気につつまれて、
危篤などと報じられていたので、
とうとう陛下様は亡くなわれてしまった、というのが率直な思いであった。

私は会社に出勤した後、
朝礼の時、上司のひと言で、
皇居の方面に向かい、黙祷をしたのである。

私はこの頃、情報部門であったので、
『昭和』から新たな『平成』と制定されると、
コンピュータの和暦の表示を『請求書』に至るまで改定したので、
慌しい日々を過ごしていた。

この後、私の心情は、平成元年といわれるより、
昭和64年といった方が心身の波長が合うので、何かしら戸惑ったのは事実である。



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